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なんで勉強するの?大人になっても勉強するの?勉強の本質って何だろう・・・自分なりに考えてみました。

子供からの質問あるある。

「どうして勉強するの?」「学校の勉強は大人になって役にたつの?」かつて私も学生時代に同じ思いを抱いてました。

この手の質問は意外と親は的確に答えることができなかったり、ウヤムヤにしたりします。また、「なぜ勉強しなくてはならないか」を考えて正解を見つける事も避けてきてませんか?

 実際大人になって学生時代の勉強が役に立ったか?一見すると役に立ったようには感じません。でも生きていく上で知らず知らずのうちに勉強をしてきたことによる習慣が役立ってる場合があります。

同じものを見ても捉え方・感じ方が違ってくる。

前日のテレビ番組(ドキュメント)の話を会社でしてた時、その時は某デジタルアートを取り上げてました。一方の者はその完成度と斬新さに感銘を受けて作品の内容を話してます。他方の者は作品の素晴らしさとともに、その作品ができるまでのプロセスや発想(起点)そして製作者の考えや思考を自分なりに考察してました。

僕は後者の方が優れていると思い、国語の問題で文章を読み「へ~」と感心するだけでなく、筆者の考え・思いを探求する。または数学の文章題、普段の光景から理論的に捉える。のような部分からテレビの映像から、そのバックグランドを読み解く力が備わっていくのではないかと考えます。

テレビに限った事ではなく、仕事においても上からの指示や課題に対して表面的に捉えるか・その意図するものを感じるかで成果品の質・雰囲気に差がでるのではないか。


「個」よりも「全体」 広い視野で考える

世の中は小さな小さな団体から順を追って大きくなり、全体を構築する。
「チーム」で細分化した仕事→「部署」→「支店・営業所・工場」→「会社全体」
「家庭」最小の生活単位→「学区・自治会」→「地方自治体」→「国」

仕事の捉え方
自分もしくはチームの範囲の狭い視野よりも会社全体の視野。たとえ自分が90%の評価でも会社が120%の功績を得られるのならよいのでは?将来的に考えると継続力のある会社・強い会社の方が良いですよね。

日々の生活
プライベートの場合でも、今まさに新型コロナウィルスの感染拡大の防止の対策を国をあげて必死に呼びかけています。広い目線で考える力が備わっていれば、個人のエゴにより全体の指揮を狂わす事がどれだけ損益を被るかは読めてきます。ある程度の教養がないと数多くの目先の事柄に振り回されて根本を見失う場合があります。

正しい(後悔しない)判断・選択ができる。

 皆さんは多くの人が言っていることに「そうなんだ」と解釈してないでしょうか。例えばそれな仕事中でのトラブル「あの新人は仕事できない、能力がない」など。自分の目で判断してますか?その「多くの人」は指導・教育を真摯にしてますか?今の時代と昔では育った家庭の形態も違えば、影響を受けた社会情勢も違います。何か自分の行動や考えを選択・判断する時にはちゃんと勉強し情報収集をする癖をつけなければなりません。その上で自分の考えを発していく方が健全と思います。

 世の中の情勢も同じ。何か政治判断をしなければならないケース、時事的な話題で言えば新型コロナウィルスの影響からの全国学校の一斉休校・イベント自粛等があります。意見は賛否両論です。「根拠がない。経済支援が不透明で見切り発車」との声もあります。

 ここからは私の持論・個人的な考えです。

 おかしいと思ったら考えて下さい。勉強してください。
 有事の首相の判断です。付け加えましょう「選挙で選ばれた」国会議員の指名からなる方です。国民の代表のトップなんです。猶予がある場合には政策を経て議論をして決めればよい。一刻を争う場合リーダーシップがどんなに多大な効果を発揮するか。でなければ選挙ってなんなんでしょうか。

 勉強は今後生きていく中でトラブルの対処、または大切な選択しなければならない場面に、納得のいく判断ができる事だと思う。

 幅広い知識があれば選択する内容に準じ適したカテゴリーが必要になる。今はそれが学校での学習が礎になり、それに加えて大人がいろいろな話をすることによって考える習慣が培って、自分で調べ・情報収集をして意見や考えが確立するものと思います。

勉強は大人になってからの「学力基礎」だけではないです。みんなが言ってるからそーなんだ。。。じゃダメです。自分で考え自分で調べる、つまり勉強習慣。これが意外できてない。皆がそうして初めて健康的な意見交換・議論ができると、私は思います。


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