一番賢いお金の使い方は「最大公約数を見極める」という話
どうも、ゴーゴーケンゴです。
昨夜、トークンハウスの可愛い後輩から「お金を貸して欲しいです」という相談を受けて、二つ返事でOKを出したんですが、「どうせなら、もっと気持ち良い方法があるのでは?」と思い、アレコレ考えたことを書いていきます。
⑴砂漠の雨理論
これは、さっきランニングをしながら勝手に名付けた理論なんですが『変数を1つズラせば価値は最大化される』という意味です。
どういうことかと言うと、雨って基本的に喜ばれないじゃないですか?
だけど、砂漠にいる人からすれば、雨が降れば歓喜しますよね。
つまり、ここでの変数は場所です。
水に困ってない場所なら雨は鬱陶しいだけですが、水に困ってる場所なら恵みの雨になると。
ここで、何が言いたかったかと言うと『同じものでも、人や環境によって感じる価値は大きく変わる』ということです。
では、これをお金で考えてみましょう。
⑵貰う側と払う側の価値の最大公約数
お金のやり取りで見てみると、貰う側と払う側に分かれますよね。
今回だと、僕がお金を払う側で後輩が貰う側です。
ここで、重要なのが『貰う側と払う側の価値の最大公約数を見極める』ということ。
払う側にとっては、なるべく痛みが少なく、大きな価値を得れるほうが払いやすいですよね?
貰う側からすれば、必要額をリスクなく貰えれば最高ですよね?
この両者にとっての価値の最大公約数はどこにあるのでしょうか?
もちろん、払う側の金銭的余裕や貰う側の必要額によって、大きく変わるんですが、今回のケースだと『頑張ってる若者を応援したい!』という感じなので、そのテイで考えていきます。
⑶お金を払って金銭的価値に変えるのは面白くない
「頑張ってる若者を応援したい!」と言う気持ちが根底にある中で「よし、1万円貸すから返済は1年後でも良いよ」とするのは少し面白くないなと感じました(とは言え、無償で貸してくれる優しさは素敵すぎる…!)
なぜ、僕がそう感じたかと言うと「1万円を1年後の1万円に変換しただけ」になってしまうからです。(もちろん受け取った側の感謝もありますが、最悪返ってこない可能性もあるわけで…)
これ結構リスキーだなと思っていて、受け取った側の状況にもよりますが1年後に返ってくる保証はないじゃないですか?
で、返ってこなかった場合どうなるかと言うと、1万円の損害以上に、その人との信頼関係が崩れるんですよね。
まぁ、1万円なら別に…と思うかもしれませんが、じゃあ、その人が次、借りにきた時に、あなたは貸せますか?って話で。
これ、双方にとってリスキーじゃないですか。
だから、基本的に貸したお金は返ってこないとするほうが気は楽なわけで。
では、1万円を貸さずにあげちゃった場合、どうなるか?
これが非常に面白い部分です。
⑷お金を無償であげると受け取った側が価値を決めれる
僕は昨年ブログに書いた記事(『今まで貯金したことない』年収35億!ZOZO前澤流お金の使い方にシビれた話。)をZOZO前澤さんにツイッターで紹介してもらったのを機に、自分でも実際にやってみようと「100万円を人のために見返り求めず使う」という企画をやりました。
そこで、お金を無償であげまくってたんですが、そこで得た気づきが『お金を無償であげると受け取った側が価値を決めれる』と言うことでした。
要は、お金を払ってる僕は「見返りは受け取りません!」と言ってるので、貰った側が僕に対して出来ることって、感謝だけなんですよね。
感謝量は目に見えないのでモノサシで測れません。
だからこそ、受け取った側が価値を決めれちゃうんです。
例えば、それで100万円を受け取った人が、その100万円で人生が変われば、その人にとって、そのタイミングで貰えた100万円は一生モノになるでしょう。
しかし、それで100万円を受け取った人が、特になんの感動もなければ、あまり価値のない100万円だったと言えるでしょう。
これは、最初の砂漠の雨理論で話した部分ですね。
⑸お金を払う側が得れる可能性のあるモノがデカすぎる
先ほどは、貰う側の視点でしたが、今度は払う側の視点で見てみます。
これ、実はお金を無償で払う側のメリットもしっかりあったんですよね。
現に僕の場合は「100万円を人のために見返り求めず使ってみました!」って言うエピソードを擦り倒してますし、それで「ゴーゴーケンゴさん面白いですね!」となって、トークンハウスへの出資が決まったりとかもあったので、1つは「面白いエピソードを買える」というのがあります。
2つ目は、受け取った側の人がめちゃくちゃ良いヤツだった場合、一生感謝されるんですよね。「あの時は本当にありがとうございました…!」って。そういう素敵な人にお金が巡る世界はなんか良いですよね。
で、そうなった場合、そんな素敵な人と一生の付き合いが出来るわけですし、その人の人生の記憶の中に自分を入れてくれるって凄いことだと思いませんか?
