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最近読んだアレやコレ(2024.02.22)

 藤原伊織の『ダックスフントのワープ』に出てくるベーコンの雑炊が、あまりによさげだったので作ってみたのですが、ちょっと驚くくらい美味しかったです。出汁の鰹節を除かずそのまま具材にしている部分と、使用する野菜がピーマンであるところが肝であるような。純和風の味付けなのに、ベーコン・ピーマン・玉ねぎが違和感なくまとまっているのが凄いですね。藤原伊織といえばホットドッグ、という印象を持っていましたが、今後はベーコンの雑炊であると主張していこうと思います。

【工程】
①鍋に水と昆布を入れ火にかける。同時にベーコンを焼く。
②沸騰寸前で昆布を除き、鍋に鰹節と焼けたベーコンを入れる。
③鍋に醤油と塩を入れる。
③鍋にピーマンと玉ねぎを入れる。
④鍋の蓋をしめ、2、3分待ち、溶き卵を入れる。
(鰹節は除かず、雑炊の具材になる)

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卒業/東野圭吾

 大学4回生の秋。卒業を間近に控えた狭間の季節、彼女たちの仲間が1人、手首を切って死んだ。施錠。死因。時間。全ての状況は自殺を示すが、動機だけがわからない。諦めるもの、推理するもの。各々が各々の決着を見つけてゆく中、恩師の下で開かれた雪月花之式で再び事件は起こる。

 副題は「雪月花殺人ゲーム」。薄暗く淀んだこの青春譚において、その遊戯性の高いサブタイトルはなんともミスマッチであり、事実、雪月花之式で展開される毒殺事件の解明は、作品カラーから浮いたパズル性の高いものとなっています。しかし、そのアンバランスさはそのまま、加賀恭一郎という探偵役の造形を描く筆となっており、決して齟齬ではありません。「真実にはそれほどの価値はない」 それでもなお「卒業」の式を完遂すべく、人間関係をバラバラに裂いてゆく加賀の推理は、冷徹な行動と、薄暗く淀んだ熱、そして既に崩れ去った過去に意味を見出そうとする悲しみ……その3つが不均衡に渦巻くものとなっており、ゆえにエネルギッシュです。そして本作の最も優れた点は、それほどにまで力を込め、痛みを伴ってまで選び取った「卒業」に、「大学生にとって大きな意味はない」「大半の学生は出席しない」と、冷めた視線を向けていることにあるでしょう。筆を持つ手に帯びた熱と、書かれた文字に対して向けられた眼差しの冷たさが、矛盾なく同居している凄味はただならず、時代を超えた価値を生んでいます。暗く、読んで気分が落ち込む小説ではありますが、とてもいいものでした。名作です。


涜神館殺人事件/手代木正太郎

 悪魔崇拝者の巣窟たる涜神館は、探偵小説家の手に渡り幽霊屋敷ゴースト・ハウスと化していた。催された交霊会に招かれたのは、帝国が誇る7人の霊能力者と、1人の心霊鑑定士。そして始まる連続殺人。「本物」の怪異犇く惨劇の中、ただ1人紛れ込んだイカサマ霊媒師……グリフィスは生き残ることができるのか。

 本物の幽霊屋敷で、本物の霊媒師が、本物の霊現象によって殺される様子が、推理小説の様式に則って進行される。ホラーのハードにミステリのソフトを積んで無理矢理動かしたよう痛快さ。見慣れたトリックたちが、本来、そのトリックが否定すべき怪奇現象によって説明づけられ、再翻訳されてゆく解決編は、人間の死体で家具を作るような趣があり、なるほどこれは冒涜的……とにやにやしてしまいます。また、エログロ猟奇・心霊オカルト・閉鎖空間連続殺人がてんこ盛りにされた見た目のこってり具合に反し、いざ読み進めると、驚くほど口当たりがよく、驚きました。どう見てもギトギトのラーメンなのに、冷製の野菜スープのようなさっぱり具合。カタストロフィと「軽さ」を並立させるその技量は、まるでペテンにかけられたような、本物の魔術でもあるような……。あと、痴女霊媒師グラントン婦人がいいキャラしすぎていると思います。ミステリとホラーのあらゆる「お約束」を性的興奮に置き換え、この世とあの世の全ての事象に発情してゆく無敵ぶりは、あまりに痛快無比でした。彼女だけで、一本書いて欲しい。


ダックスフントのワープ/藤原伊織

 スケートボードに乗ったダックスフントは、女の子にぶつかる寸前にワープした――家庭教師の「僕」が語る老犬の冒険譚。10歳のマリはその物語を深く読み、思考する。彼女は広辞苑を読むのが趣味で、難しい言葉を幾つも知っていた……「ダックスフントのワープ」他、3編収録の短編集。

「小説とは、こういうものだ」と思わせる力を持った、素晴らしいアルバムでした。本作が日本語を用いてスケッチしているものは、記憶であったり、創作であったり、いずれにせよ誰かが「物語を語る」姿です。そしてその姿は、息を飲むほどに痛切で、ほんの少し気取っています。4編共に、かっこいい小説ではなく、かっこつける小説であり、その気恥ずかしさの中に滲む愛嬌と悲しみこそが最も重要だと私は思います。……「引力によって滑り落ちてゆくスケートボード」「それを止めることができない短い手足」……そして、少女を轢き殺す寸前の「ダックスフントのワープ」……虚構の象徴としての、現実には存在しない「ワープ」……そのように、物語を解体して部品を集め、比喩で着色し、パズルに興じることはできるでしょう。しかし、小説とは、おそらくそういうものではありません。広辞苑を片手にがむしゃらに。あるいは、目の前の誰かを見て。ただそうあるだけのそれが何であるかを確かめるために、誰かがそれを必死に語る。その隣には、それを聞く人が1人いる。ここにはその様子だけが記されています。そして、私がそれを読んでいる。物語を語り、聞かれ、小説を書き、読まれる。全ては行動の内にあり、ゆえに完成したそれには意味がない。傑作でした。


半導体探偵マキナの未定義な冒険/森川智喜

 開発者である博士の死亡に伴って、3体の探偵ロボットが研究所から飛び出し、思い思いの探偵活動を開始した。普段は優秀な探偵である彼女らだが、今回ばかりは様子が違う。エラーの生じた名探偵たちをデバックすべく、4号機「マキナ」と博士の孫が、事件の横入りに挑む。

「名探偵の推理のミスが、どのようなエラーによって発生したか?」という趣向が、とにかくひねくれていて愉快です。ホワイダニットにおける「異常な論理」が犯人側ではなく、探偵側に適用される腸ねん転。通常の推理小説が解決編ならば、本作のこれは添削編とでも呼ぶべきでしょうか? いや、探偵ロボットたちの推理の筋立てに誤謬はなく、あくまで題にある「定義」に問題があるわけで……やはり、デバックという他ないでしょう。応用問題としては極めてマニアックなものですが、パズルとしての緻密さは薄く、どちらかと言えば、探偵小話とでも呼ぶべき軽さに優れた作品でした。それは、要所に挟まるコーヒーブレイク・パートにも表れていると思います。何より、登場する4体の探偵ロボットが皆、愛らしい。自我も意思もなく、ただの機能として探偵の責務を果たす彼女たちの在り方は、探偵として人間離れにしたひたむきさと真面目さを備えており、それがエラーによって空回る様には、カワイソウとカワイイが詰まっています。非人間的な探偵はおそろしく、悲しいものですが、それは元が人間だからに過ぎません。最初から人間ではない探偵は、かくも愛らしく、キュートで、無慈悲なものなのです。


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