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【2018忍殺再読】「カウンシル・フジミ」

みんな大好き会議パート

 AOMシーズン2、第6話。みんな大好き、私も大好き、群像劇でキャラクターが集合して話し合いをする回……かと思いきや、後半でとんでもなく話が動きましたね。ビビります。それにつけても、マスラダ、ゾーイ、フジキド、スーサイド、シキベ、ガンドー、コトブキ、ゾーイ、ロボ(タキ)という面子の豪華さよ。スーサイドとシキベが会話することになるだなんて、第一部第二部読んでた頃に誰が予想できたというのか。創作においてキャラクターは財産とはよく聞く話ですが、実際、育ったキャラクター同士の会話ってもうそれだけで強烈にエンターテイメントなんですなあ。AとBが接触するとして、どんな反応が起こるのか、物語の動きがどう変化するのかという思考実験を実環境(原作本編)で実施する贅沢よ。

 ピザを食べるだけでも個々のキャラクターが強く表れているのがいいですね! まずゾーイにピザを取り分けようとするコトブキとか、取り分ける気さらさらなくてひたすら出てきたものをもぐもぐ食ってるマスラダとかな。個人的には、率先してピザを切り分けるスーサイドがよかったです。スーサイドは確かに本人も自覚しないままに、すっとそういうことをやる。ヤンクでヤクザでパンク・ニンジャな彼ですけど、素体となったモータル・間口くんは進学校通いの少年なんですよな。アフロが少年を変えてしまった……。マスラダくんもちょっとは見習った方がいいのでは? ピザとスシをいっしょに食べるんじゃありませんよほんと。

みんな大好き敵組織同士の戦い

 ソウカイヤと過冬の抗争にがっつり尺がとられているのも本エピソードの魅力です。スノーマンvsシガーカッターがマジ最高でシーズン2ベストバウト候補なんすよって話はこの後するとして、前半ザッピングされてゆく過冬の情景描写も絶品なんですよね。パチンコ屋のシークエンスが好き。あえて、ネオサイタマの不快な環境を再現してるってのがよさ。壁に貼られた「依存症は危険。守りたい」のポスターも、欺瞞ポスターではなく、「ネオサイタマの欺瞞ポスター」の再現なんでしょうか。ネオサイタマに憧れるシトカ市民がこれを見て「この欺瞞さがネオサイタマなんだよな~」って痺れてるんですかね。ヘッズかな?

 で、スノーマンvsシガーカッターがマジ最高でシーズン2ベストバウト候補なんすよって話ですよ。私はこのイクサが本当に大好きでして、特にシガーカッターの三段スライド居合切りが大好きでして、個別に記事(下参照)を書いてしまっているくらいなんですが、対するスノーマンも実にかっこいいんですよ。

 斬撃が弱点だから、斬撃の対処が得意とさらっと言い切る戦士としての地力の高さですよね。初見殺しを見慣れた歴戦のイクサ強者同士が初見殺しをバチバチ打ちあう華ですよ。剣術対忍術という時代劇さながらのイクサでありながら、両者共にその上にサイバーパンクなテックを乗っけているもたまりません。初撃から終幕まで王道をはずれぬシンプルな内容でありながら、それらを取り巻く装飾がとことん尖っていて忍殺的。最後にスノーマンが呟くザルニーツァへの思慕も絶品でして、物語を通して描かれてきたワイズマンという集団、シンウィンターという男、ザルニーツァの立場を考えると、そこに1エピソード以上の情報量を持つドラマがあることが察せられるのですが、「察せられる」に留めてこの呟き以上のことは何も語らない。この辺の「あえて書きすぎること」と「あえて書かないこと」のバランス感覚は本当にボンモーうまいですよね……。

最終決戦かな?

 マスラダ・フジキドvsシンウィンターvsケイトー・ニンジャの三つ巴! どう見ても最終決戦ですが、1シーズン全12話とするとまだ折り返しなんですよね。敵の本拠地に単身殴り込みかけるのはニンジャスレイヤーの得意技なわけですが、今回それをやり返された形になるわけですね。特に興味深いのはサツバツナイトとシンウィンターの「家族」についての問答でしょうか。サツバツナイトはシンウィンターの家族論を欺瞞と罵倒してますが、実はこれ欺瞞ではなくて、シンウィンターにとっての「家族」とは本当にそういうものなんですよね。互いの「家族」の定義が異なるため、会話が成立していない。語彙は人によって異なるため、作者の意図を読み取ることは不可能って言ってたのは京極夏彦でしたっけ?(邪魅の雫だったかな……) 語彙の差異によるすれ違いは、今後、ザルニーツァとシンウィンターの親子関係でも大きく取り扱われることになりますね。

 ヘッズ間でケイトー・ニンジャでしょこいつと囁かれてきたクローザーでしたが、見事大当たりでしたね。うさん臭さで同定されるリアルニンジャ……。リアルニンジャの格の高さは往々にして「話の通じなさ」として表現されることが多いと思うのですが、「言葉」が行動となるSNSにおいてそれはポンコツ要素として転換されます(第四部におけるボンモーの大きな発明の一つだと思う)。ですが、ケイトー・ニンジャはナラクの解説といい、ジャーナリストを名乗っていたことといいどうやら言葉のプロくさい。彼のニンジャとしてのポテンシャルは、太古の時代よりもむしろAOM時代に適しているのかもしれない。何より、獲物のボーがペンの形をしていたのが底知れないですよね。コトダマの上に張り付いた、相互読解・相互解釈の忍殺世界において自ら書き記す道具を持っているというのは余りに不気味。キョジツテンカンホーや再定義ですら、読み手の読解能力操作や既存文章の改竄であって、「書く」行為ではなかったですし(ザ・ヴァーティゴさんのアレはどうなんでしょうね)。創造能力に欠けたニンジャ、その頂点であるリアルニンジャが筆記用具を持っているという事実はあまりにも不気味。

■note版で再読
■11月11日