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NECRO5:動物大集合(1)

【あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。
・今回の主役はネクロではない。

【登場人物紹介】
・タキビ:人型のタキビ。口が悪く気が強い。
・ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
・カット:全身爪人間。無口。
・アイサ:皆殺しのアイサ。ネクロの恋人。幼稚。
・ジル:底なしのジル。ネクロの恋人。興味しんしん。
・バレエ生命いのちのバレエ。ネクロの恋人。涙もろい。
・グンジ:腑分けのグンジ。ネクロの恋人。ひどく怖がり。
・シラギク真白ましろの檻のシラギク。家族思い。
・キクラゲ:型崩れのキクラゲ。シラギクの夫。
・ヤマネ白爪しろづめのヤマネ。シラギクの娘。
・その他の白菊邸の人たち:サン、ヒュー、ギジンなど。

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 肩甲骨を断ち割って、鉄の翼が火を噴いている。タキビは不死者であり、その肉体も樹脂でできていて、普通の人間よりは頑丈だった。しかし、その翼から伝わる熱と振動……何より、それらのエネルギーによって実現された飛行速度は全身がバラバラになってもおかしくないものだった。マッハ。衝撃波。人並み以下の知識を繰っている内に、反吐と屍肉がとぐろをまいたような街の俯瞰は、あっと言う間に滲んだ汚濁の流れと化した。

 加速。加速。加速。タキビの肉体の中で、鉄の翼の主は浮かれたようにハミングし、より強く火を焚いた。眼球が風圧で潰れ、視界がさらに曖昧になってゆく。全身を覆う鎧が、千切れかけるタキビの樹脂にくをかろうじてヒトの形に留めていた。タキビはその一端を、ぎゅうと握る。鎧は驚き、照れたように微かな震えを返した。鎧は爪でできていた。爪の名前はカットと言って、タキビの大切な友人であり、現在のパートナーでもある。全身が爪でできたカットに口はなく、言葉を発することはないが、彼女が情緒豊かな不死者であることをタキビはよく知っていた。

「………!!………!……!?」

 パターンを変えて、鎧の震えがほんの少し心配を滲ませる。大丈夫、気にしないで、と返そうとするものの、風圧と振動がタキビの発声を妨げた。代わりに爪を爪でひっかいて応じる。もう1人のパートナーである鉄の翼の主……アイサは、それを見て、あてつけがましくさらに飛行速度を上げた。途端に視界が街の中では見慣れないくすんだ青黒に切り替わった。

 海上に出たのだという実感は、視覚よりも先に嗅覚にきた。酸味混じりの潮風。波頭を汚らしく泡立たせながら、ねっとりと揺れる海原は、膿んだ傷口の痛みに身じろぎする瀕死の生き物の背のようだ。図鑑で見た「クジラ」の姿をタキビは思い浮かべる。ただ、この海にクジラはもういない。臓腐ぞうふ市が臓腐市となってから、数千年、あるいは数万年。永遠に死に損なったヒトを残し、全ての脊椎動物はこの惑星から去っている。ゆるやかに絶滅を迎えたのはほんの一握りで、多くの種はたった1人の意味のない敵意と悪意によって根絶やしとなった。

『ねだやしにされるのがわるいんだよ。動物はバカなのがよくない』

 その頃から何1つ変わらないだろうむきだしの敵意と悪意。大絶滅の主犯が、タキビの体内に舌足らずな声を響かせた。

『核やらガスやらバラまいただけで、あっというまにおわっちゃってさあ。うごいてるだけの肉だよ。頭がわるいから人間とくらべて命がうすいんだ』

〈皆殺しのアイサ〉。前世紀の兵器全てを肉体とする彼女は、そのフルスペックをいかんなく発揮して名前通りのことを成し遂げた……らしい。ただ、今の彼女は、ある事情からその肉体の多くを失い、タキビの肉体に混じって療養している最中だった。同居人として過ごす分には、案外気安い相手でもある。おしゃべり好きで、タキビに対してもこうして度々話しかけてくる。

