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たみあ 【小説】



 電車は、中途半端に混んでいた。平日の通勤時間帯。ポールにつかまりたいが、押し込まれてしまった場所からは、手が届かない。空いたつり革が、上方で揺れている。たみあは、足を踏ん張って鞄に手を突っ込み、S字フックを取り出した。ロングサイズのやつだ。差し上げて片方をつり革に引っ掛け、もう片方につかまる。ふう。これでオッケー。たみあのつり革を挟んで、両側のつり革を握る手が、同時にぎしりと動いた。右のスーツの青年は、埋もれた彼女を一瞥して向き直り、左のキャリアウーマン風中年女性は、「あらら」と笑みを浮かべた。たみあも微笑み返すと、
「学校は、もう夏休み?」
「はい」
「お洒落して、どこ行くのかな」
「おばあちゃんの家(うち)へ」
「ひとりで偉いのねえ。気をつけてね」
 女は大袈裟に頷くと、前を向いた。
 ──偉い。たみあにとっては、聞き飽きた言葉。偉いとか、しっかりしているとか。お洒落と言われたのは、ミディアムヘアーの毛先をゆるふわにセットしてきたからだろう。それとも、小花模様のワンピース? 化粧はしないことにしている。すれば必ず変な目で見られるから。
 二十六歳。これから、出勤。身長百二十七センチ。体重二十六キロ。小人症(こびとしょう)。小人症と言っても一括りに出来なくて、原因や事情はそれぞれだ。顔や体つきから、大人とわかる人もいるし、たみあのように童顔で華奢なままの人もいる。もっと歳をとれば、しわとかできて、わかってもらえるだろうが、今のところ九歳か十歳くらいにしか見てもらえない。声も高いし、顔もちっちゃい。子どもとして接して来る人たちに、いちいち説明するのはかなり面倒なのだ。場合によっては哀しげな顔をされるので、困ってしまう。在宅ワークの入力事務で、月に数回出社日がある生活。連日人壁に埋もれるのは苦痛なので、この働き方を選んだ。
 
