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アイヌにばかりなぜ、過剰な“伝統”を求めるのか?

 『ゴールデンカムイ』の現代パロディがあるとする。そこでアシㇼパさんがフードカッターでチタタプをしていたらありでしょうか?

なぜこんな問題提起をしたかというと

 フードカッターでチタタプをするというアイヌの方の話を読み、私は感動しました。そりゃそうなるだろうなと。それはとても効率的だと。
 そもそも『ゴールデンカムイ』でも、キラウシたちは鉄砲で狩猟をしている。鉄砲はアイヌ語に取り入れられている。そして弓矢を使うアシㇼパを変わり者だと感じている。
 こんなものは当たり前で、アイヌは和人と交易して得たものを使っていたのです。一方通行でもなく、和人はアイヌとの交易で得たものを利用していました。
 技術だって当然進歩するわけで、交易の民であるアイヌがさまざまな技術革新の恩恵を受けるのは当たり前。人間みなそう。それなのに、アイヌは伝統的な(そもそもその範囲は?)ものを過剰に求め、そうでないといけないというのは何なのか?
 それは要するに、マジョリティの奢りですよね。

外国人観光客が日本に来て

 なんで日本人は髷じゃないの? 着物じゃないの? こんなの日本人じゃないでしょ! そう言い出したら、キレていいと思う。侮辱だもん。
 要するに観光地にいる忍者や、芸者を求めているってことでしょう。勝手に旅しておもてなしをされる気持ちになって、それを満たせって話でしょう。何様のつもりなんだよ。ふざけんなよ。見せ物じゃねえんだよ! そうなるよね?
 ならアイヌに対し、過剰にそういうことを求めるのも、同じような下劣な心理状態ですよ。

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