『人間の方はもうちょっとマシだった。ミサイルとかばんばん撃ちあってさあ……なつかし。やっぱ、知能ってだいじじゃんね。まだ私もガキだったから、どうぶつとかたくさん殺したら『地球のいかり』みたいなのが、こうガッとおそいかかってこないかな、とか期待してたんだ』

「私みたいな?」

『……あ? なに急にしゃしゃってきてんだ、ゴキブリが』

 タキビの背の上から返って来た声に、アイサはとげとげしく応じた。

『私は今、タキビと話してんだよ。おまえは黙ってすわってろ』

「話すもなにも、誰かさんがスピード出し過ぎてるせいで、タキビちゃんはどう見ても喋れる状態じゃないよね。バカとアイサは速いところが好きって言いまわし、どうかな?」

『食うのが好きなデブよりは、はやいのが好きなほうがマシだ』

「カロリー消してるからデブじゃない」

 タキビの背の上の少女……〈底なしのジル〉は、そう言って口を尖らせた。マッハの風圧と衝撃に曝されているにも関わらず、そのピンク色のフードパーカーははためかず、まつげ1本そよぎもしない。自分に向かう力の全てを、名前通りの底なしの胃袋におさめたように。未だに2人のいさかいに慣れていないカットが、ひるんだようにタキビの肉体を締めた。いつものことだから、と爪を優しくタップする。

『デブに構ってるうちに、ほら、タキビ。『島』だ』

「だから、アイサ。スピード。風圧」

 ジルが肩をすくめ、アイサは舌打ちをした。

『うるさいな……ほら。見えるだろ?』

 首筋の皮膚を裂いて顔の前に延びてきた鉄の触手が、丸まって無骨なゴーグルを形づくった。タキビは2、3度、まばたきし、傷んだ眼球表面を回復させる。のたつく腐汁の波のむこう、どんよりと曇った空に押し潰されるようにして白く肉々しい島影が見えた。まるで巨大な鳥が、海上に身を丸めたよう。そして、それは修辞ではなく、「島」は本当に鳥の肉でできているのだとタキビは事前に聞いていた。何億羽ものリョコウバトの死骸によって臓腐市近海のその一角が埋め立てられているのだと。

「島」の主の名は、〈生命いのちのバレエ〉。その名前に反し、動物の死体だけを産み、それに埋もれて暮らす海上の博愛。今回のタキビの目的は、彼女を乱暴者の恋人と別れさせることだった。


【NECRO5:動物大集合】


 2日前の朝ぼらけ。

 臓腐市の航空写真を眺めると、赤黒く濁ったその曼荼羅の内、西半分の色の比率はやや黒が勝っていることが見て取れる。アンデッドの血と肉で出来たこの街に黒を混ぜるのは、臓腐市最大の工業地帯が立ち並ぶ東妃髄ひがしひずい区に他ならない。死と苦痛が取り払われ、気遣うべき生態系もいないこの街には、環境問題も健康問題も存在しない。とうの昔に枯れ果てた資源の代替として、ヒトの脂を燃やし血の蒸気を沸かすその一区は、路地の隅々に至るまで煤煙と油分で塗りつぶされている。

 糸を引くほどねたつく電柱から掌を剥し、タキビが見上げたその店も同じだった。溶けた油で貼りついた煤の隙間から、栄養失調の人魂じみた提灯の明かりが漏れている。《ふと獅子じし》。かろうじて読み取ることのできた店名に間違いはない。呼び出し相手から指定された時間は、この街らしく「日の出ぐらい」という曖昧なものだった。

 建てつけの悪い引き戸を開けた途端、異臭と喧騒の塊をぶつけられ、タキビは顔をしかめた。タンパク質を焼く匂いと反吐の混じった酒気のプール。脂の風呂に頭の先まで漬かって、アルコールを鼻の穴に塗りこめられているような気分だった。工場勤めの不死者たちは、「燃料」と「工員」の区別なく、朝と夕の違いも忘れて、自らの指ごと肉を焼き、酒びたしの口内で咀嚼しあっている。

