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最近読んだアレやコレ(2024.05.29)

 最近は、リメイクされた『ペーパーマリオRPG』で遊んでいます。バトルに盛り込まれたギミック量がものすごく、しかもそれが煩雑さではなくにぎやかな楽しさとして機能してるのは、ちょっと魔法めいた凄さがあります。ステージが変わる毎に、コンセプトや美術が大きく切り変わるのもよくて、これもまたとても賑やかで楽しい楽しい……。細部にまで意の通ったフィクション作品に触れると、「リッチだなあ」という感想が浮かぶのですが、まさにそれですね。豪華で贅沢なゲームだ。あとどうでもいいことですが、マリオのRPG系列、『スーパーマリオRPG』『マリオストーリー』『ペーパーマリオRPG』の順番がタイトルから全く読み取れないですね。刃牙シリーズくらい読み取れない。『マリオストーリー』だけ遊んだことがありました。

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春にして君を離れ/アガサ・クリスティー、中村妙子

 娘の見舞いを終えた、英国への帰路。ジョーンは鉄道宿泊所レストハウスで足止めを食らっていた。旅のお供に持ってきた本も残り少なく、退屈な時間ばかりがすぎる余暇。思い浮かぶのは夫、息子、娘たち……素晴らしい家族の記憶。それは、ジョーンにとって完璧なものであるはずだった。

 筋立ての秀逸さや、仕掛けの切れ味は言うまでもなく。そのような「中身」に踏み入れる以前、今、目の前にある言葉とその連なりのすべてが、ひたひたとつゆに溢れるほど芳醇で、紙面の向こう側へと倒れ込んでしまうほどに奥深く。「本物」は実際に在り、「本物」は真実に居る。おばさんがくよくよしているだけのテキストが、どうしてこれほどの……という驚愕はおそらく馬鹿げています。真に完成した何かは、スケールの大小を問いはしないからです。ここにある「本物」がそれを証明しています。ドラマチックで、サスペンスフルで、愛嬌があって、痛切で、美しく、度し難く、真面目で、丁寧で……全てが言葉として吹き、文章として開き、物語として結んでいます。これだけのものを体験してしまうと、最早、「私」の話をせざるをえなくなります。「私」は、決して悪いことだとは思いません。一度ついた折り目は開こうとも消えぬものですし、何より、ひとりの中では安易は許されるべきもので……そして、家族というくくりには、本来ひとりの中でしか許されえないその安易を、妥協しあえる生ぬるさ/温かさがあると思うからです。ただし、「私」が子供という立場でしか家族に属した経験がないことは、明記するのがフェアでしょう。「私」にとって最も大きな意味を持ち、最も優れた価値のある作品のひとつでした。オールタイムベスト。


冬期限定ボンボンショコラ事件/米澤穂信

 小鳩君と小佐内さんは、ごく普通の高校3年生……ではない。轢き逃げにあってなお小鳩君は賢しらな推理を止めず、小佐内さんは犯人に復讐を果たすべく暗躍を始める。卒業を前に、生死の境に、探偵と陰謀が最後の交差を果たす。新しい春を前に、ふくるるはらはついに破れるか。小市民、冬の巻。

 前作までの復習記録はこちら。小鳩くんが車に轢かれて死にかけてるのがおもしろすぎて、ギャハハ!ざまあねえぜ!と笑いながら読み始めたのですが、なんか思ったより大変なことになっており、謝りたい気持ちです。春の醜悪極まった傲慢を受け、夏の不必要なまでに過剰な自省を経て、2度の秋で露悪と開き直りに毒したお子様たちの探偵譚・犯罪録。その幕引きはもう、生きるか死ぬかを持ち込むしかない……実際、小鳩くんは死にかけたわけで……そんなレベルにまで室内の空気は濁ってしまった、行きつくところまで行き着いてしまったという肌感があったわけですが……。15年越しの幕引きは、その15年で磨かれた筆力をもって行う渾身の軟着陸でした。足りなかったのはただひとつ、その密室の窓を開け、他者を招くことだったのでしょう。2人切りの空間で建前をサッカーし続ける不健全さは、3人目の声によって霧散する。傲慢は謝罪に、自省は対話に、露悪は意地の悪い冗談に姿を変える。グロテスクなけだものは、人込みに揉まれ、ただの性格の悪い大学生となる。ごく普通に探偵をやることは、決して悪いことではない……それでも、2人だけの秘密の中で、2人は特別な探偵と犯人であり続けるに違いありません。推理小説は、今後もきっと囁き交わされる、彼と彼女のお話の中に生き残るのです。心地よい満腹感があり、これ以上求めるものはありません。しかし、お菓子は別腹。京都限定の銘菓、楽しみにしています。


