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NECRO5:動物大集合(2)

【あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。
・今回の主役はネクロではない。

【登場人物紹介】
・タキビ:人型のタキビ。口が悪く気が強い。
・ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
・カット:全身爪人間。無口。
・アイサ:皆殺しのアイサ。ネクロの恋人。幼稚。
・ジル:底なしのジル。ネクロの恋人。興味しんしん。
・バレエ生命いのちのバレエ。ネクロの恋人。涙もろい。
・グンジ:腑分けのグンジ。ネクロの恋人。ひどく怖がり。
・シラギク真白ましろの檻のシラギク。家族思い。
・キクラゲ:型崩れのキクラゲ。シラギクの夫。
・ヤマネ白爪しろづめのヤマネ。シラギクの娘。
・その他の白菊邸の人たち:サン、ヒュー、ギジンなど。

(1)より

■■■

 「島」にあるものは、無色と繰り返し、それだけだった。空が見えているにも関わらず時間の感覚が希薄で、ただ平坦に死が引き延ばされていた。脱色された死骸の山が、蠅の群れと腐臭をまといながらなだらかな起伏を作り、その一定のリズムで上り下るだけの地面には、肉の裂け目のくれないが点々と散っている。それだけの光景の、延々と続く反復。1歩ごとに足裏に返る感触は肉の柔らかさを備えていたが、冷え切った死体の温度とグラフ用紙の上を歩いているような虚無感が、硬質さを誤認させてくる。

「……バレエさんは、本当にこの『島』に?」

「基本的にはね」

 応じたジルは、振り返らないまま子供の歩幅で肉を踏む。蠅の靄を散らしながら、ピンクのフードの首元でぼんぼんが跳ねている。

「市役所から犯罪者に認定されたのがきっかけだったかな。バレエちゃんは他人に迷惑をかけるのを嫌ってるから、大体ここに引っ込んでる」

「へえ……この街では珍しいですよね、そういう人」

『あまったれの、ふぬけのクズなんだよ』

 「吐き捨てるように」のお手本のような口ぶりで、アイサが口を挟んだ。タキビの語彙に訳すなら「人懐っこい、気遣いができる善人」とでもなるだろうか。多くの不死者が失った高い共感性と、それに基づいた利他行為。「島」に渡る前、バレエの評判を聞き集めたところ、多くの市民が「彼女は優しい」と語っていたことをタキビは思い出した。思いやり、理性、善意……。そして言うまでもなくその名の〈生命いのち〉。聞き及んだ限り、バレエという不死者の気質はすべてが臓腐ぞうふ市にそぐわない。

「優しい……ねえ。あいつがねえ……」

 ただ、ジルの意見は違うようだった。こちらに背を向けたまま、こらえるようにクツクツと笑っている。それに同調するようにアイサもタキビのへそから排ガスを噴き、たかる蠅を追い払った。

「タキビちゃん、じゃあさ、この前のユビキちゃんの事件のことはどう思う? たぶん、あの時いちばん街を壊したのはバレエちゃんだよ」

「はあ、まあ。知らないですね」

「……1個教えてあげる。これはサザンカが言ってたことだけど」

「姉さんが?」

「バレエちゃんはね、恋人の中でいちばんネクロに似てるってさ」

 どういう意味ですか、というタキビの問いかけは、急に足を止めたジルによって遮られた。その視線の先では、小型の動物が1匹、死骸の上で丸まっていた。尖った耳と、伸びた髭。その全身が人のものより柔らかな毛に覆われている。……猫。とうの昔に滅んだはずの脊椎動物その1種。ターキッシュアンゴラという品種名をタキビは知らなかったが、その姿には見覚えがあった。意外な再会にタキビだけでなくカットも緩み、その隙は致命的だった。

「申し訳ないね、お嬢さんたち」

 猫の外見に似合わないバリトンボイスを合図に、近くの死体の山が爆ぜ、歪な人影が3つ、弾丸のようにジルに襲いかかった。少女の肉体にその内の1つが触れる直前、ばくん、と咬合音が鳴る。食べた、とタキビは思った。保存則に唾を吐きかけ際限なく肉が増えてゆく臓腐市では、時折帳尻を合わせるように物理実体が消滅する。ジルという少女はその現象の翻訳であり、アバターだった。〈底なし〉の名に相応しく、物理のレイヤーにおいて彼女が食えないものはない……だから、これは例外にあたる。

