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NECEO12:電波塔でバラバラ(後編)

【ネクロ13:あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。

【ネクロ13:登場人物紹介】
ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
プラクタ:鼬のプラクタ。軽口を叩きがち。
ヒパティ:ぶっとい右腕のヒパティ。気は優しくて力持ち。
タキビ:ネクロの同居人。口が悪く気が強い。
グンジ:腑分けのグンジ。ひどく怖がり。
カット:無口。

前編より

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 サザンカの家は3階の角部屋にある。彼女が気の毒な大家を奴隷にし、電線という電線でがんじがらめにしたそのマンションは陰毛をまるめて転がしたような見た目をしている。そこに暮らす人間はサザンカお気に入りの焼肉屋の親父とタキビを除けば、彼女がその辺の通行人を材料にして作った「端末」だけであり、彼ら彼女らは主が俺と結ばれた今もなお、全室にみっちり詰め込まれている。ろくでもない物件だが、交通の便は悪くなく、ちょうど目の前の通りにバス停がある。

 俺がベランダから飛び降りたのは、そこに都合よく市バスが停まった時だった。4245系統。指忌ゆびき町経由、痔獄じごく行き。電波塔に向かう便ではないが、知ったことではない。俺の体重730kgを脳天からもろに受け止めたそのバスは、真ん中で「く」の字にへし折れ、天井と床の間でプレスされた乗客共のしぼり汁を左右の窓から勢いよく噴き出した。
 
「このバス借りるぞ」

 ネクロ、ネクロ、と群がる潰れ残りの乗客共を細切れにし、何やら異を唱えようとしていた運転手の生首をひっこぬく。そんなつもりはなかったのだが、奴の胴体が運転席と癒着していたのが悪い。残された首から下もエンジンキーとの接続部位を残してシートから切り離し、外に放り出した。アクセルを限界まで踏み込む。加速のGで乗客共の残骸がバス背面めかげて吹き飛び、窓をぶち破って路上に転がる。速度計の針は見る間に400を超え、メーターの側壁にぶつかってへし折れた。もちろん走っているのは邪魔な車のいない歩道だ。

『ネクロ、君には遵法意識というのものがないのだな。まあ、この街に法律など元からないが』

 驚いて振り向くと屁コキ野郎だった。ちぎれた自分の頭を脇に抱え、痙攣する運転手のものを代わりに首の上に乗せている。

『かわいそうに、彼は減俸されるだろう』

「知るか。無間労働から早退させてやったんだ。むしろ礼をよこせ」

『元勤め人の身としては、彼のように黄泉帰りであればと思ったことがあるよ。自殺をすれば、魂が自動的に自宅の肉体スペアに戻るんだろう?』

「こいつらは過労死から過労死に飛び渡るだけで、家には帰らないらしいがな。それより、ついてくるなら役に立て」

 歩行者共の筋繊維やら汚物やら臓物やらがウィンカーに絡まって視界が悪い。『ああ』と屁コキ野郎は肯き、ご自慢の屁でフロントガラスごと肉片を掃除した。
 
『外もか?』

「おう」

 開いた窓から身を乗り出し、進行方向の障害物をジェット・ガスで吹き飛ばしてゆく。これでかなり運転が快適になった。怒号や悲鳴はやかましいが、俺は今、女との逢瀬を控えて気分がいい。我慢をしてやろう。

『ネクロ、この調子ならば電波塔まであと10分はかかるだろう。手助けをする代わりと言ってはなんだが、お前と室長の馴れ初めを教えてくれないか。怒らないで欲しいのだが、俺にはあのやせた蝉みたいな外見をした女がそれほど魅力的には見えないんだ。……先にも言ったが、俺はお前を羨ましく思っていてね。よりよい人生の参考にしたい』

