リタイア生活を楽しむノート・手帳術
10年で100冊のノートを使った私
こんにちは!
私は一昨年55歳でFIRE(早期退職)に成功した55fireです。
早期退職・定年退職後の人生設計や生きがいをテーマに情報発信をしています。
今回の話題はノート・手帳術です。
最近、YouTubeやブログを見ていると若い人を中心に紙のノートや手帳を使うブームが起きているようです。実際、大きな本屋や文具店に行くと手帳コーナーが拡張されていますし、日本人だけでなく外国人もさまざまなフォーマットの手帳を興味深げに手にとっています。
PCやスマホなどのデジタル機器が普及した結果、アナログ回帰が起こっているのかもしれません。
私は過去10年間に100冊近いノートを使っており、紙のノート・手帳を活用するコツを知っています。
私のノート・手帳術はライフログという日記に似たスタイルで、日々起きたことを思うがままに紙に書き落とすことで、心のデトックス効果を起こしたり、後で見返してさまざまなコンテンツの元ネタになったりしています。
今回の記事では、
なぜこのライフログスタイルなのか?
どのような経緯で続けているのか?
ノート・手帳を続けるコツは何なのか?
という点を書いていきます。
なぜライフログなのか?
10年前、私は40代でバリバリのサラリーマンでした。仕事や家庭生活が充実する一方、何か物足りなさを感じていました。
自分は一体、今まで何をしてきたのだろうか?
若い頃に誰もがかかる厨二病が再発したような感じでした。
今まで就職、結婚、子供の誕生、転勤、昇進etc…など、人並みのライフイベントをこなしてきました。
その時の記憶は鮮明ですし、誕生したばかりの子供の写真、昇進した時の辞令etc…など、まぎれもなく自分が歩んできたライフイベントの証明もたくさん残っています。
そういった思い出を見返しながら思ったことは、
大きなライフイベントは数年に一度あるだけだ。
ライフイベントとライフイベントの間は膨大な時間が流れている。
その間の記憶はほとんど残っていません。この事実に愕然としてしまいました。
他人が私の「人となり」を把握するときに私が辿ってきた大きなライフイベントを知ることはとても重要です。
しかし、私自身にとって、それは当たり前のことであり、ライフイベント間に流れ去ってしまった膨大な時間も同じように重要なのです。
それが失われていることに今まで気づかなかった自分に驚いたのでした。
そんな問題意識を持ったときに出会った本が奥野宣之著「人生は一冊のノートにまとめなさい」という本でした。
この本に書かれていることは非常にシンプルです。考えたことや感じたことを一冊のノートに「時系列」で書いていきなさい、という主旨でした。
ノート・手帳術というとたいてい「こういう場合は赤字で、ああいう場合は黒いボールペンで」とか「重要度に応じて文字の大きさと接頭辞を変える」などの細かいルールがこれでもかと記載されているものです。
私の場合、そういったルールに従うことに精一杯となり、肝心の本文を書く気力がなくなってしまうということが多かったのです。
奥野氏が語る、ノートを分冊しなくていい、一冊のノートに時系列に書いていけばいいというシンプルなルールは面倒くさがりの私にはぴったりでした。
私のライフログは、この本に書かれているやり方をさらに簡略化し、決め事は次の3つだけで、あとは全て自由という形式にしました。
左上に日付を入れる(見やすいように大きなスタンプにしました)
書きたいことのタイトルを入れる(見やすいように<<>>でくくる)
本文として書きたいことを書きたいだけ好きなように書く(分量無制限)
こうして続けていくうちに、ライフログを書くことは私の人生の中で大きな部分を占めるようになりました。仕事を終えてノートに向かう時間がとても楽しく、書き連ねた内容は、さまざまコンテンツのネタになったりFIRE後の活動のヒントになりました。
デジタルとアナログの使い分け
紙のツールを使う時、デジタル機器との使い分けの方法を聞かれることが多いです。私のデジタル・アナログの使い方は働いていた時とFIREした後で大きく違います。多くの方に参考になると思いますので、使い分けをビフォー・アフター形式で説明します。
会社員の頃(仕事中)
仕事の環境はほぼ全てデジタルでした。仕事で使う情報というと
スケジュール管理
メモ、議事録など
プレゼンテーション、調査報告、見積書などの成果物
などがあります。
これらはクラウド上のサーバーで管理され社内の適切なメンバーにアクセス権が付与され、共有された状態でした。
