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細川ガラシャの辞世の句



「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」

散るべき時に散ってこそ花も人も美しい。

明智光秀の娘・ガラシャの辞世の句です。生と死、両方を肯定するような歌。
蒲生氏郷の辞世の句と並んで好きな歌です。

ことあるごとにこの歌を思い浮かべるんですが、ふと疑問が浮かびました。


散りぬべき時って、誰かに用意されたものなんだろうか?
それとも彼女の意志で選んだもの?



本人にしか分からないことだけど、「散りぬべき時」が他人に用意された場合と、自らの意思で用意した時では捉え方がかなり変わるのでは?とオタクは思うのです。



細川ガラシャという人



細川ガラシャ(以下愛称を込めて玉ちゃんと呼びます)がどういう人だったかというと


・明智光秀の娘
・細川忠興の正室
・本能寺の変の後、謀反人の娘として味土野(丹後の山奥)に幽閉される
・バテレン追放令後にキリシタンとして洗礼を受ける

・熊本藩初代藩主・細川忠利のお母さん
・関ヶ原の戦いの前、西軍の人質になることを拒み亡くなる


…と、まあまあ波乱万丈な人生を送った戦国時代の武家の女性です。



特に太字の2点のインパクトがすごい。
本能寺の変〜キリシタンとして洗礼を受けるまで10年経ってませんからね。

ピックアップしてるせいもありますが、社会や権力といったものに対してのリアクションが強い女性だなあと思います。
自分vsその他デカい周囲になった時のアクションがすごい返すボールが変化球っていうか…外角シンカーみたいな…うん…(まとまらん)

そういう逆境に負けないどころか2倍返しする姿勢、本当に好き…

意外とじゃじゃ馬




後世の家臣がまとめた細川家公式ファンブック『綿考輯録(めんこうしゅうろく)』では玉ちゃんの勝気エピソードがけっこう収録されています。
逆境に燃えるタイプだったのかなあ。
あと何年か前にEテレでやってた書道の番組で「書体がじゃじゃ馬」とも言われてたりした。じゃじゃ馬フォント玉ちゃん、好き


玉ちゃんの人生は波乱万丈ですが、その波乱万丈さと強い決断が国も時代も関係なく、人の心に強く響く理由のひとつです。
けれど、逆境の乗り越え方が能動的なのか、受動的なのかでけっこう彼女の印象が変わるのではないか、と思います。


死に時とは



個人的な意見ですが戦国の世はなかなか自分で納得出来る死に時を選べないと思うんです。戦場に赴かない者ならなおのこと。
戦乱で明日目の前の景色が焦土と化して死ぬかもしれないし、謀反を起こされるかもしれない。

身内に裏切られるかもしれない。天災で命を落とすことだってある。


死にたくないのに死ぬ人。
死を覚悟して戦地に赴き、戦場で死ぬという本望を遂げる人。
あの時あの場所で死にたかったのに死ねなかった人。
まだ生きていたいけど誰かのためなら今かなと思って死ぬ人。
生ききったなと思った時に死ぬ人。


死に至るまでには色んな思いや決断がありますが、それぞれで生きた意味や大事にしていたことも変わるような気がします。


玉ちゃんの最期についてもそうで、人に用意された散り際と、自ら用意した散り際では悲哀の比重が変わると思うんです。


前者はままならなくて、儚くて、もどかしくて。
後者は「己とはこうだ!」という最期の矜恃?を感じるというか。
どこか残された生と、近づく死に対して受け入れる余裕があるような印象が付加される気がします。



あと、キリシタンとしての自負も関わるかなあと。

キリスト教は今も昔もその人を1人の人間として認識し、認める宗教だと思います(クリスチャンじゃないから的外れかもしれん)
玉ちゃんも、武家の女性ではなく1人の人間として、意識が芽生えていたのかもしれない。

と思うと、西軍の人質になるのを拒んで亡くなったのもある種、当時の世相や体制に対するアンチテーゼも含んでたのかしら…と思います。



細川ガラシャという人が、自ら「散りぬべき時」を1600年の夏に選んだとするなら。

謀反人の娘として、大名の正室として権力の采配の近くにありながら、自分の人生の采配を取る事ができなかったとしたら。


1600年の夏、細川ガラシャが死を選んだこと。
それは最後の最後に人生の中でもぎ取った力強い決断だったのではないかと思います。



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