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最近読んだアレやコレ(2023.12.31)

 年末年始休暇に入り、真昼間からソファの上でうとうとしたり、まる1日『Backpack Hero』で遊んだ後、セーブデータを全部消し飛ばしてほがらかに笑ったりと、長期休みに相応しい無為な日々を過ごしております。「色々やりたいことがあるのに、結局何もできないで終わる休日」は、凡人ならではの絶望を表すエピソードとしてよく語られますが、最も貴重なリソースである時間を無為に浪費すると考えれば、大変な贅沢もあるわけで、もっとポジティブにとらえてもいいんじゃないでしょうか。うまく寝つけず午前4時くらいまでスマホをいじり、うとうとして目が覚めたら昼の13時であった。買い物や喫茶店に行く気力がなくなり、近くのコンビニで買った惣菜で適当に昼飯を済ます羽目になった……個人的には、そういう瞬間に、豊かさと幸福感を覚えます。時間を浪費して、脳を無意味でしゃぶしゃぶしよう。

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倒叙の四季 破られたトリック/深水黎一郎

 春は縊殺、やうやう白くなりゆく顔いろ――。とある敏腕刑事が記した裏ファイル。〈完全犯罪完全指南〉と題されたそれは、捜査官の視点から完全犯罪の実行法を記したマニュアルだった。春夏秋冬、4つの季節で起きた、4つの事件。教科書通りの完全犯罪を、刑事たちは破れるか。

 法医学などの専門知識を用いて計画されたトリックは、通常の推理小説よりも強く現実に寄ったものであり、いずれも「隠ぺい工作」と呼びたくなるものばかり。このジャンルが本来備える遊戯性から乖離する程に、細かく細かく縮められた網目には、犯人たちの確かな苦労と努力が感じられ、ゆえに、それでもなお隙間から真実が漏れてゆくさまには、もののあはれを感じます。あちらを立てればこちらが立たず。真実を隠そうとする行為は、ほつれを繕うために布をよせるようなものであり、連動して必ずどこかに皺がよる。ここにあるのは精緻に組まれた「解けるパズル」ではなく、ヒトの手で完全は作りえないというままならない現実です。憎たらしく書かれている犯人たちですが、その不条理を前に打ちひしがれてゆく様は、やはりどこか憎めず、こちらも少しの悔しさを感じてしまう。蟻のひと噛みで崩壊してゆく計画に感じるものは、痛快さとはまた違う……「人間を殺すのって難しいんだなあ」というサイコパスの小学生の如き気持ちのいい諦念でした。ベストは「夏は溺殺 月の頃はさらなり」でしょうか。人間の不確定行動が、皮肉めいた結末を引き寄せているのが印象的でした。

(私は講談社ノベルス版『倒叙の四季 破られたトリック』で読みましたが、このバージョンはkindleがなかったため、文庫版『倒叙の四季 破られた完全犯罪』のリンクを貼っています。)


木挽町のあだ討ち/永井紗耶子

 芝居小屋の裏手にて一件の仇討ちあり。雪の降る中、赤い振袖を着た美しい若衆が、荒くれの博徒の首をとる。……さながら芝居と見紛うその一幕に、木挽町では多くの風説が飛び交った。そして2年の後、若衆の縁者を名乗る者が町に姿を現す。その男は、仇討ちの目撃談を集めていた。

 なんと達者な文章であることか。見惚れるほどに観目麗しく、それでいてリーダビリティを保つ確かな機能も備えています。物語に踏み込むその手前、「文字を読む」それだけがたまらなく心地いい。たとえるならば、デザインの洗練されたアクションゲームを遊んでいるのかのようです。手触りがいい。のど越しがいい。油断をすると、なめらかな紐を手繰るようにどこまでもつるつると読めてしまうのですが、この体験を終えてしまうのがもったいなく、あえて手を止めながらゆっくりと読みました。ここまで魅力的な語りを前にすると、推理小説じみた構造上の仕掛けがあることに野暮を感じてしまうのですが……語りが魅力的であるからこそ、語られるドラマとそれを語るキャラクターにも血が通い、ゆえに、「彼らならば、確かにそうしただろう」という強い説得力が仕掛けに付与されていることは、やはり無視できません。通常であればロジックとフェアネスによって作られる説得力が、「物語る」という小説の基本中の基本の手法によって作られています。読み心地に舌鼓を打つ読者の私的な体験が、作品としても最後に確かな意味を持つ。読書に本が報いてくれる。そんなやさしさが、ありました。


