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幸福論

おひさしぶりです。

ブログの期間が空いてしまったということは、その期間は何も考えず日々の生活に没頭できたということ。


私にとってそれは精神状況の安定を意味する。
書きたいことが何も無くなっちゃったんだもん。


ということを書くと今は幸せじゃないのか、と思われるかもだけど別にそうじゃなくて、悩んでることがあるわけでもなくて、ただ幸せの定義が分からなくなった。それだけ。なので今日は私なりの幸福論をアウトプットしようと思います。



私は割と友達が多い方なので、暖かくなってくると色んな人から遊ぼう〜と連絡が来る。


夜職やってるやつとか、会社を何個もやってるやつとか、色んな副業をしてるやつとか、結婚して鬱になって離婚協議してるやつとか。本当に色々な友達がいる。

そんで最近その遊びの連絡が重なり色んな人と色んな話をした結果、1人の時間ができると幸せって何なんと考えるようになった。


古今東西、幸せの定義はたくさんあれど幸せについて考えると病むのは変わらない。哲学なんてそんなもんである。




よく言われる、お金があれば幸せかどうか問題。



私は別にお金があるから幸せとは思わない。というのも、使う時間と意義がなけりゃお金持ちになっても意味がないと思うから。やりたいことがなければお金もただの紙。


稼ぐ才能も使う意義もどっちもあったとしても時間がなさすぎるやつが多い。お金持ってる友達,みんなして平均睡眠時間2時間くらい。


でもそういうやつほど遊ぶ時間を無理やりねじ込んでる。稼ぐやつほどマジでよく遊んでる。だからさらに寝る時間が無い。それでいいのか?


これは別に悪口じゃ無いんだけど、お金持ってる人はどこかしら壊れてる人が多い気がする。貞操観念とか倫理観とか人によって差はあれど、何かしらが。やはり健全な精神を宿すには健全な身体が必要不可欠だと思う。


ここで思うのは、お金を稼ぐ人はストレスが溜まりすぎて1人の時間が怖いのかなと。仕事のことなんて考えてもしょうがないことがたくさんあるだろうし、交友関係のもろもろとか嫌な人と関わらなきゃいけないとか、無理矢理遊んで空白の時間を潰さないとやってけないのかなと。


それって幸せなのか?


私は余白の時間こそ人生の醍醐味なんじゃないかと思う。


ひとりで物思いに耽る時間、小説を読む時間、料理をする時間、ふらっと散歩してみるのもいい。


インプットもアウトプットも1人の時間を上手く楽しめるからできると、私は思う。


お金を稼げば稼ぐほど余白の時間が無くなるなら、私はほどほどでいいや。


ほどほどに稼いで、たまに美味しいもの食べたり温泉とか行って、友達と遊んで。


そんなもんでいい。


自分の心と身体が壊れないバランスを保ちながら、独自の幸せを追求していきたい。ワークライフバランスって大事だと思うよ。


今後も楽しく生きていけるようにゆっくりでいいから成長して、半径3mくらいの距離感の(このブログを読んでくれるような)ファン、友達に、ふんわりれいなと関わったら楽しいと思ってもらえたらそれでいいです。


それくらいゆるい気持ちで生きてく方が、たぶんいちばん幸せなんじゃないかな。

記事を書いた後いつもインスタントのスープか紅茶を飲んでいます。奢ってくれる気持ちで投げ銭してくれると書く甲斐があるってもんです