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最近読んだアレやコレ(2024.06.30)

 巷説百物語シリーズの物理書籍は全て文庫で購入しているのですが、『西』までは全て図書館でハードカバーを借りて読み、『遠』『了』は電子書籍で読んだので、所有している文庫版に目を通したのは、今回が初めてです。『巷』『続』は1度再読しているはずですが、それもおそらく図書館で借り直して読んだのだったはず……。今回、読み返すにあたって全て新装文庫版に買い直しているので、今まで所有していた旧装丁の文庫版は本当に買っただけになってしまいました。物理書籍に対して自分が求める機能を付与するには、手に取って中身を読む必要があるので、旧装丁版には気の毒なことをしました。小説を読むツールとしては電子書籍の方が断然好きなので、新刊は主に電子書籍で買うのですが……物理書籍もインテリアとしては好きなんですよね。ゆえに、紙の本も紙の本で読んでおく必要があり、その工程はおおむね再読時に踏むようにしています。

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巷説百物語/京極夏彦

 怪異譚蒐集を愛好する山岡百介は、その夜、越後の山小屋で百物語に参加した。御行。山猫廻し。商人。問屋。僧。語るほどにひとりの顔は青ざめ青ざめ、やがて小豆洗いの怪が語られると共に、事件は起きた……。八方塞がりを丸く収める、小股潜りの妖怪仕掛け。巷説百物語、始まりの7話。

 再々読。全話統一感をもって設計図が引かれ、その構造の厳密さがより過剰になってゆく次作以降を踏まえると、各話の長さを短く揃えつつも、バラエティ豊かな仕掛けと語りが詰め込まれた本作はシリーズ中でも随一の、「楽しい」アルバムになっているように思います。……私個人の趣味としては、構造美と語りの技量の噛み合いをたっぷり尺をとって味わえる次作以降の方が断然好みではあるのですが……ですが、きゅっとつづまった尺の中で、この仕掛けならばこれを、あの仕掛けならばこれもと、試作品の可能性・耐久性を調べるがごとく、最小単位の妖怪仕掛けが次々と駆動してゆく様は、やはり素晴らしくおもしろい。ファンタジックでふわりと優しいのにかなしく、ソリッドな人工美から滲みだすようにかなしく、あるいはグロテスクなほど痛切なまでににかなしく……フォーマットの下で展開される確かな理が、いくつものかなしさを描き出してゆく工程には、小説のプリミティブな可能性を見せられるような不思議な感慨と感動があります。いつ読んでもおもしろく、今読んでもおもしろい、この間違いのなさ。京極夏彦作品が組み上げた構造の中でも、もっとも強固なひとつであると思います。


続巷説百物語/京極夏彦

 蝋燭問屋の若隠居・山岡百介は、小股潜りを名乗る小悪党に関わってから、幾度も怪事に行き遭っていた。額に石くれの刺さった死体。死んでも蘇る大悪党。言うまでもなく世に不思議はなく、全ては幻か妖怪仕掛け。しかし此度のあれこれは、ひと繋がりに続いていた。巷説百物語、続きの6話。

 再々読。最小単位の構造から小説の魅力をシステマティックに広げて見せた前作から続き、仕掛け自体はそのままに、語りと構造をがらりと入れ替えて、全く異なる代物を仕立てて見せるこの振れ幅のおもしろさ。同じものを山岡百介の視点に絞って語ることで、妖怪仕掛けの神デウス・エクス・ヨウカイでしかなかった小悪党一味には生きた人間としての余白が生まれ、固定カメラがゆえの連続性からは、大活劇長編としての興趣が滲みだす。前作の「渋さ」「かっこよさ」「かなしさ」に魅せられた初読時、続けて手に取った本作が、キャラクター小説・エンターテイメント巨編に変貌していたことには大変驚き……そして、その有無を言わせぬ極厚特農のおもしろさに、打ちのめされたものでした。改めて読み返すと『巷説百物語』のトーンの世界観に、悪の組織の四天王みたいな連中が出てくるのはおもしろすぎるし、炎魔法撃ってくる魔法使いがいるのも凄すぎる。人間はかなしい、生きることはかなしい……描くものは何も変わっていないのに、全てがド派手でアッパーで、ケレン味たっぷりにやり過ぎて、見栄を切りに切っている。さながら『劇場版 巷説百物語 ~北林藩の死神を退治せよ~』といったところでしょうか。光る陀羅尼護符を手に、みんなで奴(やつがれ)を応援しよう。