「てめぇの人生がクソなのは、てめぇに愛がないからだ」

『ははは、ひどいことを言う。気に入った奴を殺したくなる気持ちは俺にもわかるのだが。実を言うと声帯を肛門に移植したのもそれが理由なんだ』 

「グンジの研究室にバイトで雇われたのがきっかけだ」

 こいつの肛門事情を聞かされるくらいなら、俺が話す。

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「半年ぐらい前の話だ。いくら金を積まれたのか、商店街の親父があちこちの店にべたべたチラシを貼りやがってな。当時は金欠で、時給がよかった。応募要項は『死なないこと』で、実質、俺の名指しだった。恨まれる筋合いはごまんとあったから、どうせ罠だろうと思ったが、それなら八つ裂きにして帰ればいい」

「グンジは面接で俺を見るなり飛び上がって喜んで、実験室の拘束台まで案内し、手足を丁寧にくくりつけた。俺から出した条件は2つで『俺を殺さないこと』と『俺の女を切り離さないこと』。ほぼ同じ条件だな。女たちと共にある限り、俺は愛の力によって決して死ぬことがない」

「グンジは実験中、俺の内臓を引きずり出したり、酸に沈めたり、バラバラにしたり、脳みそに電気を流したり、とにかくひどく乱暴なことばかりをしてきたが、その2つの条件についてはしっかりと守ってくれた。夜には大体帰してくれたしな。そんなのが4ヶ月くらい続いたと思う。筋肉野郎に初めて会ったのもその頃だ」

「そういえばてめぇの顔は見なかったな。なぜだ? ……担当が違う? そうか。どうでもいいな。ともかく、グンジは、自分がやりたいことを筋を通した上でやる意志の強い女だった。俺の肉体に触れる手つきもよく、俺の女たちへの敬意も感じられた」

「一度いいように思うと、何もかもがかわいく見えるもんだ。コミックキャラクターがつけているようなあの丸メガネも、改めて考えるととてもキュートに思えた。だが、それは所詮気持ちだ。愛じゃない。愛はもっと確定的で、決定的で、間違いのないものだ。俺たちの魂が浮かんでいるレイヤーの上に、2度と治すことのできないレコードとして刻まれるものであり、どうあっても過程などではなく、そうなってしまった時点で、既にそうである結果だ」

「わかるよな。だから裏切りなんだ。奴は俺を裏切った。よりによってバイトの最後の日に、奴はミィを俺から切り離そうとした。裏切りが何を意味するのかを丁寧に語る俺の言葉に耳を傾けながら、メスを突きたてようとしたんだ。その瞬間、俺はどうしよもなく恋に落ち、それはグンジも同じだと気がついた」

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 到着まであと2分。電波塔の頂上が既に遠くに見えている。ラジオで俺の凶行が報道されたのか、歩道上に邪魔者はなかった。俺の話を聞き終え、屁のこき先も失った屁コキ野郎は、ふむふむと肯いて運転手の生首を捨て、自分の本来の頭を体に繋げた。

『独りよがりな話だったが、室長に関しては間違っていない。彼女は君に殺されるため、わざと君の恋人に危害を加えようとしたらしい』

「その割には、ずっと抵抗されているが」

『この街の住民は皆、雑でいいかげんだと言っただろう。彼女も例外ではない。詳しくは直接尋ねるといい』

 到着まであと1分。市バスは既に限界を超え、後ろ半分は火に包まれている。大抵の無茶が押し通る市役所専用のイカれた車とは言え、真ん中がへし折れたまま時速450kmで走る状況は想定になかったらしい。だが電波塔もすぐそこだ。保つ。

「屁コキ野郎。頼みが1つある」

『構わないが、そうだな。条件を1つ出そう。そろそろ俺の名前を覚えてほしい』

「わかった。筋肉野郎が言っていた名だな」

『ああ、〈鼬のプラクタ〉だ。約束だぞ。ははは、『裏切るな』よネクロ』

 到着。

 運転席から転がした強化粘性痰弾は接地後即炸裂し、猛ブレーキを踏みながらも慣性で突っ込んでくる市バスの前輪を電波塔の鼻先で絡めとった。いきなり前足を抑えられた市バスは、ケツを跳ね上げ、その勢いを殺さないままに電波塔の足元に背中を叩き付ける。その衝撃で前輪は痰汁を引きちぎり、宙に浮く。最早炎と煙と金属の塊となってぐるぐると縦回転する市バスは、電波塔を衝撃で傾けながら、地上およそ10mの地点まで宙を舞った。そして、先にバスから転がり降りていた屁コキ野郎……もとい、プラクタが頂上めがけて噴き上げたジェット・ガスにより、俺を乗せたままさらに上方向に吹き飛ばされた。
 
