見出し画像

最近読んだアレやコレ(2024.02.11)

 連休なので、髪を切るなどしました。他人に力を込めて触れられるのが苦手です。潔癖なわけでなく、肉と水っ気が意思をもって押し当てられてやわく潰れ、その奥の骨の硬さをうっすら覚える「あの感じ」が嫌いなのです。込められる力に意思が伴わない、たとえば満員電車なんかは全く気にならないんですが……。幼児の頃も、頭を撫でられると嫌がって泣いていたらしく、昔からですね。特に指が嫌です。5本もあり、不快極まる。なので、散髪は本当に苦手だったのですが……ここ数年でどんどん気にならなくなっています。何かが鈍り、境界が呆けている。ビールを美味しいと思ったのは、いつからだったでしょうか。珈琲は子供の頃から好きでした。葱は未だに嫌いです。始めて洗髪を頼んだのですが、残念ながら気持ちがよかったです。

■■■



シャーロック・ホームズの凱旋/森見登美彦

 ヴィクトリア朝京都に轟く、かのシャーロック・ホームズの名に土をつけたのは、大犯罪でも大事件でもなく、彼自身のスランプだった。推理を失くした探偵には、記すべき事件も訪れない。それは、私、ワトスンの断筆を意味していた……。京倫迷妄、詭弁歪理な非探偵小説的冒険の顛末やいかに。

 なんて悲しい小説なんでしょう。行間の奥に、大きな大きな岩のような悲しみがあり、それがとろとろと溶け出しては、体の内に入り込んでゆくようです。ワトスンもモリアーティもホームズが大好きで、それでももう、ホームズは、本人にもどうしようもなく探偵ではなくなってしまっている。それが悲しい。たまらなく悲しい。整った筆致で丁寧に綴られた彼らの気持ちは、まぎれもなくそこにある「本当」の悲しみで、読んでいて何度も泣きそうになりました。背を丸めてとぼとぼ歩く等身大の探偵……その孤独に吹きつける風の冷たさは、遠く離れたロンドンの闇のものではなく、ほんの少しだけファンタジックな寺町通の夜風のものです。そして、それを「本当」のものとして真摯に書きぬいているからこそ、対となるロンドンの闇も、その無辺おおきさに説得力を持たされています。不完全な探偵と、完全なる名探偵。鏡映しの彼らは言うまでもなくフィクションで、それでもそこに通う気持ちが「本当」である以上、輝きは嘘になりません。過去という宝石箱に収められ眺めるしかなくなったその輝きを、今、物語として書くということ。今、私が読むということ。それならば、ホームズの冒険は間違いなく、今、ここにあるのです。ワトスンなくして、ホームズなし。傑作でした。


無貌伝 ~探偵の証~/望月守宮

 反旗を翻した魔縁・蜘蛛の手により、首都・藤京は地獄と化した。類まれなる推理能力によって蜘蛛の巣のように張り巡らされた計画は、悲願の無貌抹殺に向け、全てを巻き込み破壊してゆく。失踪した探偵に代わり、探偵助手・古村望は蜘蛛を捕えることができるのか。〈無貌伝〉シリーズ第5巻。

 本当の自分を探し求める2面相の探偵、人の形を真似ただけのヒトデナシの探偵、貌を奪われ誰でもなくなった探偵……思えば、この異説の探偵譚における「探偵の証」が何であるかは、これまでの4作の中で十分に語り尽してはいたのです。ゆえに、古村少年が、闘いの果て、最後につかみ取った結末は必然であり……探偵の推理が導くような、悲しいまでに明白な真実でした。名を持つ誰かになるために探偵を志した少年は、ついに5作目にして、探偵に成った。成ってしまった。語り残したものは、何故それが「探偵の証」であるかを示す物語のみであり、それはまさしく「奪われた貌」を語る、「最後の物語」となることでしょう。……それにしても、『スノーホワイト』といい、『アンデッドガール・マーダーファルス2』といい、バトル展開のあるミステリって、独特の「やったったぜ」感があって好きなんですよね。世界を秩序だててゆく思考の闘争から、強制的にステージが切り替えられる様にはカタルシスを覚えます。本作も、推理小説の作りが異能バトルの文脈へ翻訳されており、その乱暴さが痛快です。それは本作の主役である魔人・蜘蛛のイメージと、綺麗に重なり合うものになっています。


