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あれ。

「このにおい嫌い」

あてもなく出かけるドライブは「海が見たい」と海無し県育ちの瑞希はいつも言うくせに潮の香りを嫌がった。
「海に来たいって言ったのは瑞希だろう。キラキラ光る水面や波の音だけじゃなくて、このにおいまでが海なんだよ」
「生臭い〜」
「それが海なの」

「わぁ〜…このにおい嫌い」
水炊きや湯豆腐の出汁に昆布を使うと、土鍋の蓋を開けた瞬間に瑞希は鼻をつまみながらそう言った。
「これが良いのに」
実家の窓の外には太平洋が広がる海有り県育ちの僕にとってそれは食欲をそそられるたまらない香りだった。
僕が作ったごはんを食べる時のうれしそうな瑞希の顔を見るのが好きだけれど、どうもこのにおいだけはお互いに歩み寄れずにいた。
昆布を入れた僕の土鍋、ただのお湯が入った瑞希の土鍋。僕たちは各自の土鍋で湯豆腐を食べた。

「お昼はパスタにしようか」
「うん、いいね」
和洋中、僕たちの休日のお昼はだいたい麺類だった。
「冷蔵庫のモッツァレラチーズ使ってもいい?」
「うん、いいよ。じゃあさ、ちょっとワインなんかも飲んじゃう?」
「そうだね」
鍋にお湯を沸かしてパスタを茹でながら僕は冷蔵庫からモッツァレラチーズとトマトと水菜を取り出した。
「おー、スッキリと爽やかな白ワインに合いそうな具だね」
よく冷えた白ワインを30年もののデュラレックスに注ぎ、一口飲んで瑞希が言った。
「かもね。じゃあ、向こうで待ってて」
「はーい」
瑞希と出会う前は料理なんてまるでしたことがなかったのに、うれしそうに食べる瑞希の顔につられて最近は趣味になりつつある。

「はい、おまたせっ」
「ん?ちょっと待った。なんかふにゃふにゃした黒いの入ってるけど?」
「うん、入れた」
「これはあれだよね。間違いなく、あれ、だよね?」
「うん、あれ、だね」
「えー、なんでここに入れたのー?」
「とりあえずちょっと食べてみて」
「えー…これ…」
僕はのぞきこむように、一口食べる瑞希の顔を見守った。
「ん?え?何これ、あれ?おいしいんだけど」
塩こんぶ入りのパスタを食べた自分に驚く瑞希の顔を見て、僕は心の中でガッツポーズをした。


【トマトとモッツァレラと塩こんぶの旨味パスタ】

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