 翌日の午後。たみあが自分の部屋でパソコンに向かっていると、玄関チャイムが鳴った。リビングのモニターを確認に行く。たみあの家族は、両親と五つ上の姉だが、父親の遠方転勤に母親も伴ったため、現在、姉とふたり暮らしである。その姉は、出勤中。平日の昼間、たみあはひとりだ。
 通話ボタンを押しながら、
「お待たせしま……あれ?」
 モニターには、誰も映っていない。早々と去ってしまったのだろうか。と、画面の下から、唐突に少年の顔半分が現れた。
「ぎゃっ!」
 たみあの叫びは、外部マイクで響いたらしく、口を開けて飛び退る少年が映った。すかさず、またぐんぐん近づいて来て、アップになる。頭頂から鼻の途中くらいまで。たみあと同じくらいの身長らしい。
「今行くね。待ってて」
 玄関まで小走りし、ドアを開けると、今度はアプローチに並べた朝顔の鉢の下でしゃがんでいる。たみあはサンダルを突っかけて、外に出る。
「なあに?」
 覗きこんだたみあと、立ち上がった少年のおでこがごっつんこして、ふたり同時に「痛っ」と、頭に手をやった。
 キチキチキチキチ……。
 緑色の物体が、少年の横を抜けて斜めに飛んで行った。
「あ~。まじか」
 少年は、のけぞって緑色が去って行った青い空を見つめていたが、くるりと向き直った。
「おまえ、誰?」
「君こそ誰よ」
「きみ、だって。かっこつけてんの」
 たみあを同類と思っているらしい。面白いから、このままでいくことにした。
「ショウリョウバッタ」
「はぁ?」
「バッタ。すぐそこで捕まえたんだけど、逃げちゃって。おまえんちに」
「たみあ」
「え?」
「だから、私の名前。ひらがなで、たみあ。おまえは?」
「おまえって言うな」
「君じゃだめなんでしょ」
「たみあ。へ~んな名前。俺、樹(いつき)。わかんないと思うけど、ごちゃごちゃした字を書くんだ。すごく難しいけど、書けるよ」
 空中で、人差し指を動かした。
「漢字で、ひとつだけ?」
「うん」
「もっと、ゆっくり書いて」
 超スローに動く指先をたどり、たみあは「樹」とわかったが、「やっぱ、難しいね」と言っておいた。
「たみあって、さくら小でしょ? 何年?」
「三年生……だけど、学校は違う。遠くに行ってるの。電車乗って」
 すらすらと嘘が出る。嘘のほうが信じてもらえる人生だから、仕方がない。
「そうなんだぁ。俺、二年」
「えっ、背の順、後ろのほう?」
「誕生日が一番最初だもん。俺、転校して来たばっかだけど、どこの学校に行っても、俺より先に生まれたやつ、いないんだぜ。先生が教えてくれた。一日早い誕生日だったら、三年生だって。だからな、おまえ三年だからって、いばるなよ。俺、勉強も出来んだ。将来は、メカ博士になるからな」
 日に焼けた鼻の頭に、つぶつぶの汗が浮いている。
「虫博士じゃなくて?」
「虫のからだは、メカのもとなんだよ。おまえ……たみあには、わかんないと思うけどね」
 たみあは、ふふんと笑うと、
「あのさあ。樹の誕生日、四月二日でしょ。一日じゃなくて」
「え~~~~っ! なんで、わかるのぉ?」
 のけぞって驚く仕草は、子どもそのものである。たみあは、猪口才くんの頭をぐりぐりと撫でそうになる。その手をあわてて胸の前で組み、
「わかるもん」
「たみあって、なんか……なんていうか……変な感じ」
 樹はたみあの顔をじっっと見て、体もちらりと見て、一回まばたきした。
「変? どこが」
「う~。だから、ん~」
 たみあは微笑むと、
「じゃあね。私、宿題の続きをするから」
 と、はぐらかした。今日中にこなしておきたい仕事が残っている。
「宿題なんてさ。夏休み、まだいっぱいあるじゃん。また、遊びに来ていい? 今年は夏に遊ぶやつがいなくて、つまんない」
「きょうだいは?」
「いない」
「そうか。樹は、二学期からさくら小なんだ。一学期までいた学校の友だちとは、離れちゃったんだね」
「うん」
「じゃ、私が、こっちで最初の友だちだね」
 ──まずい。自分は何を言い出しているのか。たみあは口を閉じたが、もう遅かった。
「また、あそぼーぜ」
 樹は照れたように笑うと、ダッシュして走って行った。去って行く後ろ姿を、道まで出て眺めた。振り返らない。あっちの方角に越して来たんだな。
 パソコンの前に戻り、「さてと」とひとりごちるたみあの声は、妙に弾んでいた。