 不死者であるタキビには衛生の観念はほとんどなく、そんな有様もそれほど不快には感じない。肉汁と酒の飛沫をかけられながら、喧騒の隙間を抜け、目的の席を探す。うるさいのは好きではないが、それも、喧騒の隙間から聞こえてくるラジオの声と比べれば100倍マシだった。

「「投票は結構だ。てめぇらなんぞに支持されるつもりは全くない。こういう面倒な演説も今後はするつもりはない。準備は市役所の間抜け共が勝手に進めるからな」」

 粗野で、傲慢な声。生理的な嫌悪感で、脳が委縮する。おなかの中でアイサが口笛を吹いたのがわかった。アイサはその男の恋人だった。趣味が合わないと言わざるをえないが、あの男を嫌っているという点でアイサとは同士だった。この場にいないジルも同じだ。恋人だが、奴のことを嫌っている。友人としてつきあってくれているカットも含め、タキビたちは同じ目的を持っている。

「「俺が俺に票を入れて、終わりだ。簡単だろうが。投票するのは俺だけだ。当然俺が当選する。有権者は、俺が皆殺しにする」」

「相変わらず、適当なこと言ってますね、ネクロさん」

 待ち合わせ相手の声に、タキビは振り向いた。痩せた蝉のような容姿に白衣をまとい、丸めがねの奥では倦み疲れた瞳がどろりと濁っている。絵に描いたような不健康。彼女の本拠地ラボならばその負のオーラに気おされもしただろうが、場が焼肉屋ではどうにもしまらない

「久しぶりですね、グンジさん」

「久しぶり? ええ、まあ、そうですね。カットは元気にしてますか?」

「してますよ。今日は来てませんけど。やっぱり元部下のことは気になりますか」

「いえ、別に」

 席に着く。尻に脂がスタンプされたような感触に一瞬ひるんだものの、タキビは社交的笑顔をグンジに向けた。見よう見まねで届いた肉を焼いてみる。不死者を加工して作られたその肉は、ぐねぐねと踊りながら焦げてゆく。皿に取り分け、差し出すが、断られた。肉を食べる趣味はないとグンジは言う。タキビにも食事の習慣はなかった。じゃあ誰が注文を……と言いかけたところで、タキビは自分の隣に置かれた飲みさしのジョッキに気がついた。ジョッキの横には携帯ラジオが1つ転がっている。

「まさか」

「そのまさかで合ってます。さっきまで、あなたのお姉さん……サザンカさんと会食をしてまして」

「お姉ちゃ……いや、姉さんはどこに」

「そっちのトイレですよ。食べ過ぎと飲み過ぎで嘔吐しています。あの人、本当に焼き肉が好きなんですね」

 立ち上がろうとしたタキビの体は、そのまま席に縫い止められた。体内のアイサの仕業だった。『やめとけ』とアイサが言う。「やめた方がいいです」とグンジが言う。『ごめんね、タキビ』と携帯ラジオが言う。ラジオから流れたのは、姉の、サザンカの声だった。

『ネクロに対するアドバンテージを守るためにも、あなたは私と会わない方がいいわ。わか……あ、ごめん、無理。グン、ジ、後は、任し』

 嘔吐の音声の途中でラジオは切れた。

「任されたので説明しましょう」

 煤と脂でくすんだ眼鏡を白衣の袖で拭きながら、グンジが言った。

「細かい経緯は省略しますが、ネクロさんが市長選に出馬しました。先のラジオ放送でも流れた通り、彼は意外にもやる気です。本来ならば恋人の1人として彼に協力してあげたいのですが……残念ながら先約がある」

 ゲレンデ市長の解職騒動と臓腐市市長選の開催は、おそらくこの街始まって以来最大のイベントであり、さしてニュースに興味のないタキビもよく知っていた。候補者は5名。タキビの姉のサザンカ、企業グループ総帥を務めるシラギク、カルト結社の主である〈魔女〉ギギ、市役所の重要ポストに就いているコマチ。そして、あの男……ネクロ。

