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セルリアンブルーの殺意〔結末編〕withミムコさん

※小説リレー企画「火サスどうでしょう」バトンを受け取りました!
 ミムコさんが書かれた、この物語の後半部分になります※

◇◆◇

 独り暮らしのマンションに着いたとき、空はだいぶ明るくなっていた。
 お金を払おうと財布を出すと、タクシーの運転手は、さやかさんから充分すぎる金額をいただいたから、と言う。結局、最初のバーからホストクラブ、帰宅の車代まで、私は一銭もお金を出さなかった。
「……何だったんだろう」
 タクシーを降り、三階の自室まで階段を上がりながら、昨夜の記憶をたどってみる。夢だったと自分に言い聞かせるには、さやかさんの指先を彩っていた、セルリアンブルーのネイルの艶めきが、あまりにも鮮やかだった。

「なんだか、女っぽくない部屋だよな」
 小さなダイニングテーブルと椅子がふたつ、シングルベッドとテレビ台、パソコンデスクとワークチェア。これしか家具がない私の部屋を見て、あの人はそう言った。
「1DKだから、しょうがないよ」
「でも、女の人って、花とか小物を置くもんだけど、おまえはこれだけだからな」
 パソコンデスクの上に置いた、小さな写真立てのことだ。飾っているのは、セルリアンブルーの水の中を泳ぐ、2匹の朱い金魚の絵葉書。
 でも、もう、彼がここに来ることは、決してない。

 その「女っぽくない部屋」に戻った私は、真っ先にパソコンの電源を入れた。
 さやかさんに握らされたUSBメモリが、ずっと気になっていたのだ。
「これ、あなたにも必要だと思って」
 確かに、彼女はそう言った。言葉通りに解釈するなら、彼女は私に渡すために、これを用意していたということになる。
 昨夜の出来事は、すべて仕組まれていたのだろうか?
 パソコンが立ち上がるのを待つ間、頬杖をついて目を閉じると、少し緑がかった青が、頭の中に広がった。どうしてだろう、昨夜から、セルリアンブルーがまとわりついてくる。
 Windowsの起動音が響き、ふと私は我に返った。とにかく、確認しなくては。
 USBポートにメモリを差すと、エクスプローラーに、ふたつの動画ファイルが表示された。タイトルに1、2と数字がつけられているのは、この順番に見ろということだろう。素直に「1」のアイコンをダブルクリックする。

 ……どうして?
 一瞬、体中の血流が、止まる。

 なんで、これを、さやかさんが?

 動画の舞台は、この部屋だった。
 半年ほど前に買い替えるまで、私の背後にあったベッドが映っている。
 写真立てに小型カメラを隠して撮影すれば、ちょうど映せる位置だったのだと、唐突に気付く。

 画面の中には、あの人に身体を弄られて、快楽の真っただ中で喘いでいる、全裸の私がいた。
 しかも、私がこれを目にするのは、今回が2度目なのだ……。

◇◆◇

「悪いけど、録らせてもらったよ」
 この映像を私に見せたとき、あの人は、卑しいとしか言いようのない、不気味な顔で笑った。
「俺、借金作っちゃって、すげえ困ってるんだよね。だから、公認会計士で高給取りの君に、貸してほしくてさ」
 愛されていると思っていた。愛し合っていると思っていた。
 だから、身体を許すことも、当たり前だと思っていた。
 でも、彼は違ったのだ。
「できれば、こんなことしたくないんだよ。でも、今回は怖い人達から借りちゃったから、本気でまずくてさ」
「……だからって、私をゆするの」
「ゆするなんて人聞き悪いな、嫌なら別にいいんだよ。そしたら、俺はこの動画をネットに乗せて、世界中にばらまいてから、奴らに殺されるからさ」
 私があの人に慣れて、素直に快感を表せるようになるのを待ってから、録画したのだろう。画面の中で、彼を求める自分の姿があまりも醜く、私はトイレに駆け込んで嘔吐した。
 そんなものを、インターネットに刻まれたりしたら、私は終わりだ。
 首根っこを押さえられた私は、言われるままに、お金を渡すしかなかった。一度だけの約束で、百万円。もう一度頼むよで、三十万円。
「私だってもう、お金ないよ」
 そして、3度目に五十万円と言われた時、さすがに私は断った。
「おまえは公認会計士なんだから、いくらでも稼げるだろうが」
「私は勤めの会計士だし、キャリアもまだ浅いから、そんなに年収も多くないの。ない袖は振れないよ」
「それなら女の特権で、カラダで稼いで来いよ。嫌なら構わねえよ、俺が殺されりゃいいんだから。でも、死ぬ前にあの動画、ありとあらゆるSNSに、乗せまくってやるからな」
 あの人は、本当に下衆だった。下衆で、卑怯で、底なしだった。
 そして、裸を見せる前に、作り物のやさしさを見抜けなかった私は、最低の愚か者だった。