後巷説百物語/京極夏彦

 文明開化の明治の世でも不思議な事件は度々起こり、矢作巡査を悩ませる。ああだこうだと悪友共と推理未満の与太を撒き、結局いつも頼るのは薬研堀のご隠居。一白爺と名乗るそのご老人、どうやら若い頃は全国を巡り、不思議な化け物ばなしを集め歩いていたようで……。巷説百物語、後の6話。

 再読。オールタイムベスト。マスターピース。息が止まるほどに全てが美しく、1編読み終わる度に深くため息を落としてしまう。『魍魎の匣』『陰摩羅鬼の瑕』と並び、自分にとって最も強い意味と価値を持つ京極作品体験であり、その位置づけは読み返しても揺らぎませんでした。ひとつづりの小説としての佇まい、その完全性に限れば『匣』『瑕』を越えるとすら思います。何よりもまず魅せられるのは、するすると草木が伸びてゆくような語りのしなやかさとゆたかさです。事件と妖怪をがむしゃらに追う明治/江戸の若者たちの声は瑞々しく、それらを引き継ぐように百物語を語る老人の言葉は色気と茶目っ気と淋しさをなみなみ湛え。そして、折り重なったそれらの語りたちは、精緻に組まれた多重構造に代入されることで、小説としての花を開かせます。しかも、その多重構造の作りは1編毎に大きく異なり、ゆえに開く花が見せる顔も千変万化。加えて、それらが連なることで題の後巷説のちのこうせつを語る長編としても機能するという、目もくらむほどの贅沢さ。磨き抜かれた円熟の語りと非人間性すら感じる怜悧な構造美が噛み、紛れのない1冊がここに形を成している。それは物語であり巷説であり、しかし口で語られるでなく、画で描かれるでもない。それを文字で綴る必然性と、読む幸福そのものが、営為と偶然の極地の狭間で、ここに実現されているのです。小説を読んでいてよかった。そう思える傑作です。


前巷説百物語/京極夏彦

 埋まらぬ損を金で引き換え、細工であがない益を出す。命からがら流れた江戸で、双六売りの又市が関わったのは損料家の裏稼業。騙しのネタは絡繰仕掛けと妖怪芝居。口八丁ならお手の物。これなら俺の方が上手くいくと、又市はその奇妙な渡世の手伝いを買って出た。巷説百物語、前の6話。

 再読。ああ、おもしろい。もう、ひたすらにおもしろい。小説としての強靭な美しさを見せた前作から一転し、ライトで青臭く、ジャンクで荒っぽく……ゆえに、立った角の鋭さと、嵌まった深みの色濃さが切なくなるほどに際立って。軽薄なラベリングで恐縮ですが……『後』『西』が文学小説の極みであるなら、『続』『前』は娯楽小説の極みと分けられるかもしれません。荒唐無稽な妖怪仕掛けの数々は、紙面に登場するだけで「待ってました」の大向う。何より、今作の仕掛け人となる損料屋「ゑんま屋」のおもしろさ……これだけで10冊は書けるだろうと思える設定から、たった6話分、過不足なく絞り抜かれたエンターテイメントのエキスの塩気と甘味の濃さたるや、読んでいて鼻血が出そうになりますね。過去作序盤ボスの再評価、一芸に長けた曲者揃いの仲間たちの活躍など、少年漫画魂に火をつける展開の数々があり、「名前を書いたら死ぬ絵馬」、サイバー無宿人ネットワークにより江戸時代ディストピアなど、「時代劇でそんなことしていいんだ」と呆気にとられるヘンテコなアイデアの数々もある。全てが華々しくエネルギッシュで、それは残酷無惨な決死行すらも熱っぽく飾りたてています。かくも痛快なエンターテイメントの華。ああ、本当におもしろい。


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