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昨晩は台湾在住作家の片倉佳史さんと台湾で普及している中国式朝食店=豆漿店について対談しました。

 台北市や新北市の朝食店の形態として目立つのは一般的に豆漿店(トウチァンティエン)と呼ばれる中国式朝食店と西洋式朝食店(ハンバーガー、サンドイッチ店)です。今回は中国式朝食店である「四海豆漿店」や「永和豆漿店」 などの名称でよく知られている豆漿店について話しました。この形態の店は燒餅(サオピン)や油炸粿(iû-chia'h-kóe イウチィアクエ:台湾語 /油條=ヨウティアオ:華語)、饅頭(bân-thô バントー:台湾語/マントウ:華語)や豆漿(tāu-leng タウリイェン/トウチァン:華語)、米漿(bí-leng ビィリイェン/ミィチァン:華語 =米やピーナツなどを粉砕、攪拌して液状にした甘い飲み物)といった物、主に第二次大戦後、つまり1949年以降に台湾へ渡って来た中国人によって伝えられた食品(油炸粿や豆漿など、戦前にすでに伝わっていた物もある)を提供しています。

豆漿店

 中国山東省の食文化の影響を受けたような物の他に、上海系の点心や広東系の甘い焼き菓子など、中国の他地域の食品や西洋系のハンバーガーやサンドイッチまで売っている店もあります。 山東系の食品が目立つので、第二次大戦後に台湾へ移民してきた山東人やその子孫の店が多いのではと思われがちですが、実は豆漿店の多くは客家系台湾人経営の店が多いようです。
 なぜ客家人の店主が多いのか?そして、なぜ「四海」や「永和」といった店名が多いのか?それは台北市と新北市を結ぶ中正橋(新店溪という川にかかる橋)のたもと(新北市永和地区側)で開店して成功した豆漿店と、その店で修行し、成功し、多くの弟子に技術を伝えた台湾中部の苗栗縣西湖郷出身の邱豐彩 (Hiû fûng chhái) さんと多いに関係があるようです。

 1960年の苗栗縣西湖郷(mèu-lit ien xì-fu hiông)は元々貧しかった上に、度重なる自然災害の影響で、生活が苦しかったので、邱豐彩(Hiû fûng chhái) さんは親戚のおばさんを頼って台北縣(現在の新北市)永和へ移住しました。おばさんのご主人は中国国民党政府と共に台湾へ渡ってきた山東人でした。このご主人から邱豐彩さんは、永和側の中正橋のたもとにあった「東海豆漿店」(ご主人と同郷の人が大株主)で修行しながら働く道を紹介してもらいました。

 邱豐彩さんは修行期間が二ヶ月も経たない頃、「東海豆漿店」の大株主の推薦と援助もあって、「東海豆漿店」の株主の一人になりました。この「東海豆漿店」が大成功してから、株主同士の揉め事が 原因で、「東海豆漿店」は「四海豆漿店」、「世界豆漿店」という二店に別れてしまいました。

 1960 年代の苗栗縣での生活は苦しくて、若者に仕事の機会はあまりありませんでしたが、当時、豆漿店の商売はとても儲かり、公務員や教師の給料の 10 倍も 20 倍も稼げたそうです。そして豆漿店では常に人手不足でした。そこで邱豐彩さんは自分の兄弟や親戚たちに技術を伝授しただけでなく、故 郷の若者たちに声をかけて、自分の店で修行させながら働かせました。邱豐彩さん自身も違う分野の料理職人や業者から様々な点心や焼き菓子などを学んで、自身の店「四海豆漿店」で売る商品の種類を増やしていきました。

 その後、邱豐彩さんの教え子たちも次々に自分の店を持つようになっていきました。彼の直接の弟子だけで も 1,000 人近くいて、孫弟子まで含めると 2,000 人から 3,000 人くらいになるそうです。弟子や孫弟子達は邱豐彩さんの故郷である西湖郷出身の客家人たちだけでなく、近隣地区の客家人たち、さらに新竹や桃園の客家人たちや、一部ホーロー(閩南)系台湾人もいるそうです。邱豐彩さんは 1967 年に政府の経済部に「四海」という店名で商標登録しましたが、弟子や孫弟子 たちが豆漿店を出店する時に「四海」の名を使っても権利金を徴収していません。また、邱豐彩さんのお兄さんが率いる弟子たちは「永和」の名を好んで使うそうです。中には「四海」も「永和」も両方店名に使う人たちもいるようです。こういうことであちこちに同名店、類似名店があるようです。

 今や多くの豆漿店では中国系の食べ物、飲物だけでなく、台湾系の食べ物や西洋系の食べ物や飲み物まで販売しています。その種類の多さに朝食を選ぶ時にとても迷います。軽く何十種類もの朝食の組み合わせが選べます。また、客の注文によって、燒餅に、油炸粿(iû-chia'h-kóe)や卵焼きや肉、生野菜などを加えるとか、飲み物も二種類以上をミックスしたり、甘さを抑えたり、砂糖を抜いてもらったり、飲み物の温度(冷たい、ぬるい、熱い)を調整してもらったりなどのアレンジもして もらえます。もちろん、すべての物がテイクアウトもできます
 
 僕は豆漿(tāu-leng)と米漿(bí-leng)と紅茶のミックスや、飯丸(pn̄g-oân プンオワン=餅米で作る中華式おにぎりで、中に切り干し大根や中華揚げパン、肉でんぶが入っている)に卵焼きを巻いてもらった物や、おにぎりの中に砂糖が入っている甘い飯丸(pn̄g-oân プンオワン)が好みです。