 衝突の瞬間、コンマの停止に、タキビはそれが大型鳥類の脚を思わせる巨大な骨格であることを見て取った。その脚は〈底なし〉の咀嚼を受けてもなお健在で、ジルの小ぶりな頭部を真正面から無惨に潰していた。直後、その中身である眼球や歯が、花火のように飛び散る。言うまでもなく、不死者の戦闘は死で決着しない。3人の襲撃者が残った首から下を油断なく取り囲む。1人がスカート。2人はズボン。共通してネクタイとブレザー。学生服。

「ジルさ……」

 声を発し終える前に、タキビは頬に指を引っかけられた。そのまま屍肉の地面に引き倒される。はしゃくように飛び上がった動物が宙から影を落とす。チンパンジー、とすぐに名前を思い出したが意味はない。既にその不死者の形は崩れ、別の動物になっていた。大木とゴムの中間のような質感の皮膚。キロではなくトンの単位を想像させる重量感……アフリカゾウが頭上から落下する。タキビよりも早くカットが反応し、右腕が跳ね上がる。

「………!……!!」

 名前通りにゾウを切断したカットの爪は、空中で大きくしなり、2つに別れた肉を左右に押しのけてタキビが潰れるのを防いだ。血と臓物の土砂降りの中、肉の塊が屍肉の大地に激突する音が左から1つだけ。……右の1つが足りない。タキビが気がつくと同時に、肉のロープが首に巻きついた。ゾウの右半分から形を変えて、爪をたどってきたのだと理解する。ヘビ。大きな。オオアナコンダ。猫の時と同じ、滑らかな低い声。

「妻に頼まれたんだよ。バレエさんと一緒に君たちも連れてゆく」

 キクラゲさん、とその名を呼ぼうとしたが首が絞められ返答できない。〈型崩れのキクラゲ〉。ヒトという設定を忘れ、魂ごと生物種を越境する化け戻り。血濡れの視界の向こうで、倒れたアフリカゾウの左半分もシルエットを変えてゆく。輪郭は大型のトカゲを思わせる胴部となり、首が生え、牙と角を備えた頭部ができる。巨大な翼がめりめりと持ち上がり、皺をのばすように羽ばたいた。『へえ、ファンタジーもありなんだ』 腹の中でアイサがのんきに呟いた。

 その実在しないはずの動物は……ドラゴンは、岩石彫刻のような大きな口を開け、赤熱するその喉奥をタキビに見せた。唾をのむように長い首がうねる。並んだ牙の周囲の大気が高熱で歪む。ルビーを思わせる輝きを放ち、つぼまる瞳孔。『キツそうなら、手伝うけどどうする?』アイサが言った。タキビは首が絞まり返答できない。『このままだと、まるこげだ』 タキビは返答できない。『ちゃんとたのんでくれなきゃ、しらないよ』 返答できない。ドラゴンが息を吸う。炎が吐き出され、アイサが嘲笑わらう。

 じゅ、という音と共に、タキビの視界が白く塗りつぶされた。焼き切れた眼球を回復し、まず視界に入ったのは自分の腹を突き破って飛び出すグロテスクな機械だった。そこから消しゴムをかけたように、景色が丸くくりぬかれている。熱線に束ねてアイサが放った一撃は、軌道上にある「島」と海ごとドラゴンを消滅させていた。

「まいったね」

 オオアナコンダがしおれ、するするとタキビの背を伝って地面に降りた。ようやく自由になった首をさすり、身を起こす。深呼吸を1つ、2つ、せき込んで、声を出す。

「……キクラゲさん、諦めてください」

「従おう。僕は諦める。だが、彼らはそうもいかない」

 キクラゲが鎌首をしゃくり、学生服の1人を示した。骨でできたワニの口吻によってジルが無抵抗のまま下半身を咀嚼されていた。少女の首は折れ、牙の隙間から垂れさがった頭蓋がフードのぼんぼりのように揺れている。死に体のジルは見られていることに気がついたらしく、引きつれて皮膚のはげた細い両腕でバツを作り、タキビの背後を指さした。

