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試練の時期

ニンタの頭に、小さい円形脱毛症を見つけた。見つけた時は、「やっぱりな」という気持ちだった。知的にも体力的にも年中さんくらいの実力しかないのに、毎日小学校で揉まれているのだ。どれだけ先生のサポートがあっても、どれだけニンタにやる気があっても、疲れないわけがない。

いや、もしかして私の体調不良が影響しているのだろうか。私が毎日ごきげんに過ごしていないから…?自分のせいだと思うとそうとしか思えなくなるので、とりあえずこの追求は一旦フタをした。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

学校の先生にも報告したけれど、すでにニンタに無理をさせないようにいろいろと気を配っているし、他の子よりもゆっくりのペースではあるが、ニンタにはニンタのために作られた勉強の指針というものがあって、「ハゲたから勉強はしばらくお休み」というわけにはいかない。

休日も、一番下のミコとケンカしまくりだし、お休みはお父さんもいるんだから、と、甘えとワガママが倍増して、結局ニンタ本人が泣き叫んで自分で自分を苦しめているようなところがある。

休日に関しては、私がもっとニンタをリードしてあげたり、一人の時間を作ってあげたりすればいいんだろうな、と思う。思うができない。私も休日はストレスマックスなので。

ニンタが就園する前から通っている障害児一時預かりの先生にその話をすると、「休日は変わらずに過ごしていいと思いますよ。私は元教師なので、学校が何か見直してくれるといいな、と思ってしまいますけどね。一時預かりも、ニンタちゃんが来たくないようなことを言ったら、また教えてください」と言われた。

たしかに。小学校に行き始めてからハゲたのだから、その環境の変化がストレスの1つだろう。ストレスといっても、いいストレスもあるだろうし、ニンタは学ぶ意欲にあふれている。

そういえば、私も学生時代に小さな円形脱毛症になったことがあった。そのとき、当たり前だけれども「クラス全員思春期」という環境で、なんやかやとクラスは荒れていた。私はなぜかその調整役にうまく誘導されることがよくあって、損な役回りだったと思う。

その時の担任の先生は、私に対して、この過酷な環境から何か学びとってほしい、と思っていることは、こどもの私の目から見ても明らかだった。私は先生の期待に応えたくて自分で出来るだけのことをやったが、私の力などたかが知れていて、結局クラスはガチャガチャしたまま年度末となった。

先生の思惑通り、そのときの体験は私の学びになったと思う。今も感謝している。円形脱毛症ができた時、それがストレスによるものという認識はなく、目立つ位置だったので、見えないように分け目を変えたりして過ごしていた。そして、一年くらいかけて元に戻り、大人になってから「あれ、ストレスだったんだな」と思い返している。

もし、ニンタが学校に行き渋っていたり、円形脱毛症がどんどんひどくなるようだったら、さすがに考え直さなければいけないと思う。ただ、人生の試練の時というのは必ずあって、それを先回りして全てとりあげることは、したくない。

「緊張感を持って注視しております」。

結局、何もしていない。したことと言えば、各所への連絡だろうか。

ニンタが過去を振り返ったとき、それが傷となるか、糧として残るかどうか、私にはよくわからない。ただ、現在、キャパオーバーであることはハッキリとわかっているので、私はそれを学校、その他、ニンタを支えてくれている各方面に伝えて、さらに「親の私は、今のニンタに多くを望んでいません。今は、ニンタが楽しいと思えることが一番大切だと思っています」。というメッセージを伝え続けている。

ニンタのやる気の尊重とストレスとのバランスは、答えがでない。 ニンタのやる気を尊重すると、それではもっともっと、と与え続けてしまうのが大人というものだ。円形脱毛症というわかりやすい形でニンタに黄色信号が灯ったことを無駄にせずに、微力ではあるが、私はブレーキをかける役割でいたいと思う。

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