《シン・コタツ小説 市川沙央『ハンチバック』を読むための一助として》
本当にお久し振りです。衝撃を受けた小説『ハンチバック』を読む際に、必要と思われる補注一覧のようなものを作成しました。稀に見る秀作であるこの小説を読むうえで、何らかの助けになれば幸いです。
◎<div>(初出[文學界、2023・5]:13頁上段4行目、単行本[2023・6]:3頁4行目)︙「divisionn(分割)」の略。HTMLタグの一つで、コンテンツを分割し、グループ化という意味。
◎WordPress(初:11頁上段最終行、単:7頁7行目)︙ウェブサイトを構築し管理できるシステム。
◎ミオチュブラー・ミオパチー(初:12頁下段最終行から13頁上段1行目、単:12頁4行目)︙直訳は「先天性筋肉疾患」となるでしょうか。遺伝子異常による筋組織疾患で、様々な症例があるようです。
◎Moodle(初:13頁下段9行目、単:14頁4行目)︙オープンソースのeラーニングプラットフォーム。
◎SEO(初:13頁下段17行目、単:14頁11行目)︙検索エンジン最適化。
◎Evernote(初:14頁下段1行目、単:17頁1行目)︙スケジュール等様々の情報をまとめて管理できるソフト(アプリ)。
◎筐体(初:15頁下段9行目、単:20頁最終行)︙パチンコやゲームセンターにある大型ゲーム機の外装のこと。
◎マチズム(初:17頁下段6行目、単:27頁3行目)・健常者優位主義(初:20頁上段7行目、単:35頁8行目)︙元は「男性優位主義(和製英語のマッチョと同義?)」を示す用語を、転用した模様。なお、作者市川氏は、荒井裕樹氏(障害者文化論、日本文学者)との往復書簡(「世界にとっての異物になってやりたい」(「文學界」2023・8)で、次のように記しています。
健常者優位主義のルビは本来エイブリズムとするべきところを、わざとマチズムとした私の底意は想定以上の効果を発揮しながら読者の皆様に刺さりにいってるみたいで、実のところ私は今うろたえています(略)/エイブリズムではなくマチズムというルビを振った時点で私は小説家になったのかもしれません。と言いますのも、小説家になれないならば、健常者優位主義にエイブリズムとルビを振るような、つまり学術・批評的な文章で世に出ていくと言うのはどうだろう、何かそういう道は無いかな、と去年の私はどこかような強迫観念に追い詰められながら考えていたからです。」
なお、エイブリズム(ableimu)とは、能力のある人が優れているという考え方に基づいた障害者に対する差別と社会的偏見を意味しているといわれています。
◎インセル(初:18頁下段最終行、単:31頁最終行)︙インボランタリー・セリベイト。直訳は不本意な禁欲主義者。
◎ステマ(初:19頁上段15行目、単:32頁最終行)︙ステルスマーケッティング。宣伝と気づかれることなく商品情報を発信すること。
◎ADA(初:19頁下段17行目、単:34頁8行目)︙アメリカンズ・ウィズ・ディスアビリティーズ・アクト。「障害に基づく差別の明確かつ包括的な禁止について定める法律」
◎「愛のテープは違法」事件(初:20頁上段13行目、単:35頁最終行)︙1975年、日本文芸著作権保護同盟が、文京区小石川図書館の録音サービスにクレームをつけ、2010年著作権法改正まで、許諾なしにサービスが行えませんでした。
◎スパダリ(初:20頁上段23行目、単:36頁9行目)︙スーパーダーリン、かつて「三高」と呼ばれたハイスペック男子のこと。
◎ナーロッパ(初:20頁上段23~24行目、単:36頁9行目)︙いわゆる「異世界」としての「なろう系ヨーロッパ」。ファンタジーRPG(ドラクエやスレイヤーズ)によく見られる世界観。
◎西新宿の探偵沢崎(初:20頁下段3行目、単:36頁最終行)︙原尞による探偵沢崎シリーズの主人公。シリーズ第二作目の『私が殺した少女』で直木賞を受賞しています。
◎ディスアビリティ&クィア・スタディ科目(初:20頁下段23行目、単:38頁3行目)︙心身の機能上の能力障害とセクシャルマイノリティを否定的価値観ではなく、疑義に基づいて分析・考察する科目とでもいうべきでしょうか?
