見出し画像

『ちむどんどん』第125回(完) やんばるに生きる家族の物語

 やんばるちむどんどん開店のあと、歌子が倒れてしまいます。そこに賢秀が駆けつけ……。

ニライカナイに呼びかけて

 歌子が治るように。そう願い、兄と姉たちは浜辺へ向かいます。兄はタクシー代を払わないトラブルをやらかしつつも、かれらは海に向かって父の名を呼び、父が声を返し、歌子は目を覚ますという展開でした。
 これについては意味がわからないという声があり、ネットの仕組みにまだ疎い雑メディアがコタツ記事をせっせと書き上げていますが。
 
 なぜ意味がわからないかというと、ニライカナイという沖縄の概念を知らないからでしょう。あれが仏壇で手を合わせるとか、神社に向かうのであればわかったはず。

 外国人が、病気の家族のために神社で祈っているところをみて、
「ホワーイジャパニーズピーポーwww」
 とゲラゲラ笑っていたらはっきりいってムカつくと思いますが。それと同じ類の無知由来の傲慢な難癖です。
 
 和人が琉球の信仰をどれだけコケにし、バカしてきたか考えましょうか。その延長線上にいるということだ。歴史の一ページを刻めて満足ですかね。

そして202X年(令和X年)

 マスクをしなくなったみんなが、優子の誕生日に集まっています。賢秀そっくりの孫が頭にあのバンドを巻いている。新聞記事にのる暢子。著書が評価された和彦。歌手になった歌子は元気。博夫も、良子も、校長経験者。賢秀と清恵もちゃんとやっている。
 売店にはブラジルのコーヒー豆も。やんばるの一家の物語が、こうして終わります。

全体的な出来として

 このドラマは朝ドラの長所と短所がある作品でした。限界もある。

 沖縄の直面する差別や政治的なことは、ぼかしてしか描けない。これは『なつぞら』のアイヌ描写等もそう。差別や貧困に踏み込むドラマにすると叩かれます。施しを乞うならばへりくだれ、頭が高い! そういう謎の殿様根性を発揮するんですね。『半分、青い。』が典型例です。

「そういうことじゃなくてぇ〜」

 鼻にかかった声で何か反論したがる手合いは想像がつきますが、時間の無駄なのでどうでもいいです。お帰りくださいね。

 そういう意味合いでは、暢子たちは「沖縄のど田舎から来ている低学歴女のくせに頭が高ェんだよ! 本土の人間の靴の裏なめながら縮こまって生きていけ、オラァ!」みたいなアンチがつくでしょうから、仕方ないんですよ。

 まだまだこの国では、差別が軽やかな娯楽ですので。ツイッターで特定国籍の連中は滅びろというような、そういうわかりやすい差別でなく、朝ドラ批判と見せかけて差別する心を満たせるなんて、そりゃ楽しいでしょう?

 ここ数年の朝ドラと、コタツ記事をみていて気づいた傾向はあります。

◆近年高評価朝ドラあるある
・スタッフや出演者にファンダムがある
・50代以上のノスタルジーをくすぐる、いわば電通臭が濃い
・カップル萌え要素が強い
・大企業関係のモデルがいる
・主人公は金持ち、社会のエリート(戦前もの定番、ヒロイン女学校卒設定は、当時の社会上位数パーセントです)
・ジェンダー意識? 知らない概念ですね……
・昭和平成ノスタルジー
・漂う政治臭
・朝ドラインフルエンサー(サブカル口調で朝ドラ評価をしているあの人たち)が誉める
・NHK大阪

◆近年低評価朝ドラあるある
・ファンダムのない脚本家と出演者、出演者は若手
・視聴者アンケートをとると若年層で高評価傾向
・社会的な問題への批判精神がある
・主人公にモデルがいない
・主人公が貧困層、地方出身、低学歴等、社会的地位が低い
・ジェンダー意識をちゃんと更新している
・朝ドラインフルエンサーが冷笑系罵詈雑言を連ねる
・NHK東京