 とん、と肩に感触があった。振り向こうとし、頬が触れ合ったことで、顎を肩に乗せられたのだと気がついた。人肌のひやりとした感触にタキビは少したじろぐ。その動揺を嗅ぎ取るように、その不死者は形のいい鼻をタキビの首筋に押しつけた。鼻息が肌をなで、くすぐる。

「〈皆殺しのアイサ〉……ふうん、混ざってんだね……。で、体に巻いてるのが《切断》か。これならまあ、なんとかなるかな……」

「あ、あの、あなたは」

「タキビちゃんだっけ。あたしはヤマネ。じゃね」

 ダンプに轢かれたような衝撃。宙に打ち上げられたと理解できたのは、血反吐をまき散らしながらその不死者……ヤマネを見下ろした時だった。幼さを残した華奢な体躯は、この街では珍しい学生服によく合っている。ただ、両腕に装着された無骨な籠手が全てのバランスを崩していた。骨でできたその装備には背丈の半分ほどもある巨大な鉈が、上げれられた右手に5枚、下がったままの左手に5枚。

 カットに守られ、皮膚は切れていない。アイサが絡まり、骨も折れていない。だが、隙間の樹脂にくは潰れジュースになり、汁が体の穴から噴き出している。衝撃によって人工臓器も大半が破裂していた。だが回復を待っていては間に合わないだろう。みっともなく着地しながら、タキビは右掌を包む爪を握り締めた。尺骨伝いに延ばしたアイサの鉄をカットの爪に編み込む。敵意と悪意の熱を伝え、飴を混ぜるように溶かしあわせる。

『くるぞ。うけろ』

 アイサの声に反射的に右手を突き出す。ダンプ2台目。大鉈5枚、横薙ぎの斬撃。食いしばった奥歯が砕ける。体制を崩し、尻から落ちる。だが防ぐことはできていた。右掌から延びたまだらの刃物。爪と鉄のマーブル模様で彩色された刀身には傷1つない。タキビは安堵し、この《カッター》のアイデアを出したグンジに心中で感謝した。更なる追撃はなぜか無い。潰れた体を回復させながら立ち上がる。熱線で散っていた蠅が再び群れ集まり、視界に灰色の靄をかけてゆく。

「なに、それ……?」

 攻撃を防がれたことにヤマネは衝撃を受けたようだった。自分の両腕を覆う骨格とタキビの得物を見比べている。白菊邸の私兵が恐れられる理由の1つに、彼らが身に着ける外装骨格の性能があった。動物を模したその骨は、刃に研がれれば何より鋭く、檻に組まれれば決して壊れない……その性能は《カッター》を試すのに丁度よかった。とりあえず刃は防げた。しかし、《骨》の真価が檻であることをタキビは事前に聞いていた。ここからが試験の本番。両腕の骨格を狙い、切りかかる。

「ひっ!」

 ヤマネは壊れないはずの骨を庇うように身をよじり、小さく悲鳴をあげた。戦闘のプロが見せた予想外の反応に、タキビは反射的に攻撃を止めかかる。しかし、内と外から操作され、肉体はそのまま右手を振り抜いてゆく。嗜虐趣味のアイサはヤマネが見せた反応に舌なめずりし、普段は優しいカットも戦闘中はその共感性を凍りつかせている。待って、とタキビは声を上げるが無視される。陶器を打ち合わせるような高い音。衝撃で蠅の靄が揺蕩う。

『だめだっ! なまくら! クソッ……』

 アイサが悪態をつく。肉体が鉄のバネによって内側から縮み、伸ばされ、タキビの意思とは別に再び斬りつける。ヤマネの怯えたような声。高く、硬い音。試験の結果は出た。《カッター》は《骨》を断てず、傷もつけられない。だが、カットとアイサは攻撃を緩めず、タキビという人型の肉体は自動的に斬撃を撃ってゆく。骨と爪が何度も火花を散らすのを傍観しながら、タキビはグンジの説明を思い出す。

『カットの肉体はネクロさんの恋人の老廃物がベースとなっています。当然、その中にはハヤシさんの肉体であるレコード、ミィさんの肉体である非実体も含まれている。通常の物理実体から逸脱したその組成は、魂子実体ではないにせよ限りなく似た振る舞いをその肉体にとらせています。ネクロさんのナイフに押し負けることは電波塔の件で確認済ですが……《ネクロのナイフ》を数度防げるというだけでも革新的と言えるでしょう。あれは正真正銘、本物の魂子実体ですからね』