「現在、最も有力な候補は〈支配のコマチ〉でしょう。臓腐市役所、屍材職員製造活用部部長。事実上『今の臓腐市役所』の代表です。ゲレンデさんの治世はろくなものではなかったですが、逆に言えば、あのゲレンデさんをトップに据えながらもなんとかやりくりしていた現市役所への評価は高い。私とサザンカさんは、彼への協力を約束しています」

 姉さんも候補者なのに? と口にしかけて、タキビは市営放送で流れていた姉の所信表明を思い出す。サザンカは今回の事態の仕掛け人に騙されただけで、本人に立候補の意思がなかったのだという。間違っても自分が当選しないよう、最大派閥に協力するのはおかしい話ではないだろう。

「ご存知の通り、私は特定多数の、サザンカさんは不特定多数の意思を奪い、操ることに長けている。市役所の本来の戦力も加味すると、試算では全市民の9割の得票が〈支配のコマチ〉に入ることになります」

「選挙って自由意志で投票するものでは……」

 タキビが半ば呆れながら言ったが、グンジの返答は、随分古い価値観ですね、ととぼけたものだった。

「そもそも、魂離記録式投票がとられた以上、仕方がないでしょう」

「え、こんり? なに?」

「魂離記録式投票。レコードによる投票です。選挙操作委員事務局が設定づけた〈ルール〉に従い、投票日の24時間、この街の不死性は停止します。起き上がりであっても魂と肉体の紐づけが切れ、黄泉帰りもその1日は再憑依ができない。24時間経過後の、死亡者の数が得票数になる。どの立候補者に投票したかの判定は、自殺者・殺害者の意思のレコードでなされます」

「えっと……」

「要約すると、24時間で一番多く市民を殺した立候補者が当選する」

 なかなかおもしろそうじゃん、とお腹の中でアイサが笑った。タキビも半分はあきらめの境地に陥りながら、確かにこの街らしい、と少し愉快に思う。タキビは不死者の中でも年若く、永劫の時間が形成したこの街の価値観には未だに抵抗を覚える。ただ、さすがにもう慣れてもきていた。

「つまり、グンジさんは、市民を操り、殺し合わせて皆殺しにするってことですか。前やったみたいに」

「その通り。前やったみたいに」

「……話を聞いた限りでは、グンジさんたち……〈支配のコマチ〉ですか? ……の陣営の勝利はほぼ間違いないと思うんですけど」

「いえ、まだ足りません。タキビさん、今回の〈ルール〉において、最大の脅威となるのが誰かわかりますか」

「ゲレンデ元市長?」

 その通り、とグンジは肯いた。臓腐市元市長〈死なずのゲレンデ〉は、臓腐市最強の不死者だと聞いている。それも、上から順番に並べたらという悠長な話ではなく、ゲレンデとそれ以外という数え方ができるほど、ぶち抜けたバケモノであると。彼女が投票期間に「殺される」ことはまずないし、その気になればあっと言う間に全勢力を皆殺し、選挙自体を成立しなくすることもできるだろう。

 ただ、彼女はそういうことはしないはずだ、とタキビは推測した。ゲレンデのパーソナルとして、親バカであることはあまりに有名だった。彼女には基本的に、溺愛する息子を甘やかす以外の目的はない。当選者が元市役所の部長であることに異論があるとは思えない。息子のユキミが立候補者の誰かに入れ上げでもしない限りは、とりたてて大きな脅威になるとは……。

「〈無限のユキミ〉は今、ネクロさんについています」

 タキビは凍りついた。

「ゲレンデ元市長がそれを受けてネクロさんに味方した場合、この選挙は終わりです。それどころか、この街も終わりかもしれません。ネクロさんが市長になったらどうなるか、タキビさんなら想像できるでしょう」

 想像できる。想像できた。嫌になるほど。反吐が出るほど。

 ネクロ、その名も〈死なずのネクロ〉。自分を裏切った女を地の果てまでも追い詰め、殺し、自らの肉体と魂の中に取り込もうとするアンデッド。12人の恋人うらぎりものを殺すために、関わったもの全てを踏みにじり、破壊し、殺戮し、嘲笑し、凌辱するヒトでなしのけだもの。不死者は永劫の生の中で、その気質を極端に先鋭化させてゆくことがある。煮詰めたスープが濃くなるように、不死性はヒトを自分だけの理で動く閉じた系へと変えてゆく。ネクロはその中でもとびっきりだった。あの男は、自分の裏切りと愛の理以外の全てを、ゴミクズ程の価値もないと信じ、積極的に加害する

