カウンセリングについて①

希死念慮がまた戻ってきて、急遽カウンセリングを受けた。認知行動療法をするという名目のカウンセリングだが、最近は、話すことを中心とした「普通のカウンセリング」になっていると思う。数回前に、私の抱える問題は認知行動療法でアプローチできないと言われているので、そうなったのだと思う。やはり認知行動療法は、適応の範囲がある程度決まっているのだろう。しかし、「話すカウンセリング」は範囲が少なくとも認知行動療法よりは広いというか、臨床実践として、やはり根源的なものだという気がする。今日それを実感した。ただ話す、それだけなのになぜか気づきがある。おそらく、ただ自分で考えるのとは違い、相手(カウンセラー)に伝わるように配慮しながら考え、思っていることを順序立てて説明しようとするので、頭が整理されるのだろう。自分の思っていることが整理されると、思わぬ気付きを得ることがある。とても面白い体験である。話すことには、確かに力がある、意味がある。ちょっと話は飛ぶかもしれないが、話すことを中心とした臨床実践である精神分析は、やはり意味があるものだと思う。今日はそれを実感したが、それを実感するのは認知行動療法の適応を超えたような根源的な悩みを抱えていないと難しそうだ。精神分析を過去のものとして扱うような人間には、多分実感できないだろう。

追記
確かに話すことには意味があるとは思うが、根源的な悩みには話すことしか対処しようがないだけだと思った。他の方法があまり役に立たないだけだ。

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