「自由に」と「勝手気まま」にの違い
不登校の生徒を受け入れるようになって、つくづく感じることがある。
それは保護者に対してである。
不登校の子を持つ親子さんから良く聞く言葉は
「勉強だけが全てじゃないと思っています」
とか
「そんなに学校が嫌なら学校に行かなくても、本人が好きな事をさせてやりたい」というフレーズです。
学校に行かない我が子に、心底寄り添った挙げ句に出てくる言葉なのだと思う。
確かに、学校だけが、勉強だけが、全てだとは私も思っていない。
ただ、裏返して見てみると、
嫌だなぁと思いながらも学校に行っている子、勉強はあまり好きではないと言いながら、それでもそれなりに努力している子の保護者から、
「そんなに嫌なら、行かなければ(やらなけれは)いいじゃないか」という言葉を聞いたことがない。
不登校の子を持つ親にら保護者には、
この子は何がしたいのだろうか?と、我が子の気持ちに寄り添い、時には子どもとぶつかり合いながらも、学校教育の以外の道を我が子と一緒に模索する保護者と、
ただ単に子どもの意志に負けた上で、子どもの気持ちに寄り添う振りをしている体裁型、
の2パターンの親がいると感じている。
体裁型の保護者は、我が子をコントロールすることができなくなった挙げ句に
「この子の好きなコトをさせてやりたい」と言って表面を取り繕うのだ。
「自由に」と言いながら、「勝手気ままに」を推奨してしまっていることに気付いて欲しいと思う。
そんな憎まれ口を叩きたくなるくらい、そういった事を言う保護者は、子どもに甘過ぎるか、無意味に厳し過ぎるのだ。
我が子にイエローサインが見えた時には、まずは親としての自分の在り方を客観的に振り返ってみることをお勧めします。
それは自虐的になれと言うことではなく、ブレることなく一貫して我が子に伝えたかった信念は何なのか?を思い返していただきたいのです。
子どもは思ったようには育ちませんが、育てたように育ちます。
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