 4度目に二百万円と言われたのは、私がすっかり心を病み、心療内科で睡眠導入剤をもらい始めた頃だった。
「もう、金に余裕がないとか言ってたくせに、裕福なもんだな」
「夜のバイトを始めたの。払うから、乗って」
 お金の受け渡しに、車で現れた私を見て、彼は卑しい笑顔を浮かべながら、助手席に乗り込んできた。
 こんな男に、騙されたなんて。
「金。早く、金寄こせよ」
「その前に少しくらい、ドライブに付き合って」
 ぶん殴ってやりたい気持ちを抑えて、私は車を走らせた。近くのインターチェンジをくぐり、首都高速へ、光り輝く東京の夜景へ。涙が浮かんでいたのだろうか、大好きな都会のきらめきが、じんわりとにじんで見えた。
「さすが公認会計士だよな。若くても、東京で車が持てるんだから」
 馬鹿な男は、上機嫌だった。ゆすった女の車にほいほいと乗り、用意しておいたコンビニエンスストアのコーヒーを、喜んで飲むほどに。
「なんだか、眠くなってきたな」
 そしてついに、彼の口から、待ち構えていたその言葉が転がり落ちたのだ。
「夜だからでしょ」
「だけど、急に眠くなったんだよ。コーヒー飲んだのに……あ」
 自分自身の言葉で、彼は私のからくりに気付いたのだろう。
「おまえ、薬、仕込んだな」
「運転してるんだから、暴れないで。高速で事故ったら、死ぬよ」
 諸刃の剣を振り回したのは、あなた自身なんだから。
 首都の夜景の輝きが、流星雨のように美しかった。

 コーヒーにたっぷりと仕込んだ、睡眠導入剤には抗えず、彼は怒りながら眠りに落ちた。
 私は東京を離れ、予定していたインターチェンジで高速を降り、暗がりへ、暗がりへと車を走らせた。田舎へ行けば、カメラを設置しようがない山道など、いくらでもある。
 やがて、下調べしておいた、真っ暗な道端に車を止めると、私は助手席の背もたれを倒し、眠る彼の体をうつぶせにした。
 本当に、この男は悪魔だ。私を骨までしゃぶりつくしたら、同じように、何人もの女を食い物にして、図太く肥えていくのだろう。
「あんたに、生きてる価値なんか、全然ない」
 自分の行動を正当化するために、あえてそう口に出す。
 そして、後部座席の足元に隠しておいたバケツに、ポリタンクの水を入れて。
「恐喝はね、賢くなくちゃできないの」
 もう一言呟きながら、私はゴミ箱に汚物を捨てるように、彼の頭をバケツに突っ込み、思い切り押さえつけた……。

◇◆◇

 USBメモリに入っていた、2とタイトルが振られた動画には、文字だけが映し出されていた。
【先程の動画は、私の夫が撮影したものだ】
 セルリアンブルーの画面に、深紅の文字。
 また、この色だ。
【あれをインターネットで公開されたくなければ、明日の日曜、23時に、昨夜のホストクラブに来い】
 このメッセージを私に伝えるためだけの、短い短い動画だった。
 鼓動が激しくなりすぎて、呼吸をするのも苦しい。そして、頭が割れるように痛み始めた。
 思わずベッドに倒れこむと、動画の中で喘いでいた、私自身の姿を思い出して、今度は吐き気がこみあげてくる。這うようにトイレに入り、何とか便器に嘔吐した。
「何なの、これ……」
 呟いても、状況は変わらない。
 あの男を殺した証拠は、何もないはずだ。車の中は入念に掃除をしたし、バケツとポリタンクは、死体と一緒に、山奥の崖に蹴り落としたのだから。
 それなのに、彼の奥さんが動画を見つけるなんて。
 やはり、昨夜のことは、偶然ではなかった。動画で私の顔を知ったさやかは、あの店での出会いも、USBメモリも、すべて用意していたのだ。
 もう一度、やるしかないのだろうか。
 トイレの壁にもたれて、私はぼんやりと考える。
 私はもう一度……人を殺さなければいけないのだろうか。

◇◆◇

 翌日の夜、23時にホストクラブへ行くと、スタッフが私を待っていた。
「さやかさんがお待ちです」
 そう言う彼に通されたのは、店の一番奥にある、分厚いカーペットが敷かれた部屋だった。大理石のテーブルの周り3面を、茶色い本革のソファが取り囲んでいる。
 そのソファの真ん中に、黒いワンピースをまとった、さやかが座っていた。
「時間通りね」
 私を見て、深紅に彩られた唇が、きゅっと笑顔を作る。
「そんなに睨まないで、座ってよ」
「ひどいじゃないですか、こんなことするなんて」
「あら、ひどいのはどっちかしら? 私の夫に手を出して。でもいいわ、話したいのは、そのことじゃないから」
 私はなるべく、さやかから離れて、彼女の左側のソファに座った。
 思い切り睨みつけても、彼女はまったく動じない。セルリアンブルーのネイルが飾る指先で、長い髪をかきあげ、きらめくダイヤのピアスを私に見せつける。その横顔は、嫌味なほど美しかった。
「目的は、お金ですか?」
 だったら、本当に消すしかない。
「お金? 馬鹿なこと言わないで。私はね、かなりの高給取りなのよ」
 ふと、まるで警報のような、嫌な予感が頭をよぎった。
「じゃあ、どうしてこんなことを?」
 お金をゆすられるより、悪いことを言われそうな気がする。
 できることなら、ドアを開けて、今すぐここから逃げ出してしまいたい。
「何か、お酒でもどうかしら?」
「いりません、もらっても飲みません」
「あら、怒っちゃったのね」
 微笑んでいたさやかは、カクテルグラスをテーブルに置き、私の顔をまっすぐに見つめて、ふっと笑顔を消した。