グラスバードは還らない/市川憂人

 透明・不透明を切り替える新型硝子。その迷路の壁も、その硝子でできていた。閉じ込められたのは4人。「消失」と「出現」を繰り返しながら、迷路は彼らを順に死体に変えてゆく。一方、その外。希少動物密売ルートを追う2人の刑事が、爆破テロに巻き込まれようとしていた。シリーズ第3弾。

 閉鎖空間内の連続殺人、閉鎖空間外の刑事の捜査、2視点を交互に語り、事件には必ず「新製品」が関わってくる……続けるには厳しすぎるその条件を遵守しながらも、新作が出る度に必ず新しい趣向を凝らす。本シリーズの「シリーズもの」としての取り組みの水準の高さには、思わず姿勢を正してしまいます。『ブルーローズ』の特色が、2視点の繋がりが謎として機能する点にあるならば、本作の特色は、その視点が写す光景のあやしさにあるでしょう。天を衝く硝子の塔が青空の下で崩れ去ってゆく様子や、画面の端々に尾羽だけを写し、幕間で人々を魅了してゆく硝子鳥グラスバードの存在感……何より、硝子の迷路の奇景ぶり! 迷路を舞台としたミステリは幾つか前例があるものの、「殺人が起きるたびに壁が消失する」というシチュエーションは、全く新しいのではないでしょうか。死の恐怖が、抜け出せない閉塞感ではなく、その壁が消える開放感と結びつく異様。見通せない壁の向こうに人殺しが潜む不条理ではなく、事あるごとに「迷路の中には人殺しがいない」と突きつけられる不条理。迷路が本来持つ機能と逆の部分に接続されたサスペンスは、未踏のスリルを味わわせてくれるものでした。正常な地点からずれた地点ではたらき続けるその奇しさは、当然、推理小説としての焦点をも、大きくずれた位置に結びます。おもしろかった。


こそあどの森のないしょの時間/岡田淳

 小川のほとりの広場、若い木がつくる日陰が、スキッパーの好きな場所。ある夏の初めのころ、そこで不思議な声がスキッパーに話しかけてきて……「日記帳にちいさな葉っぱをはさんだ日のこと」。誰かと何かと言葉を交わす、こそあどの森の住人たちのひとりだけのないしょの時間。全7話。

 前作「こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ」がDLCであるならば、本作はクリア後にラスボスを倒す前に戻ることなく、そのままその後の世界の様子を見て回れるような……そんな安心感に似た嬉しさ溢れる1冊でした。他人と言葉を交わし、過去を読み、自然の内に身をおく生活を描きつつも、常にスキッパーの孤独な時間を尊重し続けたこのシリーズにおいて、他の住民たちのひとりきりを知れるのは、たまらない贅沢です。ふたごは夢中の遊びの中にそれがあり、スミレさんは冷静な俯瞰の内で夢見る一瞬にそれがあり、ポットさんはどこか俗っぽく愛嬌あふれる暮らしの一部にそれがあり……7つの話は、すべて、らしく、心地よく、豊かに満ちた、確かな孤独でした。何より、本編終了後(収録された7つの話の時系列は不明ですが)も、30年来のつきあいである子どもたちが、作家さんが、姉弟が、夫婦が、息災なく日常を送っている様子をのぞき見ることができること……これに勝る幸せはありません。今年の秋には姉妹編「こそあどの森のひみつの場所」も出るようです。この森でもなければその森でもない、あの森でもなければどの森でもないこそのあどの森のさらにひみつの場所だなんて、そんなの素敵に決まっているじゃないかと今から楽しみで仕方がありません。



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