「他人の人生の記憶に残る人間になる」というのは、お金だけでは買えないモノですからね。
⑹お金で買えない価値に投資するということ
このnoteを読んでるあなたなら薄々気づいてるかも知れませんが、今ってどんどんお金を持つことの価値が下がってるんですよね。
でも、お金の使い方が上手い人なんて、ごくごく僅か。多分ほとんどいません。
なぜなら、学校ではお金の勉強を教えてくれませんし、それに気づいて勉強しても、まずはお金を稼ぐことを勉強しますよね。
多くの人はそこで諦めて、稼ぐことすら出来ない。そこで稼いだとしても、お金の使い方を知らないから、破産する。で、また稼ぐ。そこでお金を増やす使い方を学ぶ。それでお金が増え続ける。で、どうするの?
って話です。
日本だけでも、そんな人たちが割といます。
お金はあるけど、お金で買えるものは全て買ってきたから、使い道がない。
そんな人を僕は1人知ってます。てことは、もっといるはず。
つまり、お金で買えない価値に投資するということは、かなり難しいし貴重な体験だよねって話です。
⑺お金で買えない価値の最大公約数
じゃあ、その上でお金で買えない価値の最大公約数を考えようと。
つまり、払う側は「まぁ、その金額なら出しても良い!」てのと、貰う側が「それだけ貰えたら、めっちゃデカイっす!」ていう価値の最大公約数が、いくらなんだ?ってところです。
まず、払う側。
「まぁ、その金額なら出しても良い!」て金額で良い比較対象がないかな〜と思ったらありました。
ご祝儀です。
結婚式のご祝儀の相場が3万円なので、一般感覚からしても「3万円で、お金で買えない価値に投資できるならアリ」かなと。これが10万とかだと、ちょっとハードル上がりますよね。。。
とは言え、貰う側は3万円を貰ったところで、特にインパクトは無いですよね。流石に3万で人生は変わりません。
じゃあ、その人に3万円を払いたい人が100人集まれば、それでいいのか?
ここが重要です。
そこで「10人でも100人でも、集まっただけ払えばええやん!」としてしまうと、既存のクラウドファンディングと同じです。
既存のクラウドファンディングの何が良くないかというと、支援者が集まれば集まるほど、支援者1人あたりの繋がり薄まるという部分です。
起案者1人に対し、支援者が5名なら、起案者は支援者5名全員の顔と名前が一致するでしょうし、直接お礼が言えるし、繋がりが強まりそうですよね。
しかし、これが支援者1000人とかになると、とてもじゃないけど起案者1人が1000人の顔と名前を覚えるのは難しくなるし、一人一人の繋がりは分散されます。
すると、支援者は「あれ、なんかちょっと寂しいかも」となります(実際僕はなりました)
じゃあ、今回のケースの最大公約数はどこになるかと言うと、、、
【一律3万円で5名以上(最大7名)支援者が集まればサクセス】
が、ちょうど良さそうだなと。
5名集まれば、起案者は15万円獲得ですし、7名以上集まれば「誰に出して欲しいか」を起案者が選ぶと。
15万〜21万円あれば、MacBookを買うこともできますし、思い切って海外に飛ぶこともできますし、もうちょい足せば株式会社を作ることもできますし、プログラミングスクールに通うこともできます。
なので、今回のケース『若者を応援したい!』で考えると、15〜21万はちょうどいい金額なんじゃないかなと。
支援者も5名〜7名であれば、起案者との繋がりも濃く保てそうですし、そこの支援者同士の繋がりとか出来れば、なんか良いじゃないですか。
と言うわけで、、、
⑻ご祝儀ファンド始めます!
「ご祝儀ファンド」ってなんかめでたい感じで良くないですか?
まぁ、とりあえず、始めてみます!
なんか違うなと思ったら辞めます!
なので、いつまで続くか分からないので興味ある方は是非連絡ください!
支援者希望なのか、起案者希望なのか、ツイッターのDMで送ってもらえれば。
起案者希望の中で、良さげな人にはプレゼンしてもらって、支援者が集まればサクセスってことで。
P.S
記事冒頭に出てきた相談くれた後輩には起案者として出てもらいます(頑張れ!
普段カンボジアのカフェで1杯3ドルのコーヒーを飲みながらnoteを書いてます😌受け取ったサポートは全てコーヒー代に充てさせて頂いてます。いつもサポートして頂いてる方に感謝です🙇♂️