「プラクタ! 間違いなく覚えたからな!」

 返答は聞こえなかった。バスの背を蹴り、宙を行く。地面に叩きつけられた市バスが遅れて爆炎をあげたようだが、確かな愛の全能感の中にいる俺には届かない。右脚のバレエとギギを抱きしめる。左脚のジルとゲレンデに囁きかける。四人の女たちの骨は悦びでさざめき、突き出し、バスの衝撃で傾いてねずみがえしとなった鉄塔の横腹に俺を繋ぎとめた。女たちの愛を束ね、筋肉を何倍にも肥大させ、重力に逆らって駆け上がる。
 
 中腹の展望台を越える。床をぶち抜き、利用客共を地上にむけてばらまきながら、俺はさらに上へ上へと向かう。飛び散る硝子と血飛沫は花吹雪のようだ。グンジは近い。それがわかる。頂上の。アンテナの。それを制御する。小部屋の外の。足場の上の。

 みるみるうちに彼女の気配は近づき、やがてその丸めがねが、どろりと濁った瞳が、全てを嘲るようにねじくれた唇が、自らにふりかかる死に倦み疲れ恐怖した顔が視界に入った。不死者でただ1人その魂を分割することを可能とし、死を経由せず他者の肉体を奪い去ることができる例外中の例外の黄泉帰りが。この法なき臓腐ぞうふ市において、俺の女たちと並び「犯罪者」の烙印を押された13番目の災害が。〈腑分けのグンジ〉が、そこにいた。

「ひさしぶりですね、ネクロさん。私を殺しにきてくれてありがとう」

「グンジ!俺は!お前を!」

「カット。ネクロさんを殺して」

 グンジの傍らに立つ人型が急速にその体を膨れ上がらせ、全身からウニのように爪を伸ばした。俺は穴だらけにされながらもその爪の先端にかかる力を鋭敏に読み取り、肉を裂かれないよう、振りに逆らわず宙を蹴る。空中での制御は、キイロとサザンカをポンプに、アイサとハヤシを噴出口にした血液のジェットで行う。右へ、左へ。

 ウニの蠢動に合わせながらも、隙を見て爪から体を抜き、1拍の後、切りかかる。384歯、12人分の愛のチェーンソーナイフ。しかし、爪野郎は身を開き、右腕の爪でそれをいともたやすく受けて見せた。震えが落ちるとはいえ、あらゆる物体を切断する俺たちの愛を。しかし、最初の接敵からそれは予感できていた。くしゃりと、花を握り潰すようにグンジは微笑んだ。

「カットの正体は私です。分割した私の魂を入れて作った黄泉帰りの傀儡バックアップ。でも、その素材が特別製なんですよ。ボタン、アイサ、ハヤシ、キイロ、サザンカ、ミィ、タマムシ、ユビキ、バレエ、ギギ、ジル、ゲレンデ。ネクロさんの12人の女、12人の犯罪者たちが、ネクロさんに迎え入れられてその命をヒト1人の形に縛られる前。落した老廃物が何百年も時間をかけて寄り集まり、そこ残留した自我にすら満たない小さな魂を足し合せ、サザンカさんをベースとしてヒトもどきの起き上がり未満を作った。私はそれを乗っ取ったんです」

 やはりか。体臭で気がついてはいた。2度、3度。女たちの歯と爪が複数回火花を散らし、そして、爪が断たれた。当然だ、爪よりも歯の方が硬い。しかし、手数は相手の方が上だった。断たれ折られても休む間もなく爪は伸び、それどころかこちらの隙を埋めるようにしてその本数を増やしてゆく。淡々と試行回数を増やし、最適化してゆくその戦術は機械めいている。

