【書評】黒田基樹『今川のおんな家長 寿桂尼』

 “おんな”という表記。かつ、『真田丸』考証の黒田先生。となれば、大河ファンがこれは読もうと手にとる。そういう宣伝戦略はわかります。そういう間口の広げ方をし、さらなる深みへ連れてゆく。
 ここ数日、いろいろあって憔悴している方。元気は悪口では回復しません。軽い運動か、さらなる学びで癒すことをおすすめします。

彼女の名は? 彼女が嫁いだ経緯は?

 まず本書は、そもそも寿桂尼という呼び名についてから始まります。ドラマ等では便宜的に「じゅけいに〜〜〜!」と叫んだりしますが、法名なのです。
 そもそも呼び名すらわからない。ここで、あのベストセラー『82年生まれ、キム・ジヨン』を思い出します。あの小説では「そもそもなんで女は誰かの娘、母、妻として表現されるのか?」という問題提起があります。

 これほどの人物ながら、曖昧模糊としている。
 生まれた歳も。本人が結婚をどう思っていたのかも。当時はそんなものと片付けそうになるかもしれないけれど、そういう苦い砂を噛むような感覚が、本書を読む意義だと思えます。

 こういう曖昧模糊さが健全だとも思えます。というのも、古い研究書を読んでいくと、女性を悪女扱いしたり、容姿を推察したり。あるいは逆に女神や聖女のように扱ったり。戸惑うこともあります。
 女だって人間。当然の前提のもと、本書は進みます。

家を守るために駒を動かす女性

 女性ヴァイキングの墓から、ボードゲームの駒が発掘された――と、この間読みました。女性指揮官、男勝りというと、武器を持たせたくなるかもしれないけれども、こうやって駒を動かす役割もまた、将の資質としては問われます。
 寿桂尼は、こういう駒を動かす女性であること。そのことを、丁寧に史料をもとに解説してゆきます。そのうえで「悲劇のヒロイン」扱いはしないようにと釘を刺す。
 この本は、とても勉強になる!
 それは寿桂尼本人についてわかるだけでなく、研究するうえでの姿勢を学べるがゆえのこと。集中してきっちりと引いた線を見るような明快さがあって、読むだけで気持ちが爽やかになります。良書とはまさしく心の滋養です。

 本書は、スカッとしない、曖昧模糊なものという印象を受けても仕方ない。男性の伝記とはやはり異なる。資料を丹念に積み重ねないと、輪郭すら掴みかねる。そこにいたはずなのに、なかなか見えてこない。“おんな家長”という概念すら本書が提言するもので、ズバリとは言えない。
 明確明瞭にせず、含みのある表現を言葉の選び方ひとつとってもしているのが伝わってきます。こんなに実績もあり、著作もある研究者でも、薄氷を踏み込むように慎重に薦めていく。そうして進めていって、寿桂尼が浮かんでくる。
 このあいだ『存在しない女たち』を読みました。この本では歴史からもそこにいたはずの女性が消えていった事例が取り上げられています。日本の戦国時代においてはどうか? その答えを知る手がかりになると思えました。

人間は進化する、研究は進歩する

 本書では「家」妻の在り方について、先行研究を取り上げつつ、近世統一政権への展開にともなう変化にもふれられています。
 これもずっと気になっていること。
 纏足、コルセット、ハイヒール……そういう女性を抑圧し、閉じ込めておくような仕組みは、人類がある程度進歩してからより強まっていく傾向はある。
 石器時代にそんなことをしていたら、女が足手纏いになって危険極まりない。しかし経済にせよ社会にせよ安定したらば、ゴージャスなアクセサリー感覚で女性を所有して閉じ込めておいてもそこまで危険ではない。女性差別の歴史というのは、時代がくだれば改善するのかというと、そう単純でもないのだと。

 そこは江戸時代以降の歴史を探っていくしかない。本書は完結するようで、実はしていない。次へと興味関心を惹きつける力があります。

 そして「おわりに」――これも必読です。
 どうして本書は書かれたのかがまとめらています。それは黒田氏がいかにして戦国時代の女性に興味関心を抱いたのか、きっちりと説明されているのです。
 あるドラマで出会ったある女優との会話。女子学生からのコメント。現代にも続いていく家父長制の残滓を認識し、この問題の克服に歴史学者として寄与するという決意が書かれているのです。
 
 日本中世史には、こういう先生がいる。そのことに勇気づけられる人がどれほどいることでしょう。こういう誠心誠意は人の心を勇気づけるものだと痛感させられます。

 今このとき、女性史月間の3月にこそ読みたい。そう全力で推したい、素晴らしい一冊です。あとがきだけでも公開したいくらいではありますが、ともあれ、それではよろしくない。買って読んで、黒田先生のような方を応援すれば、きっとそのことがつもりに積もって力となり、何か山を動かすことでしょう。そう信じているのです。


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