 数日後。お昼前。ピンポンピンポンピ~ンポ~ン。玄関チャイムが鳴った。たみあがモニターを覗くと、樹の顔半分。来た来た。ほんとに来た。しばらく観察していると、後ろに下がって上半身の映像になった。体をくねらせたり、小さく回ったりして、所在なげにしている。
「樹、おはよ。今行く!」
 マイクの声に、樹の顔がぱっと輝く。ドアを開けると、
「よかったぁ。たみあの母ちゃんが出て来なくて」
「ママ、パート。今、ひとり」
「ね、たみあんちの中、入っていい?」
 樹の短い髪の先は、汗で濡れている。
「いいよ……あっ!」
 ──家の中に入れると、ばれるかも。小学生らしい遊び道具が何もない。
「やっぱ、外で遊ぼう。私、外で遊びたい。さっき、回ってたじゃん。あれやろう。同じとこでぐるぐる回って、ばたんって仰向けになると、空が回るの知ってる?」
「知ってるけど。今やんの?」
「空……そうだ、大入道になる方法、知ってる?」
「オオニュウドウ? 何、それ」
「巨人になる方法。ほら、この影を」
 たみあは、地面に映った自分の影を指さした。
「三十数えるあいだ、影をじぃぃぃぃっと見るの。ひたすら見るの。動いちゃだめ。いい?」
「俺は俺のを見るの?」
「うん。で、数え終えたら、ぱっと空を見るの。わかった? いくよ、せーの」
 たみあは、両手と両足をめいっぱい広げて「大」という形をとった。樹はちょっと考えて、頭の上で両手先を合わせて丸をつくった。
「いーち、にーい、さーん……」
 ふたりの高い声が、青空に吸い込まれる。背中にじりじりと太陽が照りつける。
「……にーじゅしち、にーじゅはち、にーじゅく」
「さーんじゅ!」
「うわっ!」「ぎゃはは」
 叫んだのは樹で、笑ったのは、たみあだ。
「いる! 俺と同じかっこした白い巨人。すげ~。あ、あ、消えちゃう」
「ね、見えたでしょ。ママに教えてもらったんだ。小さくても大きくなれる魔法」
 もう一回、もう一回。樹は、いろんなポーズをとって巨人を空にあげた。たみあの後ろに立ち、頭だけ横から出して「頭二つ巨人」。同じく手だけ横から出して「手四本巨人」。ふたりでゲラゲラと笑い合った。
 うー暑っついねぇと、庭の木陰に移動しようとした時、樹が芝生の一部分を指さした。
「なんで、あそこだけハゲてんの?」
「──わかんない」
 たみあは、呟くように返した。──あれは。たみあが小五の時から高校を卒業するまで、朝晩縄跳びを続けた跡だ。同じ所で毎日していたら、芝が楕円にハゲだ。朝百回、夜百回。そのあと、柔軟体操を十五分。母親に協力してもらって、毎日牛乳、いわし、ほうれん草、にんじん、オレンジを決まった分量食べた。それを食べればぐんぐん伸びると、本に書いてあった。くそ真面目に続けた。さすがに連日だと、いわしやにんじんを見るだけで吐き気に襲われるようになり、サプリで代用したが、運動は欠かさず続けた。いまだにあそこだけ芝が生えて来ないのは、執念の炎で焼かれたからに違いない。洋服も靴も、大人の一番小さいサイズでは大きすぎる。子ども用で代用できるデザインには、限りがある。「お客様、サイズ直しすると、裾の刺繍模様が無くなりますが」「木型をとってからお作りですと、お渡しが秋です。この夏流行のサンダルですので……いかがなさいますか」。家の部屋ごとに、脚立。外出には、S字フック。つり革だけじゃない。S字はあらゆる場所で大活躍だ。たとえば、トイレの個室。鞄かけは、やたら上のほうについていることが多い。
 中学の時、あこがれの男子が言った。
「たみあって、不二家のペコちゃんよりは大きい? あのさ、ペコちゃんて頑張り屋だよな。雨の日も風の日も笑って立ち続けて。いてくれなきゃ、がっかりな存在じゃん」
 たみあは、体のことで悔しい思いをすると、駅まで22インチの自転車を漕いでペコちゃんを殴りに行くようになった。不二家の前であたりを伺って、誰も見ていない隙に、ぼこっと殴る。場合によっては、二発。で、笑顔の練習をしながら風を切って帰る。
「たみあ、どしたの? ねえったら」
 樹につつかれ、ニッコリ笑う。
「お腹空いちゃって、ぼうっとしちゃった。樹も、お昼ごはんに帰らないとだね」
 樹が、じっとたみあを見つめる。
「なんかやっぱり。たみあ、変。っていうか、そうだ、不思議な感じ」
「嫌い?」
「ぜ~んぜん。じゃあね! あ、明日からおばあちゃんちに行くから、ちょっと会えない」
 
