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最近読んだアレやコレ(2024.07.21)

 前々会のアレコレでも書いた通り、引っ越しました。新環境の基盤構築に時間を費やしている、加えてお仕事が忙しく毎日23時とかに帰っている。よって、書くことが特にありません。強いて挙げるなら、定期的に食べていた「創味ハコネーゼ 海老の旨みたっぷり濃厚トマトクリームソース」が近所に売っておらず絶望し、やけくそになって「マ・マー 早ゆで3分スパゲティ1.6mm」を20袋購入し、それと近所のスーパーでトマトでスパゲッティを作ったらトマトが驚くほど美味しくて感動し、これなら「創味ハコネーゼ 海老の旨みたっぷり濃厚トマトクリームソース」と和えればばもっとよかったのにと再び絶望したりしていました。生活がスパゲッティに支配されている。あと、新しいキッチンが広くてうれしいですね。

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ボーンヤードは語らない/市川憂人

 役目を終えた軍用機が並ぶ「墓場ボーンヤード」に、人間の死体が紛れ込む。友人の刑事たちと共に、事件を追う空軍少佐のジョン。暴かれる真相は過去と重なり、ジョン本人、そして2人の刑事の苦い記憶を蘇らせるものだった。シリーズ第4弾、登場人物たちのルーツを追う4編収録の短編集。

 各短編単体は、安定感は高くもベーシック。しかし、それら4編を並べ、通した時に立ち上がる、アルバムとしてのよさに息を呑みます。シリーズ第1作のB面から動線を引き、普段、主役を務める2人の刑事のオリジンを経て、コンビ結成秘話に至る。コンセプトは王道ながら、それを魅せる仕立てがあまりに巧く、何より推理小説であることの必然性に満ちている。閉鎖空間内外の2視点を交互に繰り返す……シリーズ各長編を名作足らしめたその制限が、短編集という型式にも応用され、驚くほどの効果をあげているのです。各話の謎解きパズルとしての作りと、事件の中心に佇む「主役」の立ち位置は非常に似通っており、ゆえにそれらに関わってしまった2人のオリジンは、類似の結末に辿り着く。だからこそ、2視点が合流した上で、再度出題された同種の設問・同種の回答に対し、何故か生じ得た物語の結末の差異は、出会いを通じて2人が得たものが何なのかを、雄弁に逆算している。それは、全編を読み通すことで、短編の題であった「ボーンヤードは語らない」が、アルバムタイトルに押しあがることにも表れています。ストーリーや内容に連なりがあるわけでなく、あくまで短編集としての組み方、各パズルの並べ方・重ね方に秀逸な点がある。「編集美」とでも呼ぶべき、素晴らしい1冊でした。個人的にはシリーズベストです。

 

密室偏愛時代の殺人 閉ざされた村と八つのトリック/鴨崎暖炉

 八つ箱村の物柿家は、邦ミステリを牛耳る天才密室ミステリー作家の一族。その当主の死は、当然の如く連続密室殺人を引き起こした。呪われし昭和密室八傑のトリックになぞらえ、量産される死体と施錠。密室偏愛時代のただ中、青春を密室に費やした子供たちが、ロックドルームの開封に挑む。

 擬似論理と机上の遊戯。それが放つ魅力は、腐らせてはいけない果実を、ぎりぎりまで甘く熟させる背徳にも似て。つるべ打ちされる密室殺人と解決編は、脳味噌がつるつるに磨き上げられるような度を越したハチャメチャ具合。登場人物も舞台設定も、全てがREALを鼻クソのように丸めるが如きムチャクチャで、重箱の隅々に至るまで全てが密室殺人のために妥協され、隷属され、ご都合に満ちている。幼稚で安易で軽薄で……しかし、全てはやり遂げられている。「何故なら最高のトリックが八つも入っている時点で、仮にストーリーがどんなに稚拙だったとしても、それは最高の本格ミステリーになるからだ」 私は同意しません。しかし、愛おしいほどの狂気のもとで、確かにそれはやり遂げられている。本来、きずとなるものが、1作目2作目と先鋭化され続け、ついにそれでなければ刻めぬ言葉を綴る、唯一無二の筆に成っている。偽物が本物に裏返り、歪んだ世界が現実に変わる黄金時代が確かにここにある。繰り返しになりますが、「稚気」「遊戯性」とかっこつけてしまうと取りこぼしてしまうものがあるはずです。幼稚と安易と軽薄を正面から見据え、堂々とやり切った先にしか創り出せないものがあるはずなのです。1歩も臆することなく、閉じた偏愛の内に踏み出した本作は、どこまでも馬鹿馬鹿しくくだらなく……ゆえに、震えるほどの感動と、胸いっぱいの感謝を、ここに。大傑作です。泣いてしまった。