 いつも通り、一方的にわけのわからない説明を聞かされたことも思い出し、嫌になったが、我慢する。

『では、押し勝つにはどうするか。出力を上げてやればいい。由来を同じくするアイサさんの肉体を接続し、エネルギーを流し込みましょう。ネクロさんの戯言に倣うなら、歯は爪より、鉄は歯より堅いというわけです。もちろん、前世紀の兵器全てが持つエネルギー程度では魂子実体の破壊は到底望めませんが、壊さないまま打ちあえる回数は飛躍的に増えるはず。半魂子実体まがいものである白菊邸の装備程度なら、破壊も可能でしょう』

 ……要約すると、頑丈なカットにアイサのパワーを合体させて何でも斬れる折れない刃物を作ろう、という話だった。だが、その理屈に倣って作った《カッター》は、理屈通りの成果をあげなかった。実力も経験も全てが足りていないと、タキビは自分を評価した。いざとなれば肉体を主導するのもカットとアイサだ。今の私にはネクロを嫌う気持ち以外の何がある? あいつが愛でナイフを研ぐのなら、私は何でカッターを磨けばいい?

『骨をしゃぶるだけが取り柄のいぬころが! 』

「………!………!……………!!!」

 敵意と殺意の自家中毒で狂ったようにわめいているアイサも、それをいさめながら冷静に判断と行動を選択してゆくカットも、自分の外にいた。2人のパートナーに内外から操作され、鮮やかに敵と切り結んでいる自分のからだも人形のように他人事だった。一体、私は何をしているんだろう、とタキビはふと冷静になり、目の前にいる敵の……ヤマネの顔を見た。

 ほの赤い頬と長いまつげが歪んでいる。半笑い? 泣き顔? 《骨》と《カッター》がぶつかる度に浮かぶその表情は、親から何度も殴られた子供が拳を振り上げるポーズを見て怯えているようにタキビには見えた。なぜだろう。今も殺し合いを続けている肉体のことを忘れ、慮る。今、自分が持っているものはそれだけだからだ。バレエのような大きな逸脱ではない、ほんの少しだけ不死者の平均からはみ出した共感能力。彼女のことを知りたい……話がしたい。タキビのその小さな望みを塗りつぶすように、網膜が再度煮え、ヤマネの顔は熱線で消し飛んだ。

「………?……!!」

『だまれ爪。どうせ斬れないんだから、もういいだろ』

 熱線によって平らに焦げた「島」の地面に、骨だけが転がっていた。焼けた屍肉でできた灰と煤の中、火葬で焼け残ったようにそこだけが真白に抜けている。骨はその表面の無傷を蔓草のように這い上がらせ、ヤマネの肉体を内側から回復させていった。新鮮な血肉に惹かれ、再び集まり始めた蠅の内、数匹が編まれなおす学生服に巻き込まれ、もがいた。

 ゆっくりと目を開いたヤマネは、おそるおそる骨の鉈を打ち合わせ、傷がないことを確認した。平静を取り戻す前、こちらに視線を向けた時、表情に一瞬だけ感情が発火したのをタキビは見逃さない。ヤマネはそれを誤魔化すように、へらへらとした調子で話しかけてきた。

「凄いねその爪。さすがにちょーっとびびっちゃった。モデルは〈死なずのネクロ〉のナイフかな?」

「アレとは一緒にされたくないですが」

「知り合いなの? ふうん……まあ、恋人2人連れてるんだから当然か」

 含みのある言い方が気になる。あなたこそネクロを知っているのか、とタキビが尋ねようとした時、『ぐちゃぐちゃうるせえ』と腹の中からアイサが怒声をあげた。

『さっさとひっこめよ、犬。それとも動物レベルののうみそじゃ、私に勝てないのが理解できなかったのか?』

 言うねー、とヤマネが笑った。苛立っているのが隠せていない。

「理解ならよくできたよ。あんたは今、肉体のほとんどを失ってる。さっきみたいな熱線も、今日はもう撃てないんじゃない?」

『はあ? 試すか?』

「試さない。もうその必要はないんだもん」

 突然、左脚から力が抜け、タキビは倒れた。屍肉の地面に鼻がうずもれ、腐臭と腐汁でむせかえる。右腕に力を込めて上体を起こそうとするが、その感触がない。体を覆うカットが焦ったようにわななき、ほどけた。露わになった自分の腕はボロ布のように肉が食い荒らされていた。爪の隙間から入り込んだ蠅がびっしりと集り、噛んでいる。蠅の色は乳白色で、しきりにこすりあわせるその手も含め、全てが骨でできた作り物だった。