 嵐のように降り注ぐ斬撃の内、刺突を選んであえて両手で受ける。振り切られるよりも前に、切断方向と垂直に力を込め、爪野郎を投げ飛ばす。その軽さに違和感があった。あきらかに人体の密度ではない。目を口も覆い尽くし、包帯のように全身に爪を巻き付けているその異形の中身には、恐らく何も詰まっていない。奴の体は本当に爪だけできている。グンジは言った。

「ネクロさん、死ぬって何だと思いますか。この街においてそれは最早睡眠と変わりません。ほんのひと時、通り過ぎるだけの過程。臓腐市は何億もの魂を捕える巨大な鳥籠です。行き場をなくした魂が、仕方がないから死後もなお身体に残り続ける現象が起き上がりであり、別の適当な身体に取り憑く現象が黄泉帰りであり、そしてそれらを繰り返す内に、決定的に壊れてしまい、どちらでもなくなってしまう現象が化け戻り……あなたです。いずれにせよ復活は保証されている。でも私は死ぬのが怖かった」

 グンジは出会ったときから何度もそれを言っていた。彼女は最初から動機を告白していたのだ。鉄塔に爪を食い込ませ、俺のスイングを抑えた爪野郎は、俺に刺さっている爪をあえて断ち、猫科の獣のように全身をたわませた。まずい、と感じるよりも前に、ソニックブームを伴って奴の両腕10本の爪が束ねられた槍が、俺の胴を貫いた。

 血液噴射で後退し、爪を胴から抜こうと試みる。しかし奴は、先端部に返しを作りそれを防いだ。奴の意図に気が付いた俺は、即座に全身の女たちを右上半身へと集結させた。内から外へ。花を開く軌道で俺の胴から放たれた斬撃は、俺を綺麗に10分割した。今斬られたら、死ぬ。そして爪野郎はその隙を見逃さなかった。グンジはその様を喰いつくように見つめている。

「死という名の眠りが怖い。私は意識の断絶が自己の連続性を揺らがせるという前時代の哲学に取り憑かれてしまった。だから、ネクロさんを研究したんです。ネクロさんの言うところの愛の力の正体は、自分に属するものをヒト1人の形にまとめてしまうという、化け戻りとしての力です。その結果、ネクロさんはヒト1人の形の中に複数の肉体と魂を宿し、しかもそれらが全て同一であるという矛盾の塊になった。ゆえにネクロさんは死なない。ネクロさんが死んでも、ネクロさん自身である彼女の中の誰かが生きているから」

 ゆえに、今、断たれたら死ぬ。女と俺の接続が切れ、俺の肉体と魂は本当に俺1人だけになる。それは困る。ではどうする。12人分すべての血液を残った右顔面上で圧縮し、噛み砕いた俺の奥歯を混ぜて、奴の顔らしき部分に噴きつけた。血液レーザーによって開いた風穴は、爪野郎に束の間の死を与えることに成功した。その隙に、切り落とされたと四肢と顔の左半分を女たちの肉を触手のように伸ばし拾い上げる。

 俺がナイフを手に奴めがけて駆けだした後、少し遅れて爪野郎が黄泉帰った。奴は微塵も慌てる素振りなく、弾丸のように突っ込んでくる俺めがけ横なぎの斬撃を放った。速度は奴が勝るが、距離は俺の方が近かった。互いの得物が交錯するその一瞬を、グンジは静かに笑って受け入れ、そして長い演説を終えた。

「ネクロさんは同一であり、かつ、別個であるがゆえに、瞬間的な死によって途切れるはずの命と自我が連続し続けている。ネクロさんを殺すには、ネクロさんから恋人たちを切り離す必要がある。しかし、その恋人たちは皆、臓腐市の歴史の中でも類をみない災害や怪物ばかり。彼女たちがあなたに協力する限りそれは決して果たされません。ああ、なんてすばらしいんでしょう。私もあなたみたいになりたかった。恋人の1人になって、あなたに迎え入れて欲しかった。死にたくなかった。私だって、死にたくなかった!……でも!」

