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ペアノート 「他者」について
進捗報告、そして「他者」について
先月日記にも書いた通り、「他者」をテーマにペアノートを書くことになった。
困ったことに、と言うべきか、やはり、と言うべきか、執筆は進んでいない。
漠然と「他者」を通した自己の相対化による自己理解、そして自身の立場の確立なんかを書こうと思い、コチャコチャと駄文を重ねていたわけだが、今のわたしには言語化するだけの能力と余裕がないらしい。
替わりに、わたしの頭の中をそのまま写し取ったかのようなツイートを見つけた。
自分が分からなくなったとき、本を読みまくったら抜け出せた話。
— 望月哲門/マンガ家 (@Tetsuto1319) July 10, 2020
(1/2)#がんばらなくても死なない pic.twitter.com/0g9ZuvETqX
(ツイートより引用)
自分にとって自分のことは、いくら考えてもわからない。自分の枠から抜け出して俯瞰的に自己を見ることは厳密に言えば不可能だからだ。自己の内部からは境界を確認することはできず、ただ「自分」が無限に広がっている。内部と外部の境界がどこにあるのか、それはどのような形をしているのかは、あくまで自己の外側からしか確認することはできない。
自分がどのような姿を現しているのかを知ることはできない。一方で、他者と自己を比較することを通して図り知ることは可能である。わたしにとっての「他者」とは、自分という存在の輪郭を写しだす装置に他ならない。
自分自身を「図」として認知することは限りなく難しいが、自分の外側にある「地」の部分を詳細に把握し続けることで、自ずから「図」を浮かび上がらせることが可能になる。
その「地」を描く手助けになるのが「他者」なのだ。
思わぬ方向に思考が飛んで行ったので、別にもう一本投稿する。「他者」についてと同じ構造が、「読書」にもみられるように思う。
あくまで「おまけ」なので、気が向いたら流し読む程度に。
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