奇面館の殺人(上巻)/綾辻行人

 資産家・影山逸史が催す、奇妙な館の奇面の集い。招待客に課せられるのはたった1つの奇怪なルール。主と対面する時は仮面を被り、決して素顔を見せないこと……。6名のゲストが集い、6枚の仮面が配られたその日、季節外れの雪が降り、思わぬ奇禍が館を襲う。館シリーズ第9弾、開幕。

 再読。推理小説にしばしば登場する「仮面」というガジェットを突き詰める、何とも楽しい玄人好み。王道ではない、奇なる用途で用いられるがゆえに「奇面」。誰もがまず思いつく「入れ替わり」が、物語冒頭、主人公が舞台に上がる手口として消費される本気度は、「今からやることは応用編である」という宣言であり、事実、そこから展開される趣向と発想の全てがマニアックです。作者本人も文庫版あとがきで触れている通り、内輪で遊び倒し、新規性を貪欲に求めてゆく手触り……推理小説自体をフレームワークに据えて「重要なのは筋書きではない、枠組みなのだ。」を詰めてゆく肌感は、確かに『迷路館の殺人』を思わせる人工美と言え、その作品カラーは、探偵役・鹿谷門実が視点人物を務めることで決定的なものとなっています。虚構を虚構として捉える視点の高さが、笑いごとではないはずの殺人事件をどこかユーモラスな殺人劇に変えている。肉片も妄念も全てはパズルのピースと思えばただ愉快。絡みつく現実の重さを削ぎ落として生まれる「遊び」は、ソリッドな軽やかさに支配されていて、それはどこか浮世離れした……そして何より、悪魔的なおそろしさを備えたこの探偵役の魅力そのものでもあります。お約束が破られるこの新しいスピードに身を任せ、人殺しパズルの上で思うさまステップを踏みましょう。ああ、楽しい。いざ、下巻へ。


奇面館の殺人(下巻)/綾辻行人

 被害者の首はなく、容疑者たちの仮面は外せない。「雪の山荘」と化した奇面館では、使用人を除く全ての人間の顔が奪われていた。壇上の役者の顔が隠された、前代未聞、誰そ彼時の殺人喜劇マーダーファルス。探偵を買って出た小説家もまた、知人に成りすました偽物だった。館シリーズ第9弾、閉幕。

 再読。推理小説を題材にした推理小説。本作の趣向が、館の内に閉じこもるひとり遊びであり、それが『迷路館の殺人』に類することは前述の通り。しかし、シリーズの巻数が重なった上でやるその遊びは、より専門的でより特化した……具体的には、〈館シリーズ〉でおなじみの一分野への自己言及であるようにも思えます。「本質は表層にこそある」。仮面を被ればヒトは見分けがつかなくなるという事実と、確かな観察と推理力があれば仮面を被ろうとも誰かはわかるという理屈。文字の塊でしかない小説は、その中に居るヒトではなく、その上っ面に被さったテキストこそが本質であり、読み取った意味と価値自体は、読み手の語彙や情動という紛れを含んだ不純物でしかない。しかし、推理小説というジャンルだけは、その読み取るものと、表層と、本質を、限りなく一致させることができる……それならば、それすらもまとめて隠してしまえれば。「仮面を被っているのに入れ替わらない」応用問題は、「仮面を被っているからこそ入れ替われない」という転倒すら引き起こし、文字と言う仮面に上にさらにもう1枚被さった「奇面」となって、本来ありえたトリックをその下に隠してしまう。自家中毒めいた快楽と、オタクちっくな企みに溺れました。楽しみだなあ、双子館。


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