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大人はいなくなっちゃう

年度末。一応覚悟はしていたけれど、こどもたちがお世話になっている先生方が多数異動となり、退職された人もいて、新年度になってもまだ動揺している。

私が一番痛手だったのが、ニンタがケトン食療法(修正アトキンス)を始めた頃からずっと二人三脚で支えてくれた栄養士、仮にアメ先生と呼ぶけれど、その先生の異動だった。

主治医のヤマ先生が去年異動して、栄養士のアメ先生まで居なくなったら、もう実質違う病院と一緒だよ、と嘆く。そんなことは最初に入院するときからわかっていたのに。

けれど、ありがたいことにニンタの症状は落ち着いていて、もうおんぶに抱っこというわけではない。先生が変わったら不安だとか、甘えたことを言っている段階ではないはずだ。

どんな先生からも卒業するのが、喜ばしいこと。寂しいけれど。

と、私が心の整理をしていると、もう1人異動に動揺している人物がいた。ニンタである。ニンタは8歳だけれど、知的には4歳くらいで、そういう「世の中の仕組み」をすんなりとは理解してくれない。

3月末に「お別れなんだって」と言ってもきょとんとしていて、4月になって、「あ!居ない!」と初めて気付き、じわじわと疑問に思い、そしてふと口にした。

「大人はどうしていなくなっちゃうの」

私は無難に、「いろんなお仕事をしてお勉強するためじゃないかな」と答えた。

「いろんなお仕事をしないといけないの?」
「いけなくはないけど、その方が楽しいからかな?」
「楽しいの…」

これではまるで、お別れが楽しくてどこかへ行ってしまったみたい。いや、違う違うと流れを変えようとして、近くの施設へ異動になった先生を引き合いに出して、「今度会いに行ってみようか?」と提案してその場を収めた。

本当に、どうして大人はいなくなっちゃうんだろうね。

もう一つ、この春、ニンタにとって痛手だったのは、一番上のいっちゃんが中学生になってしまった事だった。

いっちゃんは学校でニンタをサポートしたりはしない。でも、たまに学校ですれ違うと嬉しい、ラッキードラゴンのような存在だったのだと思う。

障害児か否かを問わず、下の子にとって上のきょうだいというのは、そういう嬉しい存在なのはよくわかる。

見慣れない制服を来て、違う方向へ歩いていってしまういっちゃんに「ずるい、ずるい」としきりに言う。

大人だけじゃなくて、いっちゃんまで居なくなるなんて。

「いっちゃんはどうして一番早く6年生になったの?いっちゃんばっかりずるい」

みんな順番に大きくなるからずるくはないし、生まれてくる順番も時代も選べないし、先生たちの異動はどうにもならないのだと何度か説明するけれど、ニンタが納得した様子は全くない。

それはそうだ。おかあさんにだってわからないんだよ。生まれてくる不思議も、大人が、先生達が、どこかへいってしまう理由も。

それぞれに人生があって、いつかニンタも誰かの元を去ることがある。ほら、すでに保育園だって卒園したじゃない。

私が学生の時、異動する先生たちが離任式で在校中の思い出などを語る中、一人の先生が、笑顔で一言だけ

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。ありがとうございました」。

と言って自分の番を終えた。

当時はあっけにとられたというか、あの先生らしいなと思っただけだった。でも。

年齢を重ねて、今その言葉が心にすとんと落ちている。


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