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「ちょっとした」パーティー #キナリ杯

専業主婦で、家で子育てしかしていない私は、店員さんに服を見立ててもらうような店に、ここ数年行っていない。

今の店員さんは「ちょっとしたパーティーにも着て行けますし」とは、もう言わないのだろうか。私が若いときは、本当に言われたことがある。そして、やっぱりそんなパーティーに呼ばれたことはない。

しかし、思い出した。一度だけ、遭遇したことがあったではないか。もう15年以上前、私が社会人になりたての頃だ。

私の通う大学に、K先生という人がいた。K先生は、大学の教授陣の中ではかなり若く、先生というよりはお兄さんくらいの年齢だった。生徒からも人気があり、よく飲みにも付き合ってくれるいい先生だった。

私もよくK先生とくだらない話をしたし、進路の相談など本気で困っている話もした。家にまでおじゃまし、K先生の奥さんが料理を作ってくれることもあった。本当に付き合いのいい先生で、私は遠慮なく面倒をみてもらった。

そして、その代わりと言ってはなんだが、先生は生徒を使いっぱしりにするのもうまかった。私は普段の恩があるので、先生に頼まれれば、買い出しでも、調べ物でも、すぐに引き受けた。先生の頼みを聞くのは、特に苦ではなく、むしろ楽しいことだった。

大学を卒業して、社会人になってからも、先生との交流は続いていた。時々ご飯を食べに行ったり、用事を頼まれたりする。そして、その時も、「ちょっと頼み、ある」と連絡がきたのだ。

内容はこうだ。

先生の家に、今、アメリカから来た留学生が一緒に住んでいる。名前はリンダ(仮名)といい、私より10歳くらい年上で、働いたあとにアメリカの大学で学びなおしている最中に、日本に留学に来た。留学の受け入れは、大学で勝手に決まったことだが、体制ができていないし、寮もない。そこで、英語が話せるK先生の家に住むことになってしまった。リンダは短期留学で、1ヶ月程の滞在期間しかなく、いろいろ面倒を見てあげたいところだが、自分の仕事もあり、なかなかそうもいかない。

そんな折、大学の「留学生交流会」が開催されると言う。私は知らなかったが、これは毎年恒例で、大学の留学生だけが集まって、歌舞伎など、日本の伝統文化を学ぶ会だそうだ。

是非参加させてあげたいが、他の留学生の母国は、アジア系だ。そして、4年間大学で学ぶために、全員が入学前に、日本語はペラペラになるまで勉強してきている。しかし、短期留学のリンダは、英語しかわからない。そこで、世話係としてK先生も一緒に来てくれないと困ると言うのだ。

しかしその日、K先生は仕事がある。そこで「歌舞伎にも精通していて、英語も堪能な、ぴったりの人材を付けるから、参加させて欲しい」と適当なことを言って、参加にこぎつけた。

幸い、歌舞伎には翻訳サービスがあって、上演中はイヤホンでそれを聞いていれば良い。受付で翻訳サービスに申し込んだら、あとは隣で歌舞伎を観ていればいいから、行ってきてくれないか、ということだった。

また面倒なことをやっているなあ、と私は笑ってしまったが、タダで歌舞伎を観られるなんて楽しそうだし、その日は仕事も休みだったので、いいですよ、と引き受けた。もちろん、私は英語は話せないし、歌舞伎も素人だ。

当日になった。歌舞伎座の前で待ち合わせだったが、アジア系の留学生の中で、リンダはすぐに見つかった。私は、挨拶をすると少し離れたところにリンダを連れて行き、確認をした。

「リンダ、えーと、アイム、ミスターKズ、スチューデント。ミスターK、セッド『シー キャン イングリッシュ!』バット、アイ キャント イングリッシュ。イッツ シークレット。オーケー?」

中学生だってもう少しマシに話す気がするが。リンダは笑って手でOKのマークを作ってくれた。おそらく、K先生も事情は説明しておいてくれたのだろう。

私とリンダは共犯となって、みんなの輪に戻った。あちこちの学科から留学生が集まっているらしく、50人は居たと思う。引率の教授だか職員だかも数人いたが、その中に、私の知っている顔はなかった。私は、「リンダさんの付き添いで来ました」と軽く挨拶をして、受付で翻訳サービスに申し込み、ぞろぞろと歌舞伎座に入る列に続く。私の仕事はだいたいこれで終わった。

歌舞伎の公演が終わった。私も知識がないながらも、十分に楽しませてもらった。さて、リンダをK先生の家まで送るか、と思っていると、引率の男性が大きな声をかけた。「では、皆さん移動しますので、ついてきてくださーい!」

え?まだ解散じゃないの?私とリンダはニコニコと顔を合わせ、なんだろね?という感じでついていった。歌舞伎座を出て、他の建物に入る。どこ?ここ?古い建物ではあるが、赤絨毯の敷かれた高級そうな内装である。そして、言われるがままに通された部屋には、立食パーティーの準備とスタンドマイクが置かれた舞台が用意されていた。

ん?なんでしょうかコレは?