「でも、そのためには、1度、俺に殺される必要がある。死ななくなるために、死ぬ必要が。それが嫌だったんだろう」

 バラバラに崩れ落ちたのは、カットの方だった。それを見て、怯えるように、あるいはうっとりと頬を赤らめて、グンジは小さく肯いた。

「自分でお膳立てをしておきながらひどいですよね。なんていい加減なんでしょう。いざとなると、まあいいやと考え直してしまうのです」

「この街は、そういういい加減な街だとお前の元部下が言っていた。だが俺は違う。俺は考え直さない。俺は絶対にお前を殺す」

 グンジに歩み寄る。踏み折られた爪の山が音をたてて割れる。

「お前は俺を裏切った」

 答えを聞く前にグンジの心臓を貫いた。振動する384の歯が彼女の肉に絡み臓腑に絡み血を混ぜ骨を砕いた。高く、細い、笛のような悲鳴があがる。彼女のキュートだった丸めがねはひび割れて床に落ち、瞳は収縮し、口元は潰れ、俺の口元に向け小さく小さく折りたたまれてゆく。グンジは、最も嫌ったその死の瞬間に恐怖で表情を歪め、しかし、その先に待つ永遠を思って、泣き、笑い、俺を見た。

「ネクロさん……ネクロさん!……ネクロ!ネクロ!ネクロ!ネクロ!ネクロ!」

 俺の名前を呼ぶ声は既にグンジだけのものではなく、「ネクロ」は13に重なりあっている。彼女の位置は下顎と決めていた。引き上げて俺の顔を覆うマスク。あるいは、首元に巻き付き風にたなびくマフラー。彼女を迎え入れ、抱きしめようとしたとき、全身に強烈な風の衝撃を受けた。プラクタだった。塔の階段からこちらに銃肛を向け、奴はとぼけていた。

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 女米木めめぎ生研のジェット・ガスは質が良い。燐光の炸裂と共に銃肛から噴出された高圧腐敗ガスは782kgある俺の身体を木の葉のように吹き飛ばし、既に崩れ落ち欠けている電波塔から何もない宙へと運び去った。

「プラクタ、てめぇ!」

『名前を覚えてくれてありがとう。言っただろう。気に入った奴を殺したくなる気持ちは俺にもわかると』

 落下してゆく俺を追いかけるように、プラクタも電波塔から飛び降りた。グンジを迎えいれた絶頂の余韻で、俺はまだ動けない。悋気の頂点にあるグンジ以外の女たちも、はやしたてるばかりで俺を助けようとはしない。プラクタは俺の肩を掴み、舌なめずりすると唇に噛みついた。シューシューと、気体が噴き出る音。何千年生きてきた中でも最悪のキスは、俺の体内にジェット・ガスを噴き込むためのものだった。

『気にいった奴は、こうやって破裂させるんだ。彼らはその時、どんな気持ちなのだろう。口はふさがっている。問いかけるためには、喉以外に声帯が必要だった。ネクロ、お前は今、何を感じている。教えてくれ。お前は、今も必死なのか? そんなに死にたくないのか?』

 抵抗する術がない。みちみちと音をたてて胴体が膨れ上がり、俺の肉が、骨が、皮膚が、バラバラに裂けてゆく。全身の女たちが俺から引き剥がれ、別れつつある。それは凄まじい恐怖だった。死の恐怖ではない。破局、別離、失恋。俺は一度も死にたくないなどと思ったことはない。グンジの気持ちはわからない。今やグンジは俺そのものだが、それでもやはりわからない。〈死なずのネクロ〉はてめぇらが勝手につけた名前だろうが。

『俺もお前のように必死になれているか? 俺は今、生きているか? 俺は楽しいと感じているか? ははは、ネクロ。死ね、ネクロ。そして俺に教えてくれ。はは、ははは。ネクロ、ネクロ、ネクロ……ネクロ!ネクロ!ネクロ!ネクロ!ネクロ!』

 俺の女でもない癖に俺の名前を何度も呼ぶな。そう答える前に俺の体は破裂した。甘い甘い死の眠りは、恐怖を飲み込むほどに抗いがたく、あっという間に俺の意識を刈り取った。

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【エピローグ】


『〈死なずのネクロ〉、死ぬ』。臓腐市最大のニュースを真っ先にばらまいたのは、鞣皮なめしがわ新聞の配達員たちであり、それを追うように、ラジオの各局も競ってネクロの訃報をかき鳴らした。

