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【忍殺】人生で最も女子高生について考えた四日間

 いやあ、フォ・フーム・ザ・ベル・トールズめちゃくちゃおもしろかったですね。私はニンジャスレイヤープラス購読者なので、note版が初読なのですけど、その時も余りのおもしろさにぶったまげて読後三時間くらい何も手がつかなかった気がします。それにしてもこのエピソード、とんでもなくカロリーが高いですね。消化するのに時間がかかる。twitter連載は四日間にわたって続けられたわけですが、この間、プライベート時間の全てを女子高生収容所について考えることに費やしてしまいましたよ私は。朝起きてビジネスにいそしみ、帰宅と同時に女子高生収容所に入所する日々……。noteを全然更新できなかったのも、2018年の忍殺再読が全く進められなかったのもこのためです。入力が大仕事過ぎて、出力にまわす体力が残らない。他の入力を行う余地も全くない。

 今回のプラスエピソードtwitter公開投票、「フォ・フーム・ザ・ベル・トールズ」か「ノー・ワン・ゼア」で最後まで迷ったんですけど、結果的には女子高生収容所に投票してよかったなあと。両者共、ニンジャスレイヤーという小説の根幹を特殊な形式や装飾で表現した超ディープな傑作短編であり、ディープ度であれば「ノー・ワン・ゼア」が勝ると思うのですが(個人的な好みもノー・ワン・ゼアの方が上)、実況・共有して楽しいのは絶対女子高生収容所だと思ったんですよ。とにかくフックの数が多いですし(女子高生収容所!女子高生原子分解ビーム!エヴァポさんの場違いなチート性能!三角関数!OLアサリさん!)、女子高生収容所という忍殺屈指の恐怖・虚無とAOM時代でのヤモトの在り方、何より「女子高生性」という概念について、他のヘッズの感想や解釈を大量に摂取したかった。

 やっぱり自分と違う解釈が一番おいしいですよね。該当ツイートは既にネットの海原に流れてしまいリンクが貼れず記憶もあやふやではあるのですが……「女子高生たちがヤモトに「女子高生よりも強く気高く神々しいもの」を見たのは、ヤモトが大人の女性であるため」という感想がすばらしかった。

 私は、女子高生収容所で描かれたヤモトは「女子高生のニンジャ」という他者の主観内に存在するニンジャ型ヒーローとしての姿であり、ゆえに最後のアサヤモ飲み会で示された「大人になった人間ヤモト・コキ」とは断絶しているものと読んでいました。女子高生収容所の机上の空論であったはずの「それのみが切り出された女子高生性」が、ニンジャという存在を介して顕現したという読解ですね。他者の主観内に存在する女子高生・ヒーローのヤモトと、本人と読者の主観内に存在する大人・人間のヤモトは、観測者と観測者の間にひかれた境界線によって断絶しており、いずれもが真実として並立する。しかし、上の読解を適用した場合、他者である女子高生の視点を橋渡しにして、女子高生・ヒーローのヤモトと大人・人間のヤモトが混ざり合うことになる。そして後者が明確に真実となる。この場合、このエピソードはヤモト・コキを中心に据えたエピソード……女子高校収容所パートを問題編、飲み会パートを解決編としたある種のミステリちっくなものとして読めるんですね。この読み方は全く思いつかなかったです。思わず膝を打ちました。おもしろい。

 また、これは複数見つけたのですが「女子高生エクソダスとアサヤモ飲み会パートは書きすぎであり蛇足」という意見も大変な慧眼だと思います。アサヤモ飲み会パートについては、私の解釈は前述の通りなので、私の中では絶対に必要なエピローグ(読者の想像の余地上ではなく、明確に彼女が「女子高生ではない」ことを示されてこそなので)なんですけど、仮にエピローグを切ったらどうかと想像してみるとそれもまた別の形としてめちゃくちゃおもしろくなると思うんですよね。というかそれたぶん「ノー・ワン・ゼア」に近いものになるんじゃないかな。ニンジャ型ヒーローを他者の主観内の視点のみから一方的に描くわけですからね。第一部に散見される「モータルのエピソード」としての味わいも増すかもしれません。

 で、女子高生エクソダスについてですが……。

 ほんとだ書きすぎかもしれんこれ! 「桜色の灯に導かれ果てなき荒野をわたる女子高生の一団」という全てを表す最高に強い映像がある以上、地の文さんによる言語化はその情景の解像度を落とす行為なんじゃなかろうか。これはnote版読んでたときは全く気付かなかったです。すげえ読み達者。ただ、神話的光景に大興奮して思わず饒舌になってしまう地の文さんの魅力も捨てがたいものがあるんですよね……難しいですね……。個人的には言葉による説明は廃して情景のみで表現してくれた方が好みかなあ。