「えー、それではね、皆さんビールでもなんでも、お好きなものをとって。はい、いいでしょうか。あ、この方ね、リンダさんの通訳の、しじみさんです。はい、それでは皆さん、乾杯!」

いやいやいや!今、私のこと通訳って紹介しましたか!?というか、こんなパーティーあるって聞いていませんが!

リンダに助けを求めたいが、リンダこそ日本語で意味がわからないに違いない。私は注がれたビールを手に持って、情けない笑いをうかべるしかなかった。K先生…!どういうことですか…!

「はい、それではね、もう顔なじみの方も多いかもしれませんが、短期留学ということで参加されている方も居ますのでね、リンダさんと通訳のしじみさん!こちらの舞台で自己紹介お願いします!」

終わった。

「リンダ…えーっと、プリーズ、スピーチ、ユアセルフ…」

周りに聞こえないようになるべく小声で言う。通訳がこんなカタコトな訳がないだろう。まずい。絶対バレる。しかし、リンダは状況をつかんだのか、舞台へ向かっていく。仕方なく、私も斬首台へ向かう気持ちでリンダについていった。

どうなるんだ。どう言い訳するか。怒られるか。いや、私などもう卒業しているからいいが、K先生こそ、後で何かまずいことになるんじゃないか?私の動揺とは正反対に、年上のリンダは、落ち着いた表情でセンターマイクの位置に着いた。

そして、リンダの自己紹介が始まった。息を飲んで聞いていた私に、希望の光が降り注いだ。正確にはわからなかったが、リンダは出身地とアメリカの大学名、それに専攻しか言わなかったように聞こえる。めっちゃ短い!しかも、私はその短いプロフィールだけ、事前にK先生に聞いて知っていたのだ。

私はなるべくにこやかに、リンダとマイクを交代した。「リンダと申します。アメリカの○○から来ました。△△大学で□□を専攻しています。どうぞよろしくお願いします」

やったー!クリアー!通訳っぽーい!

私とリンダは無事に生還した。しかし舞台下ではフリートークが繰り広げられている。
「ねえ、リンダさんに今日の歌舞伎の感想聞いてよ」

一難去ってまた一難だ。今度はもう近距離で、私のバカ英語も聞かれてしまう…。

「リンダ、ハウ ワッ イ ユ パフォーマンス トゥデイ カブキ ?」

前半は適当だ。リンダわかってくれ。

「イエース、□□□□!」

リンダは、なんだかわからないが、短いほめ言葉っぽいことを言った。私は(これくらいは皆さんわかりますよね)というメッセージを込めて、にっこりと周りを見渡すと、みんな、英語がわかるのかそうでないのか、銘々に頷いてくれたのだった。

幸い、そのちょっとしたパーティーはそれほど長時間ではなかった。さすが「ちょっとした」パーティーだ。ありがとう、ちょっとした時間で。

無事にパーティーを終えた私とリンダは、少しお酒が入ったこともあって、そのままランチタイムの銀座へ繰り出した。コミュニケーションは私のガチャガチャな英語だけである。しかし酔ってしまうとそれも気にならず、私は自分の知っている眺めのよいデパートの屋上や、有名な甘味処を案内し、時々お酒も追加し、ほろ酔いでK先生の家へ帰宅した。

先生の家でも奥さんの手料理で飲み直し、私はかなり酔っ払った。K先生から「もうすぐ仕事終わるから、家で飲んでて」というメールが来たが、「あの適当なK先生なんて、待ってても帰ってこないよねえー?リンダあー!」とゲラゲラ笑っておいとましたのであった。

私はかなり物覚えがいい方なのだが、その後、あの「ちょっとした」パーティーの存在をK先生が事前に知っていたのかどうか、確認した覚えがない。おそらく何か文句は言ったと思うのだが、適当に流されたのだと思う。K先生からは、その後も鎌倉観光の案内人を頼まれ、リンダとはおいしくお蕎麦などをいただいた。

結局、大学側がきちんとプログラムを用意していなかったため、リンダはほとんど日本を観光しただけで帰国したそうだ。あれは本当に、大学側はどういうつもりだったのだろう。私もなんだか申し訳ない。

リンダも帰国してから、ふとした時に「あれ、なんだったんだろう」と、不思議な気持ちになっているような気がする。

元気にしてますか、リンダ。

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