演説みたい
持病のため食事制限(ケトン食、修正アトキンス食)をしているニンタの親として、学校に特別な配慮を求めている記録。
一年生の時はこんな感じで、学校の対応を恨みがましく思っていた。
一年生の当時、栄養士の先生が「うちの学校がアレルギー対応していれば、ニンタさんにも対応出来たかもしれないんですけど、今は出来ません。アレルギー対応している公立校も市内にあることはありますが…」というコメントがあった。
学校によってアレルギー対応があったりなかったりするのは、公立の学校としてどうなのよ、という問題はさておき。
そもそもニンタはアレルギーではないので、異なる対応をしなければならない。結局その場しのぎの言葉なんだろうなあ、とだけ思った。
とだけ思っていたけれど、四年生になって『学校給食でアレルギー対応が始まります』とお知らせが来た。
もう諦め半分なのだけれど、発言の真意は確認したい。それに、定期的に要望を伝えなければ、私達親子の思いや、社会で生きていく上での障害は、簡単になかったことにされてしまう。
私は重い腰をあげた。ダメもとでも、言うだけ言おう。
◇
ニンタの給食は、食べられるものは食べて良いとされているし、持ち込みも許可されている。ニンタのおかずから、イモ類や春雨を取り除くために、加配のスタッフさんもついてくれている。
もう様々な対応をしてもらっていて、感謝の気持ちもある。
残る問題は麺類の日で、麺と具を混ぜる前に、具だけくれませんか、と頼みたい。ミートパスタにからんだひき肉をこそげ取って、ひとくちでも食べたい、と言うニンタが不憫だからだ。一人分ソースだけもらえれば、糖質ゼロの麺を持ち込んで、みんなと同じ量のパスタが食べられる。
そんなにダメですかね。麺にからめる前に、一人分だけ先にソースをもらうことが…。
個人経営の飲食店なら大丈夫そうだ。チェーン店だと怪しいかもしれない。学校だと、もっとハードルがあがる。
だからこれは手間暇の問題ではなくて、組織が大きくなった時に起こる、組織の問題なんだと、私は思う。
パスタソースが提供してもらえないだけで、グダグダうるさい、と思われそうなんだけれど、これは一事が万事で、「合理的配慮」がなんたるかを組織が知ろうとしない限り、パスタ以外でもあらゆる場面で問題が起こるし、実際ニンタにも起こっている。
私は、ニンタの目の前にある問題を少しでも取り除きたい。無理難題を言うつもりはない。合理的な配慮をしてもらいたい。
◇
ニンタはアレルギーではないけれど、学校では、年度の初めにアレルギー面談というものがあり、ニンタも便宜上その枠に入れてもらっている。事前にパスタソースの提供はしてもらえるのかと聞いたところ、返事はNOだった。
会議室の大きなテーブルを挟んで、学校側は、栄養士の先生、保健室の養護教諭、支援級担任、学校全体のケアを担当する先生、教頭先生、という5人のメンバーだった。
こちら側には私が一人。
この布陣が、就職の面接みたいで毎回苦手なんだけれど、『今日は言う』と覚悟を決めて椅子に座った。
◇
まず、栄養士の先生が司会として進行を始めた。
「ニンタさんは、問題なく給食は食べられていますか?今年度も今の形を継続という事でよろしいでしょうか?」
「サポートの方もついてくださって、感謝しています。ニンタは給食を楽しみにしています。一つ、確認なのですが、栄養士の先生が、アレルギー対応が始まったらニンタの対応も検討できるとおっしゃっていたのですが、今回ニンタのパスタソースの提供が検討されなかったのはどうしてなのでしょうか?」
「ちょっと私が以前にそう言った記憶はないんですが…。今年度アレルギー対応が始まったばかりで、それも大変で…」
「では、今後は検討の可能性はありますか?」
「今のところありません」
「障害者差別解消法では、障害者から社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合、負担が過重でないときは、合理的配慮を行うことを求めています。
現在の状況は障害者差別解消法違反の状態だと思うのですが、先生は問題だと思われませんか?」
「こちらとしては、問題ないと思うのですが…」
「違反状態であるにも関わらず、ですか?」
「いや…」
「言い方がきつくなってすみません。私は、栄養士の先生がひどい!とか、誰かを責めたいわけではなくて、組織の問題だと思っているんです。現状の組織では難しい問題なんだと思っています」。
私は、五人の先生全員の方へ向き直って話を続けた。
「ニンタはこの前、ひなまつりのあられが出た日、めずらしく『あられを食べたかった』と言って帰ってきました。もちろんあられの代わりのおやつは持たせましたが、みんなが食べている方が羨ましかったんだと思います。
ニンタが食べられなかった分のあられは、欠席した子と同様、ジャンケンで勝った子が食べているわけですよね?それをニンタも目の前で見ています。
もちろん、捨ててしまうのはもったいないですから、ジャンケンで誰かが貰うのはいいんです。でも、そういう我慢を毎日しているニンタに、せめて食べられるものはみんなと同じように食べさせてあげたい、と、親としては当然思いますし、障害者差別解消法違反か違反じゃないか、という話の前に、人として、教育者として、先生達もそう思いませんか?