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 サザンカはその報道の全てを市全域に広げつつあった神経肢により把握していた。都市の高密化に伴い数を増やした電線は、彼女にとって実に都合のよいもので、総延長4,000kmに及ぶ臓腐市のラジオ・ケーブル・ネットワークのおよそ8割は、既に彼女の手中にあった。まずは何を始めるべきか彼女は考えていた。自宅に貯蓄してある端末たちをそろそろ持ち出す頃合いか。市内全ての有線ラジオからネクロへの愛の言葉を囁いてやろうか。ああ、タキビに一言謝っておく必要があるかもしれない。しかし、まず最初は。〈全てのサザンカ〉がお気に入りの焼肉屋に行くことを決めた時、彼女の歓喜で街の全ての電線は満たされ、無数の機能障害と事故を引き起こした。

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 指忌灯台にユビキが触れた瞬間、彼女はその肉体の全てを黄泉帰らせた。指忌町はかつて、市役所の人員調達のために人工の100%が黄泉帰りで固められた特区だった。不幸だったのは、魂子エネルギー炉の事故により折角集めた住民が全員同時に死亡したことだ。極端な死の同一性により自他の境界を失った人口15,475人は、巨大な1人分の魂として再構成され、それぞれの死体ではなく、指忌町そのものに取り憑いた。〈指忌町のユビキ〉。高さ13kmの身を起こし、雲を追いやりながら大きなあくびをした彼女は、しばらくの間に己の上に勝手に住み着いていた「異物」の群れを腹の中で押しつぶし、ゆっくりと糞便に変えていった。

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 誰よりも恐ろしい女王の帰還にハイヴ屍材製作の社員たちは震えあがった。彼女の支配から逃れるべく、何人もの社員が自ら命を絶ち、あるいは肉体を破壊し合い、自慢の企業墓庫から逃げ出そうとした。しかし、それは当然意味を成さなかった。ハイヴ創始者〈恐怖のキイロ〉は、化け戻りの中でも極めて珍しい他者の魂を変質させる力を持つ。ただ、魂魄産業分野の技術が一律そうであるの同じく、その能力には大きな制限がかかっていた。彼女にできることは、他者の自我を恐怖で塗りつぶすことだけだった。ハイヴ社屋の永遠に続くかと思われる絶叫と悲鳴は、史上最悪の軍隊と名高い屍兵蜂の群れの復活を告げていた。

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〈死のミィ〉は落下地点から一歩も動いていなかった。彼女は死んでいたからだ。彼女は、肉体の蘇らない起き上がりだった。固定されたその魂が蘇らせたものは彼女にもたらされた死という現象であり、彼女は数千年前に死んでからこれまで、いつまでもいつまでも際限なく死に続け、肉体を腐敗させ続けていた。永遠に終わることのない死と腐敗の過程の中で、ゴールを失ってしまった細菌は異形の進化を遂げ、この世の全てを殺し尽くす別の何かになっていた。〈死のミィ〉は落下地点から1歩も動いていなかった。そして彼女に汚染された周囲3kmに、動くものはおろか、形あるものすら1つも残ってはいなかった。

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 ネクロの体から離れた12人の女たちは、いずれもがいずれもの方法で羽根を休め、そしてネクロを待っていた。彼女たちは間違いなくネクロを愛しており、そして退屈していた。今回の件も暇つぶしだった。カットという悪戯を用意こそすれ、別に明確な目的があったわけではなかった。プラクタという狂った男は、自分たちとは無関係だった。しかし、結果として、自分たちは自由になった。それならそれで構わなかった。

  いいかげんで雑で適当で、妥協と矛盾と先延ばしに満ち、全てがなるべくしてなってゆく。ネクロがもし迎えに来なかった場合、彼女たちはこのまま自らが住む街を滅ぼしてしまうことになるわけで、それは彼女たち自身にとっても正直困る事態なのだが、まあ、それでも別にいいかと考えていた。この街に暮らすと言うことは、つまりはそういうことだった。


【NECRO12:電波塔でバラバラ】終わり
NECRO1:みんなで蜂退治】に続く