 ただ、この街の住人の多くはネクロを嫌っていない。殺されるのも犯されるのも、永遠の前ではどうでもいいことだからだ。事実、ネクロがつけねらう恋人の多くは、彼のことを慕っている。グンジもそうだし、タキビの姉であるサザンカもそうだ。行方不明の姉を探すため、タキビは一時期、ネクロと協力関係にあった。後悔している。思い出すだけで腹が立つ。だが、あの時交わした「姉と再会できるまでネクロの恋愛の手助けをする」という約束は、あの男と敵対する上で役立つ武器となっている。

 タキビの今の目的は、ネクロに応報することだ。正義によるものはない。嫌いな奴の顔面を思いっきりぶん殴って胸を晴らすためだけに、タキビはネクロの恋の邪魔ものを買って出た。もちろん、それもまたネクロに類する「自分勝手」であることをタキビは自覚していた。応報なんてかっこつけたって、この街の誰も、別にネクロの所業を憎んでいない。それでも、ネクロの傲慢が許されるこの街ならば、タキビの傲慢だってきっと許される。「いいからぶっ殺せ」とアイサは嘲笑い、「みんなでやっちゃおう」とジルははやしたてる。カットは……たぶん、よくは思っていない。そのことは、少し心が痛かった。

「それで、私は何をすればいいんですか」

 気持ちが臆する前に、タキビはグンジに切り出した。理由は知らない。ただネクロが市長就任を望むなら、タキビはそれを邪魔するだけだ。『いいこというじゃん』と、腹の中でアイサがにたにた笑った。皆殺しの敵意と悪意が、タキビの炎に燃料を継ぎ足す。

「当面の目的は、我々コマチ派の戦力を増強することです。ネクロさんの恋人に1人、大量殺戮を得意とする犯罪者がいます。彼女がネクロさんに迎え入れられる前に、仲間に入れてしまいたい」

 そうして、グンジが名を挙げたのが〈生命のバレエ〉だった。焼肉店を後にしたタキビは、すぐにカットとジルに連絡を入れ、「島」に渡る準備を整えた。バレエは好戦的な不死者ではなく、交渉はおそらく対話によって行われる。ただ、他勢力とカチ合う可能性をタキビは忠告されていた。ネクロについては言うまでもないが、それ以上にありうるのがシラギク・グループとの交戦だろう、とグンジは言っていた。

 話によると、〈真白ましろの檻のシラギク〉と〈痛みのギギ〉は、大昔にバレエと協力して臓腐市を滅ぼしたことがあるらしい。バレエの殺戮能力を高く評価しているはずだし、動かないはずがない、というのがグンジの予想だった。その理屈で言えば〈痛みのギギ〉の陣営も出てくるのでは、とタキビは思っていたが、「それはないんじゃないかな」と、後にジルから否定された。

苦痛主義ペイニズムの連中は、もっとまわりくどく、なんかめんどくさいことを企んでると思うよ。ゲームに真正面からのってくる奴らじゃないから」

「ふうん。じゃあ、やっぱり警戒すべきはネクロか、シラギクさんなんだ」

「だね。どっちにせよ、都合がいい」

「都合?」

「《カッター》を試すのに丁度いいってこと。《ネクロのナイフ》そのものと撃ちあえるなら上々だし、まがいものにせよ白菊邸の私兵隊でも十分だ」

 くっちゃべってんな、舌噛むぞ、と体内からアイサが怒声をあげた。タキビはごめんと謝って、ジルを肩車したまま視線を下に向ける。白くぼけて見えたその地面は、全て紙粘土のように脱色されたリョコウバトの死骸だった。白一辺倒に見えた地肌のそこここに、くすんだ紅の花のようなものが咲き、黒々とした靄がかかっている。

