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最近読んだアレやコレ(2024.04.20)

 今回は、『冬期限定ボンボンショコラ事件』発売に備えての〈小市民シリーズ〉再読4連です。青春ミステリの魅力のひとつには、触れれば切れるような鋭さと、触れて切れてしまったことによる痛みがあると思います。後者の敏感さは、時を経てから読み返すと芯を食わないこともあり、時には、とても読んでいられないほどの面はゆさの原因ともなるわけで……。〈小市民シリーズ〉は、言うまでもなくその痛みの側面を強く備えた作品群です。近年発売された『巴里マカロンの謎』は、それがマイルドに味付けされていたこともあり、10数年ぶりに痛覚神経剥き出しの本編を読み返すのは少しドキドキしました。その結果は、以降に記す通りとなります。

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春期限定いちごタルト事件/米澤穂信

 小鳩君と小佐内さんは、ごく普通の高校1年生。犯罪はもちろん、事件すらも縁遠く、推理だなんて知恵働きをするはずもない小市民。消えたポシェット。美術部の謎の絵。自転車盗難。だけど、春風と共にやってきた事件たちは、そんなふたりの被った皮をふきとばすものだった。小市民、春の巻。

 再々読。小市民を目指す高校生探偵は、自らの能力を隠そうとするも、我慢できずについ事件を解決してしまう。シリーズの立ち上がりは、コミカルでキュート。しかし、重心を様々に変えながら差し出される5編は、いずれも骨太な「日常の謎」であり、レパートリーの豊かさもあって飽きが来ません。殺人という装飾を排することは、知的遊戯へのより純度の高い傾倒とも言え、「おいしいココアの作り方」は、まさにその実例と言えるでしょう。米澤ミステリの真骨頂とも言える「For your eyes only」もたまりません。ぎょっとするほどの攻撃性が不意に顔を出す、この危さ、度し難さ。以前読んだのは10年以上前ですが、首を打ち落とすような真相と、吐き捨てるような最後の1行は、完全に覚えていました。そして、その攻撃性は、ひとつの短編内に限られず、キュートなメッキが剥げ、グロテスクな素地が顔を出してゆく物語終盤にもよく現れています。「小市民を目指す、ではない」「お前たちは元からただの子供だろう」……ごく当たり前の視点は、小鳩君と小佐内さんの互恵関係に混じ入れずに終わります。自分たちを特別な存在だと思い上がった小賢しい子供たちの世界は打ち破られず、甘い甘いいちごタルトとして腹におさめられる。一番大切な部分を根っこから勘違いしたままに手を組んだ、探偵と犯人の傲慢な誤謬を正せる他者は、未だ、いない。


夏期限定トロピカルパフェ事件/米澤穂信

 小鳩君と小佐内さんは、ごく普通の高校2年生。春にほころびた化けの皮も整えなおし、この夏はスイーツ巡りに繰り出した。薬物乱用だとかキナ臭い噂は聞き流し、シャルロットに、ヨーグルトに、舌鼓を打つふたり。だけど、小山内さんには何やら裏があるようで。小市民、夏の巻。

 再々読。一番大切な部分を根っこから勘違いしたままに手を組んだ、探偵と犯人の傲慢な誤謬が、他者ではなく自省により正される。手厳しく。徹底的に。何もそこまでと、たじろぐほどの生真面目さをもって。……建前でも、題目でも、方針でも構いませんが、何かの目的のために掲げた言葉、それ自体に雁字搦めに縛られる様は、頭でっかちな本末転倒と呼べるでしょう。ふたりのこねくりまわす理屈のゲームを、見るに堪えない幼さであると、対岸に置くことはできるでしょう。しかし、私たちは「そういう小説」が好きだったはずです。生真面目なフェアネスを、頭でっかちなロジックを、机上の遊戯であることを忘れるほどにやり込んだ内輪に凝る突き詰めに、無上の甘さを感じていたはずです。ふたりの距離を互恵関係と言い張る微笑ましさは、今や挑戦状の厳密さによって塗りつぶされました。目の前には、凍りつくような笑顔と共に私達の好きだったものがたっぷりと盛られ、差し出されています。「推理小説を本気でやるならば、青春ミステリでなければならない」……そう思えてしまうほどに、残酷に完成し尽くした金字塔。何度読み直しても、震えるほどにいい。自分にとって、オールタイムベストの1つです。