クラウドが普及したのはこの5、6年だと思いますが、それ以前の20年以上前から社内のサーバーを中心にして情報共有していました。
こうしたワークスタイルをとっていたのは、働いていた分野の専門性が高く複数のメンバーでチームとして商談にあたらないといけなかったこと。競争が激しいため、1日の作業の遅れが失注につながるためでした。
スケジュールはクラウドで管理されチーム内で各自の予定が公開されていました。こうすると急な会議が必要になった時、各自の予定表を参照し共通の空き時間に会議招待を送ればいいので、会議アレンジが10分以内で済んでしまいます。また、海外のメンバーとコラボすることも多かったので、成果物をドラフトをクラウド上で共有しておき、日本のメンバーが日中作成する。そして日本が寝ている間、北米のチームがレビューしておく、といったことをしていました。
こんなワークスタイルでしたので、メンバーとスケジュールその他を共有することに何の抵抗もありませんでした。
デジタルかアナログか?を選択するときに、Share(共有)、Update(頻繁な更新)、Search(検索)が必要なニーズがあればデジタルを選択するべきです。これらのニーズはアナログでは代替できないからです。
反対に個人の中で完結し、クリエイティブな発想をしたいと考えるなら紙を使った方がいいと考えています。
会社員の頃(プライベート)
ここまで読むと私がデジタルにズッポリハマった生活を想像されるかもしれません。しかし、一歩会社を出るとスイッチを切り替えたように100%アナログ人間に変身していました。
家に帰る前に喫茶店や居酒屋に一人で入り、ライフログ用ノートを開き、感じたこと、感動したこと、驚いたことなどをお気に入りのペンで書き出していくことがとても楽しみでした。プライベートでは次のようなツールを使っていました。
個人の予定は会社の提供するクラウド
ライフログはお気に入りのノート
案件ごと(趣味、旅行など)にリフィルにまとめたトラベラーズノート
個人の予定はそのまま会社が提供するクラウドに書き込んでいました。人間は一人なので会社用のスケジュール表とプライベート用のスケジュール表を分けておく必要はありません。プライベートのスケジュールはチームメンバーに見られないように、アクセス権を「自分だけ」にしていました。
ライフログは前述したようにお気に入りのノートにお気に入りのペンで一日10ページ書くこともあれば5行で終わることもありました。ライフログをやっているうちに、ノートやペンのブランドによって書き味が違うことに気づきこれを楽しむようになりました。
デジタルペンがタッチデバイスほど普及しないのは、皆さんが子供の頃に経験した紙ノートと鉛筆の書き味が素晴らしいことと、デジタルデバイスがこの書き味を再現していないせいではないでしょうか?
ガラス板のようなパネルに硬いデジタルペンは、紙上の鉛筆のように快く走ってくれません。
ライフログはあらゆるノートを一冊にまとめるのがコンセプトですが、私は書く分量が多いため、全てを一冊にまとめてしまうと探しづらく不便になる場合があります。
ライフログで分量が多くなるような内容は別のノートに独立させました。私は若者に人気のトラベラーズカンパニー社のトラベラーズノートを使っています。これは一枚革のカバーに好きなリフィルを挟み込む形式のノートで、若者に人気です。家族旅行のリフィルを作って旅行に行ったり、登山計画のリフィルを作ったりしていました。
退職した後
早期退職して自由になった後のノート・手帳ライフは、仕事上のメモ、議事録作成、成果物作成を作らなくなっただけでほとんど変わっていません。
スケジュールに関しては、会社を辞めると同時に紙のスケジュール帳を購入したのですが、すぐに使うのを辞めクラウドへ戻しました。市販のスケジュール帳だと基本1年先のスケジュールしか書けないことと、定期的に発生するタスクをいちいち書き込まなければならず煩わしかったためです。
例えば5年先の運転免許の更新とか、毎月のクレジットカード引き落とし日などです。
ライフログとトラベラーズノートの他に週間日記(Weekly Diary)をつけるようになりました。ライフログが膨大なため、後から検索するのが難しいため、要約情報だけを週間日記に書き込むようにしました。
ライフログは様々な種類のノートを使っていますが、週間日記はモレスキンのWeeky Diaryのみを使っています。一年一冊で本棚に並べて管理しています。何年何月何日に何があったのか知りたい場合、日記のフォーマットが異なると使いづらいため種類を統一しています。
なぜ紙と鉛筆のライフログなのか?