 降下する内、花は鳥の肉の割れ目であり、靄は蠅の群れであることがわかった。目もくらむような腐臭は細菌の仕業か。この惑星のヒト以外のわずかな生き残り……虫、植物、細菌。確かにここは〈生命〉の島なのかもしれない。タキビはそう思いながら、着陸した。


■■■

 頭蓋骨を断ち割って、骨の耳が風を受けている。ヤマネの脳内に突き刺さっているその骨は、五感を司る部分を刺激し嗅覚を向上させているのだ、とグループの医師が訳知り顔で言っていたのを思い出す。人体力学、生体工学。何をくだらないことを言っているのだろう、というのがヤマネの変わらない感想だった。そんな前世紀の理屈に従いヒトの体を語るんだったら、突き刺さってる骨の方を説明してみたらどうなんだ。

 母の骨。〈真白の檻〉。物理的に決して破壊されることなく、ヤマネたち6人の子供を閉じ込める、永劫の刑罰。白菊邸の私兵は、永遠に消えることのない罪に対して、真の意味での無期刑を科せられた虜囚だった。……母の骨によって、あたしたちが得た力は全てが「罰」そのものであって、そんな人体構造や物理原則に縛られるものじゃない。そうでなければ、腐臭あふれるこの島で、侵入者の到着をやすやすと嗅ぎ分けられるはずがない。

「お姉ちゃんは鼻がいい」

 ヤマネの呟きに対して、2人の弟が振り向いた。サンはエミューの脚部を思わせる巨大な骨格に覆われた両足を擦り合わせ、ヒューはワニの口吻を思わせる骨格に並んだ牙をカツンと1度打ち合わせる。もう1人は無反応。死骸の山に背をあずけ、ぼんやりと空を眺めている。

「侵入者は……4人、かな? ……ちょい待ち……うわうわうわ、やばいよ」

「どうした」

「〈底なしのジル〉と〈皆殺しのアイサ〉がいる。はい、撤退確定。あとは……なんだ? 人間の肉がついてない東妃髄住みっぽい奴。それと女米木めめぎ自我付人型屍材品フルセットが1台だね。ほら、最新型の。なんだっけ、正式にはリリースされてないやつ」

「《切断》?」

「それそれ」

「名前で呼んであげなさい」

 無反応だった1人が声をあげた。針金のような髭と迫力のある鷲鼻。スキンヘッドの下で、眼球がぎょろりと光った。相変わらず物騒なご面相だ、とヤマネは思う。顔を合わせる機会が少ないから、いつ見ても新鮮に驚ける。

「彼女の名前はカットだ。もう1人はおそらく、タキビさんだろう。彼女たちも強敵だよ。爪のお嬢ちゃん……カットさんは特に、市役所の課長程度ならば相手にならないだろう。とてもいい娘たちだ」

「知り合いなの、お父さん?」

 嫌味を込めて「お父さん」を強く発音する。父は悲し気にうなずき返しただけだった。母の虜囚でもない本当の意味での母の「家族」。この父親は癇に障る。罪と罰と繋がっている自分たちがまるでまがいものだと言われている気分になる。ろくに家にも帰らず、浮気ばっかしてる癖に。

「それに、撤退もだめだ。さっきシラギクさんから通信があった。4人とも捕まえなさい、だそうだ」

「……上等じゃん」

 母の意思を受信したように、頭の骨片からしびれが走る。ヤマネは自分を閉じ込める檻である巨大な骨格を……10枚の大鉈で構成された両腕の《爪》を研ぎ合わせた。《爪》は変わらず不変であり、傷1つなく自分を罰している。〈皆殺し〉や〈底なし〉であっても、この刑罰を終わらせられるはずはない。例外はない。例外は……。

 例外はあった。ヤマネはその記憶をふりはらう。水平に走った線に沿い、真っ二つになった自分の檻。それを壊したけだものが握っていたのは、狂ったように震えるチェーンソーナイフだった。得物の名前は《ネクロのナイフ》と言い、それを振るうけだものの名は〈死なずのネクロ〉と言った。


(2)へ続く