 前者典型は『あさが来た』。五代友厚と広岡浅子なんて史実ではほぼ接点がないものの、暇すぎる薩摩隼人として王子様状態で助けにくる。あの五代友厚は、そりゃそんな馬鹿なことをしていたら出世ルートを外れるとしか言いようはない、ご都合主義の塊でした。戊辰戦争で日本人を殺す武器を売り捌いた政商・五代友厚が、乙女ゲーの攻略対象もどきってどんなブラックジョーク? それでも大勢それに騙され、五代様萌えは大河でもやらかされたけど。
 萌え萌えキュンキュンできる。大企業モデルですもんね。話がおもしろいからとかなんとかいろいろ言い分はあるでしょうよ。
 でも結局は、みんな褒めてるし……ってところじゃありませんか?
 あれが成功したから、大河でも同じ二番煎じを恥ずかしげもなくやるんでしょうね。どんな極悪人だろうと、乙女ゲーじみた作りにすれば一定層は騙せるとNHKは学んだんでしょう。

 『マッサン』、『とと姉ちゃん』、『べっぴんさん』、『わろてんか』、『まんぷく』、『エール』。こうしたドラマの中には出来が悪いものもありましたが、万人の敵のように叩かれるものはありません。
 その枠にいるのは、『純と愛』、『まれ』、『半分、青い。』あたりでしょう。
 誰もが叩くあの朝ドラの枠に、モデルのいない地方出身女性主人公を当然の如く入れてしまうとすれば、いったん立ち止まって欲しいものです。
 どうしてその枠に、『わろてんか』なり、『まんぷく』を入れないのですか?

 私は『わろてんか』と『まんぷく』こそがここ十年で最低最悪の朝ドラだと考えます。なぜか?

 出来が悪い云々以前の話じゃない。政治的なんですよ。吉本興業と日清食品って、政治的に真っ黒ですよ。『まんぷく』は華僑ルーツ抹消、台湾伝統食ルーツ簒奪というありえないほどの悪事を働いているのに、万人の敵扱いされないことが不思議で仕方ない。
 結局、華僑の人権なんて本気に考えていないということでは?

 そうそう、『あさが来た』。あれは出来はそこそこよいけれども、歴史修正という意味では朝ドラ史上に残る極悪作品だと思います。ああいう政治事情でないと通らない企画でしょうね。統一教会はもちろん最優先にすべきですけれども、この2010年代半ばからのNHK腐敗もきっちり誰かやるべきでしょうね。私でなく、大手マスコミがやるべき話だろうに。

『マッサン』からの飛躍

 羽原大介さんの朝ドラという点でいうと、『マッサン』より格段によくなったところがある。彼が鷹揚な構えなのは、自分で改善したという自信があるからでしょう。
 私が気づいた点でも。

・安易なステレオタイプの打破
エリーはモデルよりも幼く、髪の色は淡く、眼鏡もかけておらず、日本人が好きそうな外国人女性にされていました。ウケ狙いにせよモデルに失礼だと思えました。
これはタイトルロールのマッサンもそう。竹鶴政孝の性格そのものより、関西のダメ親父ぽくされていた。実際の竹鶴はもっとエリート主義で、近寄り難いエンジニア気質です。
なぜ変えたかというと、史実よりも大衆受けに流されたのでしょう。

・味へのこだわり
羽原さんは味の描き方がうまい。けれども、前半はさておき後半はスタミナ切れか、『マッサン』終盤はそれが薄れていた。今回は料理監修者やモデルがいたことが幸いしたのか、最終週まで沖縄食材をイタリアンの手法でアレンジした食べ物が出てきて、素晴らしかった。