「あなたには、私の仕事を手伝ってほしいの」
 そして、脅すような口調で言い放つ。
 まるで氷のような、冷たい声だった。

「仕事、って」
「殺したんでしょう? あの男」
 そう呟くと、さやかは再び表情を緩めた。
 可愛らしい笑顔が、一瞬で戻ってくる。
「行方不明になって三か月。警察にも疑われずに、人ひとり消しちゃうなんて、大したものだわ。あなたには、きっと才能があるのよ」
 ふふふ。この笑い声も、さやかの話も、これ以上聞きたくない。
「私はね、殺し屋なの。クライアントの依頼を受けて、人を葬る、殺し屋」
 けれど彼女は、お菓子の話でもするような口調で、楽しそうに話を続けた。

「そんなこと、私、できません!」
 殺し屋なんて、ありえない。
 何なの、ふざけてるの?
「あなたには、断れないはずよ。あの動画、あれをネットに出されちゃ困るから、あの男を殺したんでしょう?」
「それは……」
「あら、否定しないわね。やっぱり、あなたに選択肢はないわ」
 さやかの笑顔が、この話は冗談ではないと訴えてくる。
 でも、殺し屋になれなんて、お金をゆすられるよりもひどい話だ。
「さやかさん、それだけは」
「私の夫に手を出しておいて、それだけは許してくれ、なんて言うつもりじゃないでしょうね」
 冷汗が、全身から噴き出すのがわかる。
 この女は、化け物だ。
「簡単よ。私が依頼された殺しを、あなたが実行する。報酬は、私とあなたで半分ずつ。全部巻き上げるなんて、野暮なことはしないわ」
「そんな」
「半分でも、いいお金になるわよ。そして、あなたがちゃんと働いている限り、あの動画は決して、表には出ない。悪い話じゃないでしょう?」
 お金より何より、あの動画をばらまかれたら、私は終わる。
 でも。
「あなたの仕事は、ターゲットの息の根を止めるだけよ。死体の処理は、この店のスタッフたちがするから、安心して。ここはね、私の組織の隠れ蓑なの」
 話しながら、さやかはスマートフォンを取り出し、私の前に放った。
「必要なものは、そうね、一か月以内に揃えて、この店に届けさせるわ。今後、指示はすべて、この電話にメールで送るから。24時間、連絡が取れなかったときは、あの動画が世界中のSNSに上がると思っておいて」
 身体の震えが、どうしても止まらない。
「死体ってね、見慣れるときれいなものよ。傷つけずに殺せたときは、なんて美しいセルリアンブルーなのだ、って感じるほどにね」
 そして、さやかはこんな恐ろしいことを、私にそっとささやいた。 

◇◆◇

『準備が整った。店に仕事道具を受け取りに行け』
 ちょうど一か月後、渡されたスマートフォンに、最初のメールが来た。
 それまでの間、何の連絡もなかったことから、すべてはさやかの芝居だったのかもしれないと、私は甘い期待をしていたのだ。
 でも、着信音は、鳴ってしまった。

 どうしていいかわからなくなった私が、ホストクラブに顔を出すと、あの夜と同じ男に、分厚いカーペットの部屋へ連れて行かれた。
 この男も、さやかという化け物に支配されているのだろう。
「これが毒薬、2滴あればひとり殺せます。こっちのスタンガンは強力なので、男でも気絶しますよ。この手袋は、素手同様に指先が利きます」
 おもちゃを取り出すような軽さで、災いの品が次々と、大理石のテーブルに並べられていく。
 これは、夢だ。悪い夢だ。
「あとはこれ、車につける偽のナンバープレート。銃はまだ早いですから、仕事に慣れてから練習しましょう」
「全部、私が持って帰るんですか?」
「それはそうですよ、あなたの仕事道具ですから。ひとつでも置いて帰ったら、さやかさんに言いますからね」
 神様。もう、やめてください.......。

 その夜、私は自力では寝付くことができず、あの男に使った薬を飲んで、浅い眠りに身をゆだねようとした。
 けれど、瞼を閉じると同時に、さやかの指先を彩っていた、艶めくセルリアンブルーが浮かんでくる。もう、この色に縛られずに眠れる夜は、二度と来ないのだろうか。
 死体ってね、見慣れるときれいなものよ。傷つけずに殺せたときは、なんて美しいセルリアンブルーなのだ、って感じるほどにね。
 さやかの声が、耳の中によみがえる。
 いつか、私もその美しさを、理解できるようになってしまうかもしれない。そう思うと、自分の身体が、青く冷たく沈んでいくような気がした。

〔了〕 

※こちらの企画の小説リレーです。
 ミムコさん、ありがとうございました!※

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