 お盆も終わる日。たみあが街で用事を済ませて戻ると、休暇中で家にいる姉が、待ち構えていたように喋り出した。
「可愛いお友だちと、お母さんが来たわよ」
「──え」
 たみあの留守中、樹が来たのだ。ドアチャイムが妙にリズミカルに鳴り、姉が出ると、少年と母親が立っていたそうだ。
「お宅の前を通ったら、息子がチャイムを鳴らしてしまったんです。お友だちに会うって言いまして、ってお母さんが謝るわけ。その子がね、たみあいる? って言うから、おでかけしてるのよって答えたら、ポケットからこれ出して、たみあにおみやげって」
 透明なプラスチックケースの中に、金属の丸いバッジが入っていた。やけにリアルなとんぼのイラストが描いてある。
「お母さんが、あら、自分のじゃなかったの? って驚いてた。向こうで昆虫館に寄ったとか、男の子が言ってたよ。それにしても話が噛み合わないなって思ったら、ふたりして私のこと、あんたのママだと思ったらしくて。同じ町内だっていうから、今後のためにも、たみあは妹で大人ですって、事情を説明しといたわ」
「話聞いて、なんて?」
「そうでしたかって、恐縮されちゃってね」
「じゃなくて、樹のほう」
「男の子? なんだかぽかんとしてたわね。お母さんが、この子には説明しますからって、帰ってった。あの子に勘違いされてたんでしょ? 可愛い子ね。あの子には、あえて教える必要もない気がするけどな」
「……教える必要あるよ。言わなきゃいけなかったんだよ。樹の家の場所、聞いた?」
 樹は、混乱しているだろう。ひどく傷ついているかも知れない。大人に嘘をつかれていたのだ。こうなる前に、言おうと思ってた。なんで、もっと早く言わなかった。夏休みが終わって、新しい友だちが出来れば、来なくなるだろうと都合のいいことを考えてた。謝らなければ。樹にごめんなさいって。 
 すぐにでも飛び出して行きそうなたみあを、姉は止めた。
「今日はやめといたほうがいいと思う。そんなひきつった顔で行ったら、あの子余計に戸惑うよ。たみあ、何がどうしちゃったのか教えてくれる?」

 翌朝、休み明けの姉は「誠意を持って謝れば、樹くんにも伝わると思うよ」と、出かけて行った。たみあも明日は出勤日だし、日をあけないうちに会いに行きたい。朝早くだと失礼なので、お昼過ぎがいいだろう。時間がやけにゆっくり進む。仕事をするため、パソコンの前に座ったが、集中出来ない。時計はまだ十時だ。
 ピンポンピンポンピ~ンポ~ン。
 この鳴らし方は。
 たみあは、モニターを確認せずに玄関に走った。ドアの向こうに、日焼けが更に増した樹が立っていた。
「樹。私、あとで行こうと。ごめん。ごめんね。私……」
「たみあ! すごいよ! 超メカみたいじゃん。子どもの大きさで、大人がとうさいされてるんでしょ。すげー。カッケー。だから、なんか不思議だったんだ。びっくりだよぅ。超、カッケー」
 黒目がキランキランしている。
「──え?」
「母ちゃんが、たみあは子どものからだに大人が入ってるすごい人だって。両方のいいとこ持ってるって。そんで俺、それって、とうさいそうび? て聞いたら──」
「搭載って、わかるの?」
「知ってるよ。将来は、メカ博士だからな。なんだよいばるなよ……あ、大人? えーと」
「ありがとう」
 たみあは、樹の両手をとると、自分の両手で挟むように握った。
「嘘ついていて、ごめんね」
 深く深く頭を下げた。
「たみあは、子ども大人だから、嘘ついたの? 大人は嘘ついたらいけないんだよ」
「ううん。大人も子どもも、嘘はいけないの。私がだめだから、嘘ついたの」
「だめじゃないじゃん。俺、たみあって、いいと思うよ」
「大人が搭載装備だから?」
「それもだけど、いつも笑ってるとこ。あれ? たみあ、なんで泣く?」
 ツクツクオーシ オーシツクツク ジー。
「秋が近い蝉が鳴き出したね。まだこんなに暑いのに」
「蝉のこと、よく知ってるじゃん」
「大人だからね。──樹、ちょっと背が伸びた?」
「たぶん。でも、また大きくなるとさ~」
「何?」
「大きいと、学校で損なんだよね。大きいから出来るんでしょって、いつも言われて」
「──そんなこと、考えたことなかった。そうだ。これ、ありがと。大切にするね」
 たみあは、胸につけたバッジを引っ張ってみせた。
「樹、空に巨人つくろうか」
「やるやる。あ、すげーいいこと思いついた。俺がもっと大きくなったら、たみあを肩ぐるましてやる。そんで巨人を空に出す。面白い形になるよ」
「すごいのっぽになるね」
「巨巨巨人! 楽しみだなぁ」
 たみあと樹は、手を繋いで万歳した。瞬きしないで影を見る。
「いくよ! いーち、にーい……」

 その夜。たみあは自転車を飛ばして、駅前の不二家に向かった。シャッターが下りた店の前で、ペコちゃんは、変わらずの笑顔だ。
 じっと見つめて、ぎゅっと抱きしめた。 

「公開時ペンネーム かがわとわ」

                           了