・地方文化への気配り
『マッサン』の余市では会津藩の話を入れてきたり。彼自身は歴史を調べたりすることが好きなんだと思う。それでも『マッサン』は、北海道で猪を狩ったというセリフもありまして。アイヌについても見えてこないし、『なつぞら』と比べると見劣りはするんですね。
その点、今回は進歩が大きい。和彦の境遇に共感していたかも。そういう情報インプット量が今回は増えていると思えました。
といっても、「こんな沖縄はおかしい!」という声もあるでしょう。個人差や地方差までは作り手が織り込めなかったのか。それとも沖縄文化アウトプットが足りていない日本の限界か。そういう解像度のムラは課題ですね。
ただ、そういうアラはあっても、羽原さんは、基本的に地方の風習とか文化とか、調べるのが好きでどんどんぐいぐいいくほうなんだと思いますよ。そこがいい。そこが大事。

・ジェンダー描写の進歩

『マッサン』はこれが本当に残念でした。エリーに対する姑のいじめが酷かった。モデルとなったマッサンの母はもっと開明的な人ですので、かなり失礼でした。エリーが実はウイスキーを飲めないという設定もあった。お茶目でかわいいという演出だったけれども、女性とアルコールの関係を考えるとスッキリしないものがありました。
暢子と房子はワインをぐいぐい飲むし。リーダーシップ抜群だし。プライドの高い矢作にせよ、暢子の下にいることも容認しているし。ジェンダーについていえば抜群の進歩です! 素晴らしい!

・戦争関連描写の洗練
『マッサン』では決定的に許せない描写があります。シベリア抑留者が、ソ連にいたときそのまんまの格好で、突如戻ってきたこと。あれはおそらくスタッフが抑留資料のソ連時代のものを参考にしたのでしょうが、あんな格好のまま帰国しません。それに帰国は船便で京都の舞鶴港に来るのが定番です。
なので、あれはまったくいただけなかった。抑留生活でカツカツだった相手との会話で、三級酒のアイデアを思いつく流れも強引でした。
それと比べると、戦争体験の解像度も、入れ込み方も、今作は格段にあがっていました。最終週に亡き姉のジーファーが手元に戻ることで、優子が鎮魂のために舞う。理想的な展開です。

・プロット構成
後半は確かに詰め込み過ぎの感はあったし、焦りは感じたけれども。最終週なんてきっちり着地していましたもんね。モデルがいないぶん、あるいはカップル萌えに引きずられないぶん、構成としてスッキリ綺麗にまとまっていました。

なぜ、反省会界隈は極端な朝ドラ評価をして満足げにしているのか?

 最終回なので、ここ数年溜まりに溜まった鬱憤を晴らす。のみならず、本作でやっと世間に広く気づかれてきた反省会界隈について分析したいと思います。バーチャルいじめが趣味で、特技は大衆迎合。そういう人々ですね。SNSアイコンや背景はかわいらしく、自己紹介も自分がいかに無害で善良か書くことにぬかりはない。が、隠していても邪悪さは文面の臭いでわかりまするぞ。

 まず本作は始まった段階で、舐めるように見て(私はそんなことできません)、粗探しをする目線がありました。そしてはっきりいってプロット上強引でも問題がないような展開でも、執拗に叩く。

 しかも始まって間も無くして気づいたのですが、インフルエンサーの指示通りに動く……いや、本人も気づいていないでしょう。週刊誌で連載を持っているようなライターが冷笑しながら書いた欠点と同じ論調を繰り返すんですね。
 罵倒するにせよ、自分の語彙力を使っているのかどうか。

 それと、貶すにせよ、誉めるにせよ、根拠が薄い。私が好きだから好き、嫌いだから嫌い。文体に手を入れつつも、その手の幼児じみたことをダラダラ繰り返す。むかつく、不愉快、受信料払ってんだぞ、放映やめろ! こういうヒステリックな罵詈雑言が好きですよね。飽きませんか?