一線の湖/砥上裕將

 湖山賞から時が過ぎ、駆け出しの水墨画家・青山霜介は壁にぶつかっていた。皮切りは揮毫会での失敗。「描かない」ことを薦める師に逆らうも、線を描くことは次第に難しくなってゆく。そんな折、兄弟子の頼みから、小学校の美術を受け持つことになる。それは思わぬ転機の兆しだった。

 凄まじい。前作がおもしろかったため、気軽に手にとったのですが、ぶん殴られました。「水墨画を描く」ことを「線を描く」ことに解体した前作の続きとして、「線を描く」とは何かを緻密に文章化したのが本作です。そしてその精度がおそろしく高い。人間が行う1つの行動を、ここまで分解し尽くした小説は他にあるのでしょうか。ある種の妄執すら感じられるほどに、コンマ1秒、粒子1粒に至るまで漏らさぬよう、「線を描く」、それもただの「一線を描く」が文字に起こされてゆく壮絶さ。その膨大な情報量は、読んでいるだけで溺れてしまいそうになります。水墨画のひとつの到達点として「線を描かない」ことが本作では示されるのですが、ある意味ではテンプレートなその境地を、逆に徹底的に書き尽くすことで説得力を持たせているのも圧巻です。「やらない」ためには「やり尽す」必要がある。悪魔の証明を縁まで満たして溢れさせるようなその正しさは、最早、狂気にも近しい。しかし、厳しすぎるそのアートの道を、本作は小説としてやり切っています。文字に書き得ぬものを、文字で書き尽くした果てが、確かにここに書かれているのです。息を飲むしかありません。年間ベスト級の傑作でした。


密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック/鴨崎暖炉

 ある密室殺人に下った無罪判決は、日本を空前の密室殺人ブームに変えた。推理小説作家が遺した館、雪白館で起きた一連の事件もその1つ。惨劇極まる連続殺人。当然、全ての死体は、密室の中に。密室黄金時代のただ中、青春を密室に狂わされた子供たちが、ロックドルームの氷塊に挑む。

 割り切るにも程がある舞台設定と、ギャグ漫画みたいな固有名詞、そして内輪ネタでクスクス笑いし続けるこの空気……全編に敷かれたアトモスフィアは、はっきり言ってしまえば「幼稚」としか評しえないものでしょう。しかし、「稚気」「遊戯性」と呼んでかっこつけてしまうと取りこぼしてしまう大切なものがここにあります。「密室を作る」「推理小説を書く」という目的の前では、全ての瑕疵は許される。究極的には、推理の根幹であるトリックやロジックにおいてすら、条件さえそろえばそれが許される瞬間がある。机上の遊戯が机上の遊戯たる所以がそこにあり……勿論それと真逆の「小説は天帝に捧げる果物、一行でも腐っていてはならない」という指針があることは踏まえつつも……やはりこの安易の内に遊ぶ遊戯性こそが、と胸熱くなる気持ちも真実です。幼稚なひとり遊びの果てに、フェイクから実る果物もある。個々のトリックで言うならば、古典的な「隠し通路」をひねくれた形で昇華した食堂密室が好みです。しかし、印象に残るは、やはり大味極まるドミノ密室でしょう。なんてバカバカしくて愛らしい……物理トリックと幼稚さは表裏一体なのかもしれません。おもしろかった。次作も読む。



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