蛋餅(タンピン)

 蛋餅(タンピン)の誕生は1949年以降、中国国民党にしたがって台湾へ渡って来た中国人が、 米食中心の台湾に小麦粉(麵粉)食品文化を持ち込んだことに始まります。元々は中国人が作る、あるいは台湾人が中国人の真似をして作っていた葱油餅や煎餅、烙餅などと呼ばれる薄型の中華式パイに卵焼きを加えたものが原点のようです。実は現在、朝食店で販売する蛋餅は、鉄板に溶いた卵を薄く敷き、半分ほど焼いてから、その上に薄いクレープのような薄い皮を載せて一緒に焼き、 焼き上がった後に一緒に丸めて、食べやすいように小さく切り分けたもので、昔の蛋餅とは外観が全く違います。

 薄い皮の蛋餅が今のように朝ご飯の主流として勢力を伸ばしたことは台湾の経済発展と関係があるようです。経済発展が始まった時代、すでに自分で蛋餅を作る暇な時間、つま り小麦粉を手で捏ねてパイ生地を作る時間や数種の粉類を混ぜ合わせ、水で溶いて糊状のパイ生地の素を作る時間などはありませんでした。そして、朝食用食品の自動生産化が少しづつ始まっていて、更に冷凍・冷蔵設備も普及し、技術も進歩し始め、各食品メーカーはこぞって薄い冷凍蛋餅皮の研究開発をして、販売しました。その後、どの家庭も冷凍の蛋餅の皮を買うことで、簡単な方法で朝ご飯を作ることができるようになって、フランチャイズ展開の朝食店市場にも導入され、このクレープのような薄い皮の蛋餅が更に広まっていったようです。

韭菜盒(チョウツァイホー)

 豆漿店(中国式朝食店)には韭菜盒(チョウツァイホー)と呼ばれる中華パイ(中にニラ、春雨、挽肉、玉子、干し豆腐などが詰めてある)もありますが、これを自宅に持ち帰って食べる場合は自分でアレンジもできます。主に第二次大戦後に台湾へ移住した中国人家庭では韭菜盒を細かく切り分け、他の食材も足してから炒め、別の料理にして食べる方法がよく行われてきたようです。この類の料理は眷村(チュエンツン軍人や公務員とその家族が住むコミュニティー)で生まれた料理なので、眷村菜(チュエンツンツァイ)と呼ばれます。

切り刻んで炒めた韭菜盒(チョウツァイホー)=眷村菜
鹹豆漿 (シェントウチァン:華語/キャムタウリイェン:台湾語)

 鹹豆漿 (シェントウチァン:華語/キャムタウリイェン:台湾語)も豆漿店(中国式朝食店)でよく見かけるものです。これは青ネギのみじん切り、細かく切った切り干し大根、干しエビ、小さく切った油炸粿(iû-chia'h-kóe イウチィアクエ:台湾語 /油條=ヨウティアオ:華語=中華式揚げパン)、そして酢、醤油、胡麻油と熱い豆乳を混ぜて、豆乳を少し凝固させたスープのような料理です。

 最近、日本人観光客向けのガイドブックやネット上などで話題にされることが多 く、日本人は伝統的台湾料理の朝食の定番だと勘違いしている人が多いと思いま すが。これは台湾料理のカテゴリーには入れられないものです。僕自身も実は中国の豆乳が台湾でアレンジされた食べ方だと思っていたんですが、中国にもあるそうです。鹹豆漿は台湾人でも知らない人、見たり、聞いたりしたことはあるけれど、食べたことはないという人もけっこういます。

燒餅(サオピン)+油條(イウチァクエ iû-chia'h-koé:台語)+煎蛋(チエンタン)

 台湾では燒餅(サオピン=中華式パイ)に油炸粿(イウチァクエ iû-chia'h-koé:台語=中華式揚げパン)を挟んで食べる人が多いのですが、中国ではあまりこういう食べ 方はしないようです。台湾で生まれた食べ方だと言う人も多いのですが、元々中国福建省の離島で、現在台湾側の領土になっている金門島での食べ方が台湾に伝わり、台湾で流行したという話を聞いたことがあります。

飯團 (ファントアン:華語 /プンオワン pn̄g-oân:台語)

 飯團 (ファントアン:華語/飯丸:pn̄g-oân プンオワン:台湾語)は餅米で作る中華式おにぎり。中には肉酥(bah-soo:台湾語=肉でんぶ)や切り干し大根や油炸粿(イウチァクエ iû-chia'h-koé:台語=中華式揚げパン)を細かくしたものが入っています。また、中に砂糖とピーナツ粉を詰めた甘い飯團 (飯丸)や黒い糯米で作られたものもあります。

豆漿(タウリイェン tāu-leng:台語)+油條 (イウチァクエ iû-chia'h-koé:台語)
米漿 (ビィリイェン bí-leng:台語)+油條 (イウチァクエ iû-chia'h-koé:台語)

 熱い米漿(bí-leng ビィリイェン:台湾語 /ミィチァン:華語=米やピーナツなどを粉砕、攪拌して液状にした甘い飲み物)にも油炸粿(iû-chia'h-kóe イウチィアクエ:台湾語 /油條=ヨウティアオ:華語)を入れて食べる方法もあります。

饅頭 (マントウ:華語 /バントー bân-thô:台語=中華式パン )+煎蛋(チエンタン)

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