 今だからいいますけどね。反省会界隈はなんとかの一つ覚えのように、朝から不快な気分にさせてけしからんとネチネチ言い募るわけじゃないですか。
 でもそのみなさんが公式アカウントに冷笑気取りの皮肉っぽいレスをつけ(笑だのwwwだの好きだよな)、こっちまで不快にされる。
 えらそーな、こっちが無知蒙昧でバカだという前提で、慇懃無礼、ねじくれ曲がった根性が文体からわかる気取りに気取ったリプライをつける。
 そのことで私がどんだけ怒髪衝天ものか、憎悪をたぎられているか、想像できないからリプライをするんですよね? あるいは他者の怒りなんてどーでもいい♪と驕りたかぶっているとか? いずれにせよ金輪際関わりたくないので、こっちこないでいいですよ。
 あなた方、十分不愉快ですよ。罵詈雑言なら、私みたいにnoteなりブログにこもってやればいいじゃないですか。
 人に不快感を与えたことが罪だというならば、まず己の罪を罰する文章でも書いてください。あ、書くだけでいいです。私に見せてこなくていいですよ。

 この人ら、自分の好きな作品の批判ですら絶対許さないと言い張るくせに、こっちが好きな作品は冷笑サブカル全開で貶してきますよね。人の心を傷つけるな、純粋なファンの心を守れ、ね。ならば自分で手本を示してください。
 こっちにはこないでください。鬱陶しいです。不倶戴天。それでいいじゃないですか。
 半笑いで『半分、青い。』をけなし、『まんぷく』を褒めていたあの人。元気かな。今はすっかりネットに流されてヘイターになっちゃって……。
 世間様の空気を読むことはできる。えらそうな雰囲気を撒き散らしつつ、断片的な情報で何かを貶すことはできる。とはいえ、目の前の対話者の好みすら確認せず理論展開するとなっては、果たしてあの人は賢明なり優しいと言えたのかどうか?

 話を戻すと。

 『ちむどんどん』反省会どもは何かあるとすぐ小判な膨らませ頬に皮肉げな笑みを貼り付けながら、

「でもぉ、『カムカム』は(意識高いオサレ文体)だからよかったんですけどぉ」

 とやらかすじゃないですか。

 客観冷静に考えて、今作と前作のプロットや技量の差はそこまでありませんよ。私個人は前作がはるかに劣ると思っていますが、それはさておき。

 じゃあなんで前作が好きで本作が嫌いかって?

 「ハロー効果」や「バンドワゴン効果」、「エコーチェンバー」では?

 前作の脚本家には『ちりとてちん』という作品がある。あれは視聴率は低迷したものの、“意識高いドラマおよびサブカル通“と自認する層には受けた。
 なので、阪神ファンが”バースの再来“を期待するように、”ちりとてちんの再来“を期待したわけやね。個人的にワイはバースやのうてグリーンウェルちゃうか、と思うわけやけども。あのドラマのキモいところは民放のダメな「日本スゴイ」ファンタジーじみた展開やね。『サムライベースボール』がヒットだの。バブル期に日本がアメリカを脅かした、そういう幻想を刺激する類の媚をうっとった。あんなん朝から見せられても胸焼けするだけやで。どうやってみんな耐えたんやろなぁ?
 ともかくあの脚本家と発表されただけで、祝杯あげた写真をSNSにアップしたりウキウキワクワクだったわけじゃないですか。

 かれらは忠誠心がある。平安末期の坂東武者のように、主君をコロコロ替えない。あのドラマ序盤から終盤まで「この人は絶対神脚本を書くから!」と言い続けるわけ。
 その願いが通じたわけかどうか、しらんけど。通じなくともあずきに「おいしゅうなぁれ」と祈るように、ファンダムでぐつぐつ煮詰め、次作をボコボコに殴ればなんとかなると判断した……ってところでは? 無意識下での行動だから自分でも気づいていないかもしれんけどね。

 なので、神脚本のあとはさしずめサタン脚本がくるとみこみ、はなから叩く気満々だったんでしょう。
 同じ現象が、大河の『八重の桜』と『麒麟がくる』でもありました。前作脚本家ファンに不信を感じたものですが。

 海外では問題になっている「有毒ファンダム」が、日本の朝ドラでも認知されるようになったと感慨深い。そんな嫌な快感も本作にはあったな。

ここから先は

774字

朝ドラメモ

¥300 / 月 初月無料

朝ドラについてメモ。

よろしければご支援よろしくお願いします。ライターとして、あなたの力が必要です!