 気がつくことができなかったのは、先に脳に潜り込まれ触覚を潰されたからだろう。自分の肉体を他人のもののように感じたのは、メンタルの問題じゃなかったのか……。アイサの罵声を聞き流しながら思考を続けていたタキビは、きい、と何かが軋む音を聞き取り、かろうじて残った首の肉で視線をあげた。骨でできた車輪がまず目に入り、次に学生服の足元が見えた。

 他の私兵たちとは違い、車椅子に座ったその不死者は、肉体のどこにも骨格を帯びていなかった。ただ、柘榴のようにあばたに沸いた右顔面から、骨でできた蠅が次々と産み落とされている。頭部は不自然に傾き、両腕は力ない。そして、こちらに向いた瞳は明らかに正気ではなく、意思が抜け落ちている。……ギジン、お疲れさま……。ヤマネの優し気で、悲しそうな声。呼ばれたその不死者は何も返さず、ただ血の混じった唾液をタキビの上に垂らしただけだった。激昂したアイサが背の肉を破って飛び出した感触を最後に、タキビは意識を途切れさせた。


■■■

 乳白色の日差しがタキビの目蓋の上を撫で、覚醒させた。床についた手はひやりとした温度に受け止められる。それは死体の温度に似ていたが、明らかに硬く肉ではない。視界が格子で白く区切られているのを見て、自分が巨大な骨の檻に閉じ込められていることにタキビは気がついた。ゆるゆると身を起こし、大腿骨を思わせる格子の1本を握り、ゆする。有機質の湿りを感じさせる手触りに反するように、それはたわみの1つも返さなかった。

 そして、骨は檻だけではなかった。檻の隙間から見える全てが人間の骨でできていた。床も扉も天井も。ランプの骨組みもテーブルの足も。衣装箪笥も食器棚も、その中に並べられたすべての皿も……。

 あらゆるものが乳白色で塗りつぶされたその部屋は、色のない死骸でできたあの島よりも、さらに均一で、度し難く、停止していた。世界の全てが骨の1本1本を中心に固定されているように、目に入る全てのものがゆるぎなく死んでいる。ひょっとして自分は死後の世界にいるんじゃないのかとタキビは焦り、腹を抑え、その中でかすかに響く駆動音をよすがに、この街で思い浮かべるにはあまりに馬鹿馬鹿しいその妄想を振り払った。

「アイサ……よかった」

 よく見ると、近くの床でカットも丸まり、ジルもそれを枕にして寝息をたてていた。ワニの不死者に噛み潰された下半身は、何事もなくピンク色の半ズボンごと元通りになっている。4人まとめて捕まったのだ、とタキビは理解する。だとするとここは、西妃髄区の白菊邸に違いない。自分たちは失敗したらしかった。バレエと対話の場を持つどころか、会うことすらできず、勝てると踏んで望んだ戦いにも敗北し、囚われの身となった……だが、その認識が間違っていたことを、タキビは直後に知ることとなった。

「おはよう、タキビさん」

 微温ぬるめたミルクのように、人懐っこく甘い声だった。振り向くと、不死者が1人、上品に足を揃えて床に座っていた。優しく細められた眼差しは微かにうるみ、慈愛と親しみを込めてタキビを見ている。髪の色は白髪を溶かしたような薄灰で、まるでこの骨の檻に閉じ込められるために生まれてきたようなデザインだった。あなたは、と尋ねかけタキビはやめた。あまりにも明らかだったから。

 自分たちは失敗した。勝てると踏んで臨んだ戦いにも敗北し、捕まった。しかし、目的の相手と会い、話をすることは叶っていた。それもおそらくたっぷりと時間をとって。同じ虜囚の仲となって。

「こんなことに巻き込んじゃってごめんなさい。でも、嬉しいな。一度あなたとお話してみたかったんだ」

〈生命のバレエ〉はそう言って、タキビににっこりと笑いかけた。


(3)へ続く