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完結しないもどかしさ

この記事は「オペラ座の怪人」25周年記念公演のレビューです。

この作品の成功の決め手は「対極」にあると思います。ファントムとラウルならば、醜と端。クリスティーヌとカルロッタならば、ピュアとプリマドンナ。この対極が明確でないとこの作品の魅力が半減してしまいます。「25周年記念公演版」は、ファントムとラウルの対極は成功しています。なぜなら、ファントムの顔の特殊メイクが本当に醜く仕上がっているからです。映画版のファントムは醜男に見えません。でも、クリスティーヌとカルロッタの対極は成功しています。私は、当時18歳のエミー・ロッサム演ずるクリスティーヌのピュアな歌声を聴いて鳥肌が立ち涙しました。これならプリマドンナを押しのけて大抜擢されても観客は納得することでしょう。「25周年記念公演版」で泣けたのはラストのオルゴールのモンキーの場面だけだったので、ここで初めて、アンドリュー・ロイド=ウェバーの曲の本当の良さがわかりました。「25周年記念公演版」のクリスティーヌ役のシエラ・ボーゲスは確かに上手い!でも、対極という点ではあまりカルロッタとの差異は感じられませんでした。「25周年記念公演版」が成功裏に終わったのは、ファントム役のラミン・カリムルーの力強い美声と細やかな感情表現の賜物だと思います。それに舞台美術の素晴らしさも加えておきたいと思います。コンサート会場をオペラの舞台に変えたのは画期的な試みでした。オーケストラピットは舞台の2階フロアーに設置され、指揮者が見られるように舞台前方に数台のモニターが配置されました。ピットの前後に紗幕を貼り、 プロジェクションマッピングで場面転換を図ったのも舞台構成に一役買いました。また、ピットの前方に上下に可動する鉄製の橋をセッティングして地下通路を再現したのは素晴らしいアイディアだと思いました。また、きらびやかなシャンデリアの演出も見事でした。そのシャンデリアが最後にオークションにかけられ、布で覆われたシャンデリアがその姿を現すと同時に火花が四方に飛び散り、ファントムのテーマ曲が大音量で奏でられてミュージカルがスタートする演出はかっこいいの一言につきます。途中の洗練された舞台構成や華麗なバレエも見事です。そしてファントムの声高らかに歌う「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」の後に彼は姿を消し仮面だけを残して幕は下ろされます。

前述のオルゴールのモンキーは、最初のオークションの場面にも登場します。ラウル・シャニュイ子爵は、このオルゴールを落札し、「奏で続けるのか?私たちが皆、死んでも」とつぶやいて物語の結末を予感させます。ファントムに対する贖罪と羨望の意味が込められていたように思います。

映画版のラストシーンでは、ラウルが落札したオルゴールのモンキーをクリスティーヌのお墓にお供えするモノクロの場面で墓石の横に置いてあったバラの花が色づくところで終わります。そのバラの茎にはクリスティーヌの左手の薬指に一度だけつけられたファントムの指輪が輝いていました。ラウルのつぶやき「奏で続けるのか?私たちが皆、死んでも」にはクリスティーヌのファントムに対する永遠の愛が暗示されているように私には思えます。それはラウルへの「心の愛」とは別の「魂の愛」です。

「25周年記念公演版」が最初のオークションの場面の暗示を生かさないまま終えてしまったのは残念でした。例えファントムが仮面を残した(捨てた)ことがクリスティーヌから身を引き彼女の「魂の愛」を甘受して生きることを決意した証だったとしても。ファントムが本当に救われる映画版のような心憎い演出が加味されていたならもっと素晴らしい舞台になっていたと思います。

(See you)