私も教育委員会に問い合わせしたり、可能な限り調べてみました。でも大抵は『校長先生の判断で決まります』と言われてしまいます。
もちろん校長先生一人の力は大きいですが、校長先生がパスタソースの提供を判断する時、たくさんの人が『この状態は良くない』と思うことで、後押しになると思うんです。だから、仲間が必用なんです。先生達に仲間になって欲しいんです。仲間が増えれば状況は必ず変えることが出来ます。不可能な事ではないんです。どうかよろしくお願い致します」
◇
私はニンタが障害ゆえに抱えている問題を話す時、たいてい泣いてしまう。自分の子が不憫だと思う気持ちが抑えられないし、どうして誰も指一本動かしてくれないのか、と歯痒くなるからだ。
でも、この問題はもう何年も言い続けてきていて、そして誰も動く気がないということも良くわかっていたので、諦め半分で、初めて泣かずに話すことが出来た。
かわいそうだとか、情に訴えるとか、そういう事よりも、現状、これはアウトな事なんだと先生たちに理解してほしかったので、最後まで泣かなかったというだけで、私にしてみれば上出来だった。
話を聞く側の先生たちも、もう聞き慣れた要望なので、眉一つ動かさない。ただ、新任の若い養護教諭の方だけが聞き入るような表情をしていて、この人だけには伝わったかもしれない、と思った。
眉一つ動かさない先生も、経験を積んでいるから表情に出ないだけで、本当は、なんとかしたいと思っているのかもしれない。内情はわからない。
そして内情がどうあれ、私はこうやって、ダメでも要望を伝え続ける、諦めない、そういう訓練を積んでいかないと、どんどんニンタが生きていける世界を狭くしていってしまうので、今日の演説は、ただただその訓練だった。
◇
「お時間頂きありがとうございました」。
言いたいことを言い終わって、最後に私がそういうと、教頭先生が手慣れた様子で「ニンタちゃんが楽しく給食を食べられるように、これからも協力していきたいですね」と、ふんわりと場を締めた。
◇
これ以上話すと説教臭くなってしまうから言わなかったけれど、もう一つ言いたいこともあった。
「これから、多様性を尊重する時代と言われています。先生たちは、子どもたちが大きくなった時、合理的配慮として、パスタソースを一人前分ける事が出来る大人になってほしいですか?それとも、パスタソースを分けるコストを削減するために、組織を守る言い訳が上手な大人になってほしいですか?教育者として、今の自分達の行動を、子どもたちに胸を張って言えますか?」
先生たちだって重々わかっているだろうし、そんな言葉一つで話が動くとも思えなかったから、無駄に棘のある言葉は割愛した。
◇
どうか、言い訳が上手な大人を再生産し続けないでほしい。そのために、まず大人自らが変わってほしい。
大人が変わらなければ子どもには伝わらない。そして、世の中は一生変わらない。
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