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最近読んだアレやコレ(2021.02.21)

 今回は記事見出しをnoteが連携してるCanvaなるもので作ってみたのですが、アレですね。よくわからないですね。最後まで文字を任意のフォントに変える方法がわからなかった。前書きに書くことが特にないので、最近自分がハマってる漫画をおすすめするんですが、ジャンププラスの『ハイパーインフレーション』がめちゃくちゃおもしろいです。第1話で超おもしれぇじゃん!ってなってから現在第7話まで、ずっと信じられないくらいおもしろい。まだ全話無料なので皆読むように。性的絶頂と共に身体から偽札が噴き出る体質になった奴隷の美少年が、その能力で世界を買って成り上がるという破天荒な作品なんですが、ギャンブルやマネーゲーム、多くの要素を含みつつもシナリオが徹底的に理詰めに組まれているのが素晴らしい。というか、突飛な設定や作者のリビドーを最優先してそれらを理詰めに繋げた結果、結果的に破天荒な内容になってしまっているとでも言うべきでしょうか。ねじくれた接続が、物語を強烈にツイストさせている。最近、ようやくヒロインらしきキャラが出てきたのですが、言語能力や人間文明を理解しない獣みたいな奴で、常に画面上で全裸でGRRRRとうめいており、なんかもう凄いです。

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陰摩羅鬼の瑕(2)/京極夏彦

(1)の感想はこちら。小説家、探偵、親族。「鳥の城」に役者は揃い、花嫁の死が予告された婚礼の儀は粛々と進行される。ついに迎えた初夜の時、事件はやはり起きるのか? 文庫本で1000ページ越えの分量でありながら、事件発生まで全体2/3を費やすという、なかなか強烈なペース配分。とはいえ、この「鳥の城」という異界、『陰摩羅鬼の瑕』という事件を成立させ、納得に足る力を持たせるには、これだけの下準備が必要ということなのでしょう。人間のその瞬間の認識や行動には、それが起こりうるだけの環境的原因や個人的原因があり、それらの全てを描き尽くすからこそ、自己と他者の交錯点で発生する「事件」は、「妖怪」は、確かな実在性を持って、読者すらをも異界へと引きずり込みうるのでしょう。ひたすらに事件を構成するキャラクター/ドラマという部品を、狂いの生じぬようにヤスリをかけて精度高く仕上げてゆく過程が、これほどの分量を費やすに至った理由であり、必然性なのだと思います。それが、最終的に憑き物落としによって解体されるものなのだとしても、いや、ものなのだからこそ、妖怪は大切に育てる必要があるのだと思います。


陰摩羅鬼の瑕(3)/京極夏彦

 花嫁の死。悲嘆にくれる伯爵。誰もが「鳥の城」の異界の論理に呑まれてゆく中、ついに憑き物落としが到着し、事件の全てが解体される。いやはや、何度読んでも素晴らしく、自分がミステリに、それどころかフィクションに求めるものが最高最善最適に発揮されたオールタイムベストの1つであるなあという再確認をすることになりました。あまりにも好きすぎるので、あえて趣味に合わない点を挙げるとするならば、終盤の若干「泣かせにきてる」感がやや苦手かなあという気もするのですが……。ともかく、自分と異なる認識との出会いというのは、読書という娯楽において味わえる最も芳醇な悦びの1つであり、それが認識という枠すら超え、1つの世界……「異界」として物語になっているのは、(自分にとって)この上ないフィクション体験であることよなあということです。そして、それが、自分に比較的近い世界の中に置かれたとき、どういう挙動をとるのかというある種の冷酷な視点もとても好きです。シリーズファン目線で見るのであれば、『姑獲鳥の夏』との見事な対であり、その中において関口がとる立ち位置が全く同じであり、しかし、全く異なっていることも素晴らしい。確かにそこにある本物の「異界」を、そしてそれが崩れ去る瞬間を、私は何度も読み返し、うっとりと目に焼き付けています。


死者と言葉を交わすなかれ/森川智喜

 ワンテーマライトミステリの名手、森川智喜の最新作。なんか陰摩羅鬼と妙にシナジーのあるタイトルですが、意図したわけではなく偶然です。不審死を遂げた男が、死の直前に死者と対話している様子が録音された。その不気味な対話の正体は何なのか?……前面に打ち出された怪奇色にはカー作品を想起させられたのですが、結果的に全く違う方向に転んでゆきました。最終的にタイトルへと帰結する本作のギミックは、非常にシンプルなワンアイデアであり、その1点を炸裂させるために本作の全ては組まれ、仕掛けられています。シンプル・シャープ・ワンテーマでありながら複数のアイデアが練り込まれることの多い森川作品の中でも、極め付けにライトカロリーかつ、キオスク小説(電車に乗る前にキオスクで買って、読み終わってポンと気軽に捨てられるよう設計された優れた小説)を極めた1冊かもしれません。たった1つに絞り込まれただけあって、そのギミックはなかなか強烈なもので……少しネタバレをするならば……非常に趣味が悪く、ニコニコしてしまいました。最終パートで「仕掛け」を全部丁寧に羅列するのが、あけすけで好きです。


ダンジョン飯(5~10巻)/九井諒子

 レッドドラゴンを食ってからの展開を何故か毎回忘れてしまうため、新刊が出るたびに5巻以降を読み返すことになってしまうダンジョン飯。既存ファンタジーを現実的な(という表現はあまり正しくないかもしれませんが)視点をもって解体・再解釈するというアイデア自体は手垢のついたものですが、それを「食事」という観点から行い、それを通じて、有る種の生物学的な方向への興味深さに繋げているのが、べらぼうによいシリーズです。5巻以降は、「ファンタジー生物を食う」というシンプルなコンセプトから脱し、この世界自体のお話が動き出してゆくわけですが、どれだけ規模が広がろうとも、ストーリー重視になろうとも、根底にあるものが「食べること」であり、生物という構造に対する客体的な分析・解体であることが、いい意味での「人でなし」であり、はたまた「人間らしさ」でもあり、愉快です。そういう点では、主人公のライオスたちですら、有機物の塊でしかないとみなす10巻最後の展開は素敵ですね。しかし、ただのフレーバーテキストかに思えた「古代の王が地上に姿を現し塵となって消えた」にまで、明確な意味と理屈があったのには驚きました。理詰めだなあ。

 ……蛇足ですけど、本作は傑作児童文学『こそあどの森』、『K・スギャーマ博士の植物図鑑』と血脈を共有する作品だと思うので、ファンには是非そっちもチェックして欲しいですね。


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