Twitterそれは蛮族入り混じるマスカレード


 最近Twitterの様子がおかしい。他人に対しての批評が目立ちすぎではないだろうか。

 非匿名性のSNSとしてはFacebook、美しかったり面白かったりする写真動画の投稿先としてはInstagramやTikTok等が台頭している。こうした中で、Twitterの「匿名アカウントの多さ」という特徴が良くも悪くも強調されてきているのではないだろうか。

そしてこの匿名性による歪み、他人だけだなく自身にも向いてしまってはいないだろうか。

 匿名性ゆえに人は好き勝手な投稿をする。それは時にタガが外れたが故の面白さを生むことにもつながるし、逆に他人を傷つけることにもつながる。最近は特に礼節を弁えない投稿も多くなってきている。

 たとえば大学の教授など専門家の専門分野での発言に対し、聞きかじりの知識で批判を浴びせるようなことを出来る人は現実ではいないだろう。学会で素人質問といって批判をあげる人間なぞ、素人なわけがないのである。それに、いくら論破があったとしても話の分からん人間が便乗して殴ってくることはない。皆そこにいる人は多かれ少なかれ、その人物がそこに至るまでの積み重ねたものについて想像できる部分があり、敬意を持っているからである。

しかし悲しきかなTwitterでは、一度そのツイートへのカウンターが入れば、その分野をかじりもしない本当の素人まで混じって殴ってくることも少なくない。そんな彼らは、自身が何者であるか今一度自問すべきではないだろうか。

 また、最近は自身の観念が一般性をもつと誤解しているらしい投稿も多い。自身の観念にそぐわないものを社会悪ととらえ、攻撃してしまっている。これもまた個人としての自己を見失っての行動ではないだろうか。

 たとえば、ビュッフェに行ったとする。そこでは自分が嫌いな料理も大皿に並び、なんなら匂いも放っているかもしれない。しかし、だからといって「その大皿は私は嫌い。目に入れるのすら我慢ならないので下げて。」などという個人はいないだろう。自身はあくまで個人であり、同様に個人である他者も周りに並んでいることを現実に感じ、弁えているからであろう。

しかし、Twitterにおいては自身は匿名性を帯びている。その状態で、自身の発言に数百数千程度の賛同者まで見られたとなれば、慣れない人間であれば自身の発言が一般性をもつと誤認してしまうには十分なことであろう。ただ実際には国内アクティブアカウント4500万以上のうち、数千数万など1パーセントにも遠く及ばぬ数であり、冷静に考えれば一般性を見出すことなど無理筋なのである。

いくら仮面舞踏会のように匿名性がある場でも、自身そして相手も敬意を持つべき個人であることを弁えることはこの時代重要であろう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?