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『ちむどんどん』第25回 暢子、本土へ

1972年、春。沖縄本土復帰を前にして、暢子もやっと上京できることになりました。

ジェンダーに挑む下地

下地が三線を弾き、歌子が『芭蕉布』を歌う。これはなかなかジェンダー的におもしろい。というのも、三線は男の楽器だった、けれど今はもう関係ないと下地がいうから。こういうことってよくありまして。茶道も今では当たり前のように女性も嗜みますが、新島八重が挑むまでは男性だけのものでした。
そこをあえて切り込む下地。まだ歌子はおずおずとしているけれど、今後、自己主張をキッパリとする女性になるのでしょうか。下地は素晴らしい教師でした。

青春を描いて

このドラマは嫌味がない青春の描き方。シャイで想いを伝えられなかった正男。荷造りで揉めてしまう姉妹。旅立つ前に父の肩身の包丁を渡す優子。こういう描き方が見たかったと思えます。こういうのでいい。下手に変な意外性狙わなくていいから。

沖縄らしい美しい景色も描いて、バスが通る道に子ども時代の思い出をのせて、暢子は旅立ちます。それは1972年5月15日のことでした。

沖縄出身者がこれからどうなるか

このドラマはメタファーが結構使われているようでして。言われて気づいたけれど、暢子が温め直すと硬くなるというフーチャンプルーは、自分の一旦冷めた夢とかけたのかもしれません。
そして、貧しくとものびのびと生きてきた暢子が、女性差別と沖縄人としての差別に本土で直面する。そういう展開を望みます。
暢子の本土ゆきはどうしたって沖縄本土復帰と重なって見えるわけでして。ワクワクしながら本土へ向かい失望する。そんな姿が見たいと思います。

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