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三月某日 書店「世界のジオラマ」

久しぶりに、都心の大型書店に足を運んだ。ワンフロアすべてが外国語の本で埋め尽くされた、某本屋である。
ほんとうは、階下の家具屋に用があったので、ついでついでに立ち寄った。
(さて、どこの書店でしょうか?正解は最後に。正解された方には、心の中で拍手を送ります。ご一報ください。)


本がたくさんある。なんといっても書店である。大量の本と、それらを収めるだけの書架が所狭しと並んでいる。

本のうち2~3割はまったく理解できない言語で書かれている。残りの本たちも単語を拾うのがやっとで、きちんと読み通せるようなものは殆どない。そもそも、どんなに甘く見積もっても3.5言語(日英、半端に仏、若干芬)程度しか読まないわたしが足を踏み入れるような売り場ではない。

わからないのは言語に限った話ではない。
文学、文芸批評、教育、経済、社会科学、人文一般、歴史、社会学、地域研究、哲学、宗教、ノンフィクション、自己啓発、物理、エンジニアリング、地学、生物学、化学、雑誌、児童書、YA、ELT、辞書、語学テキスト、日本関連書籍、ガイドブック、SF、ファンタジー、経営学、政治、古典、宇宙、などなど。
今まで触れたことのないような分野の本棚が、次々に目に飛び込んでくる。

先ほど「ワンフロアすべてが外国語の本」と言ったが、裏を返せば「すべての外国語の本」が「ワンフロア」に集約されているのである。普段なら決して足を止めることのないような、大型書店であればエスカレーターで通り過ぎてしまうような、所謂「畑違い」の本たちが、見慣れた分野と肩を並べて配架されている。言うなれば、スライムとウルトラマンとプリキュアが一斉に「なかまになりたそうにこちらをみている」状態だ(註:筆者はDQ未プレイです。悪しからず)。

わたしはこのフロアがすきだ。世界中のひとびとの、知的好奇心(や学問的探究心)が一堂に会する場が、すきだ。世の中のダイジェストを見ているような、本の箱庭を覗いているような、心地よさがある。無論、わたし自身が特にモノとしての「本」に愛着をもっている所為もあるだろう。しかしそれでも、贔屓目抜きに見ても、Books Kinokuniya Tokyoは、十分に魅力的な空間であるように思う。

欲を言えば、日本語の本も多少おいてくれれば、一層箱庭が網羅されて個人的には嬉しい。書店の経営には一切の利点がないことは、言うまでもない。



※冒頭の画像はかかる書店とは一切関係ありません。ご了承くださいませ。

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