秋期限定栗きんとん事件(上巻)/米澤穂信

 小鳩君は、ごく普通の高校2年生。そしてこの秋、なんと彼女ができました。受験の足音が迫りつつも、デートに喧嘩にの楽しい日々。連続放火事件の法則性なんて知らないし、新聞部を巡る騒動に見え隠れする知人……小佐内さんの影も見ぬふりをする……はずだった。小市民、はじまりの秋の巻。

 再読。生来のろくでもなさから、傲慢な思い込みを叩きのめされた分を引き、互恵関係解消によって枷が外れた分を足し……結果、差し引き、前作よりもカス度がパワーアップした主人公たちにひたすら圧倒される上巻。空々しく描かれるふたりの恋愛模様には、最早乾いた笑いを浮かべるほかになく、小鳩君は〈小市民〉実績解除のイベントとしてNPCとの会話をボタン連打し、小佐内さんは〈小市民〉装備の合成材料としてNPCからデートを収穫する始末。中でも、前作の「嘘つき」を呼ばわりを受け、小佐内さんが恋人を正面からマロングラッセのシロップ呼ばわりするくだりは、本当にひどく、何度読んでも笑ってしまいます。……新主人公・瓜野くんによって、ごく普通の学園ミステリが進行する背後から、人でなし共の気配が漏れ香り、連続放火に別種の緊張感をブレンドしてゆく。米澤ミステリの毒性が、瓶にたっぷり詰められて、部屋を隅から埋めてゆく。押せばこの小説の全部が終わってしまうボタンが用意され、目の前にむき出して置かれてるような底意地の悪いスリル。ついつい浮かんでしまう不謹慎なこの笑みは、きっと醜いものでしょう。自室でこっそり読みたいですね。


秋期限定栗きんとん事件(下巻)/米澤穂信

 小佐内さんは、ごく普通の高校3年生。でも、彼女の恋人、瓜野くんは特別だった。放火事件のミッシングリンクを解き明かし、次の現場を言い当てた。目指すは事件解決、犯人逮捕。燃え上がる探偵志願を背に、2頭のけだものは再び羊のきぐるみを脱ぎ捨て始める。小市民、おしまいの秋の巻。

「思い上がるのもいい加減にしろよ」の春、「いい加減にしろとは言ったけど、そこまで反省しなくても」の夏、そして「反省しなくてもとは言ったが、そこまで開き直れとは言ってない」の秋。瓜野くんも仲丸さんも、確かによくないところはたくさんあり、褒められたものではありません。しかし、主人公たちの醜悪極まりないごっこ遊びと比べたら、なんと善良であることか。……探偵として、犯人として、突きつけられた未熟。「〈小市民〉を目指す」というポリシーの背景に透ける腐臭の自覚。そこから想像しうる真っ当な青春譚を全て跳ねのけ、本シリーズはどこまでも本シリーズらしく、調子づいた子供の世界を甘い甘いお菓子で埋め尽くします。子供の成長というものを、これ程にグロテスクに描いてよいものなのでしょうか。シリーズの決着点に思えたポリシーの撤回は、青春ミステリの痛みを越えた先ではなく、痛むままに膿み腐れ、より傲慢でより身勝手な、直視に耐えない醜悪な形で凝固しました。事態が小鳩くんと小佐内さんだけで完結しておらず、何人もの人間がそのごっこ遊びに巻き込まれ、すり潰されているのが、嫌らしいほどに隙がない。結晶化した米澤ミステリの猛毒がここにあり、その攻撃性は致死の尖りを帯びている。どす黒く、鈍く光る傑作です。


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