私は、なぜ働いていたとき、会社帰りの喫茶店で一人で嬉々としてノートに向かっていたのでしょうか?
それは二つの理由があります。
書くことはストレス解消になる
その当時、かなりストレスフルな生活をしていました。
会社ではよき上司、よき部下、よき同僚、よき顧客を演じる必要があります。家庭に帰ればよき夫、よき父親を演じる必要があります。
役割を演じることに疲れを感じていたのかもしれません。
会社でも家庭でもない自分を探していたのかもしれません。こう書くと、いい歳をして厨二病を患っているみたいで恥ずかしいのですが、はずれていないと思います。
書くことは唯一の思考スピードに追従可能な方法
二つめは、ノート上に思ったことを書きだすスピード感が心地よかったからです。
思ったことを書き出すのならPCでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、PCでは思ったことを、ローマ字に脳内変換し、キーボードで打鍵し、IME変換し、リターンキーで確定させるという複数の手順を踏む必要があります。
しかし、それでは池の底から湧き出す無数の泡のような「想い」を、全て捉えて記録するのには時間がかかりすぎます。
ブラインドタッチがどんなに早くても英語圏以外の人間は紙と鉛筆に勝つことはできないと思います。
ノート・手帳が続かない
最後の章です。
ノート術、手帳術というキーワードで検索すると様々な書籍、Webコンテンツ、YouTube動画が出てきます。
それだけ、続かないことに悩んでいる人が多いのだと思います。
私個人の経験だと、その点で悩んだことはほとんどありませんでした。書くことが喜びであったため続けることに努力した記憶はありません。しかし、書くことが億劫になってしまう原因はいくつか想像できますので、4つほど原因と対策を書いていきます。
人と比較してしまう病
インスタグラムやYouTubeには、いわゆる映え映えな手帳がたくさん掲載されています。
それらと同じクオリティのものを作ろうとするとかなりの労力が必要となります。
しかし、手帳・ノートはそもそもパーソナルなものなので他人と比較しても意味はありません。
掲載している人たちの多くは「ネットにアップロードして他の人に自慢することが目的」で手帳を書いているのかもしれません。しかし、ほとんどの人は「個人的な出来事や心のささやきを記録することが目的」で手帳を書いています。
目的が違う人たちと比較する意味はありません。
そもそも書く内容がない病
書きたいという気持ちがあれば自然とペンが進むので、通常続かないことを悩むことはありません。本当はあなたの心の中に書きたいという気持ちがないのか、希薄なのかもしれません。
そうした場合は、無理矢理書こうとするのではなく、本当に書きたいと思うまで待てばいいだけです。
ルールだらけ病
書いていくと、自分なりのルールができてくることがあります。
こういう場合は赤いボールペンで囲む、とか、重要事項はこのスタンプを押すとかです。ルールを作ったり、ルールを守ったり、分類分けすることは脳に負荷をかける作業です。ですので、書きたい気持ちを減退させることがあります。私が日付とタイトルの本文だけのノートを10年を続けているのは、注意深くルールによる減退を避けているからです。
個人的な出来事や心のささやきを文章にすることが重要であり、分類や形式に時間を取られてはいけません。ルールは最小限にしましょう。
ノート術、手帳術にはブームがあります。最近ではバレットジャーナルが流行りました。これらの手法に完全に従う必要はありません。
いいところを採用すればいいし、合わないと思ったら無視してかまいません。
そもそもノート・手帳に向いてない病
書きたいと思っていても、その内容が紙と鉛筆で表現することに向いてない場合があります。鮮やかなイラスト描きたいのであれば、紙より輝度と彩度が高いデジタルでやった方が向いているかもしれません。
表現したいことがノート・手帳に向いているのかを確認する必要があります。
以上で私のノート・手帳術はおしまいです。
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