◎リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(初:20頁下段24行~25行目、単:38頁4~5行目)︙1994年にエジプトのカイロで開催された国際人口開発会議において提唱された概念で、「性と生殖に関する健康と権利」と直訳される。要するに、「私のからだは私のもの」であり、「産む・産まぬは女性の自己決定」であると思われます。
◎『モナ・リザ』スプレー事件の米津知子(初:22頁下段16行目、単:44頁7行目)︙鈴木雅子「文学にみる障害者像」より、引用します。
1974年4月、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」が、パリ・ルーブル美術館から東京・上野の東京国立博物館にやって来た。4月20日から6月10日まで開かれた「モナリザ展」には、延べ150万人、一日平均3万人以上が訪れた。
開催前に、「混雑が予想されるから、付き添いが必要な障害者や老人、赤ん坊づれは観覧を遠慮した方がいい」との文化庁の談話が発表されると、各障害者団体はいっせいに反発し、抗議の電話や陳情が殺到した。このため、文化庁は一日だけの「身障者デー」を設けて、この日は障害者とその付き添いだけを無料で会場に入れると公表。ところが、「一日だけの特別扱いは障害者差別」とのさらなる批判を招く。そして開幕初日、一人の若い障害者女性が、モナリザめがけて赤いスプレーを噴霧した。スプレーは陳列ケースのガラス下部をかすめた程度で、モナリザ自体に傷はなかったものの、女性はその場で逮捕される。世にいう「モナリザ・スプレー事件」である。
最終閲覧2023・8.29(https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n346/n346014.html)
◎岩間五郎の当事者文学(初:22頁下段17行目、単:44頁8行目)︙「モナリザ・スプーレ」事件をモチーフにした自伝的小説『晒された名画』(双柿舎、一九九四)を指します。
◎朝積遊歩のカイロ宣言(初:23頁上段3行目、単:45頁4行目)︙朝積遊歩さんは、1994年、カイロで開かれた国際人口開発会議に参加し、当時日本の優生保護法という差別的な法律の存在を世界に訴えました。一九九六年の優生保護法における強制不妊手術規定廃止後、出産しました。娘さんも遊歩さんと同じく形成不全症のようです。
◎読者(初:28頁下段最終行、単:64頁3行目)︙ウォッチャーの意のネットスラング。陰でこっそり観察する人。「ヲチ」の派生語。
◎モブレ(初:29頁上段18行目、単:65頁5~6行目)︙いわゆる二次創作で既存のキャラがモブキャラ(その他大勢)にレイプされる描写がある作品。
◎L・モンゴメリの“Anne of Ingleside”(初:31頁下段8行目、単:72頁10~11行目)︙NHKの朝ドラで有名になった村岡花子の『赤毛のアン』シリーズの第七巻「炉辺荘のアン」のこと。
◎ミサト(初:32頁上段21行目、単:75頁6行目)︙『エヴァンゲリオン』シリーズの葛城ミサトのことか?
◎ゴクよ、・・・これはわたしが言った日である。(初:34頁上段15~下段9行目、単:81頁10~83頁1行目)︙菊間晴子「「受胎小説」の引力――『ハンチバック論』」(「文學界」2023・9)より引用します。
唐突に引用される』旧約エゼキエル書』の抜粋―--ゴグの反乱が神の怒りを買う場面―--は、L・モンゴメリー『炉辺荘のアン』に登場する陶製の番犬〈ゴクとマゴグ〉のイメージと重なり合い、イングルサイドという 〈涅槃〉に清く咲く〈蓮の花〉としての自己像の呪縛から逃れられなかった釈迦の生が、ついに変容し崩れゆく瞬間を暗示していると読めるだろうか(このようなイメージの連鎖と広がりの面白さも、本作の大きな魅力である)。
頂戴したサポートは、活きた形で使いたいと思っています。是非、よろしくお願い致します。