なぜなら雨が降ったから/森川智喜

 探偵・揺木茶々子が踏み入れた事件現場では、必ず雨が降る。遺品は濡れ、死体は湿り、犯人は傘をさす。それは、彼女にとって事件の謎を解き明かす手がかりとなる……。ホワイダニットの答えはいつも雨。100%の降水確率が事件の解決を保証する、雨女探偵の事件簿・全5編。

 特殊設定ミステリと呼ぶほどには厳密性はなく、もっとライトで、自由で、のびやかな、コンセプト・ミステリとでも呼びたい佳作でした。「雨が解決の糸口となる」というゆるい縛りの元で展開される、ショートなトリックとアイデアは、切れ味の鋭さというよりも、曲(くせ)のなさが魅力です。前述の縛り以外の制限はほぼなく、殺人事件から日常の謎、はたまた「昔話の雪女の正体を考えよう!」という世間話に過ぎないものまで。バラエティに富んだ各話は、読んでいて飽きないし、それでいて重くもありません。個々をあげるなら、第1話「雨女探偵」は、コンセプトに対して純度高く徹してゆく様が小気味よい入門編であり、第2話「てるてる坊主」はいわゆる「首無し死体」の応用問題として、優れたアイデアを奮った良編でした。中でもベストは第5話「狐の嫁入り」でしょうか。固定されたホワイダニットの回答の隙間から、すり抜けるように刺してくる「なぜ?」への打ち返しが鮮やかですし、又聞き情報から問題編を推測してゆく虫食い算めいた趣向が愉快です。雨を主役にしながらも薄暗さはまったくなく、ポップな絵柄なカレンダーをめくるような、地に足着いた楽しさのある連作でした。


グリーン家殺人事件/S・S・ヴァン・ダイン、日暮雅通

 グリーン屋敷マンションに物取りが入り、娘が1人銃殺された。ごく普通の強盗事件に見えたそれは、実のところ、悪夢じみた連続殺人の幕開けだった。憎しみ合う母子。古色蒼然たる館。繰り返す銃声。探偵ファイロ・ヴァンスの心理学的推理は、恐るべき殺人者の構想を読み解くことができるのか。

『ベンスン』『カナリア』の新訳を読み、「心理学的推理」と称した無法極まる探偵作法に魅了されて早数年、ようやく続きを読むことができました。前述の2作と比べ、心理学的推理はあまり前面に出ていないものの、「ロジックとフェアネスが読者の理外の領域に配置されている」という変態的な趣向は失われていません。推理上ではなく犯行計画上に座を移したそれは、むしろ異形度をより増しており……推理小説のルールをハックするかのような危うさは、よりスレスレまで攻めたものとなっています。正直、現代の読者である私ですら「それってアリなのか……?」と慄きました。オールドスクールでありながら最前線。基礎を固めた耐久性の高さによって今もなお傑作足りうる……のではなく、今読んでも普通にめちゃくちゃ新しいことをやっているのが、ヴァンスものの凄味であると痛感します。あと、極めてろくでもないグリーン家の連中が、ぽんぽん死んでゆき、遺族も探偵も警察も大衆も誰もそれを大して悲しんでないし、なんならちょっと喜んでる心のなさが、最高ですね。人の死を玩具にするいけ好かないクソ野郎っぷり。探偵小説が持つ猛毒の蜜を、ぎゅっと絞り出したようなこのシリーズが大好きです。甘露甘露。うおお~ッ!これでついに『僧正』が読める!


この記事が参加している募集

読書感想文