『虎に翼』第43回 ありのままの父
昭和21年(1946年)、優三は戦病死を遂げていました。それを直言が半年も隠していたことを、寅子は知ってしまいます。
中国に散った優三
寅子はカッとなりやすいタイプです。
しかし、怒りは相手が健康でなければぶつけられません。苦しみ、弱った父相手に、背を向けて去ろうとする寅子。
優三の戦病死は当然の帰結かもしれない。兵士と若くもないうえに、病弱でもあった優三が徴兵されてこうなるのは必然でしょう。徴兵される時期が遅かったのは、軍としても弱い、使い物にならないという考えはあったことを示していると思います。
ただ、この最期からよい材料を探し出しましょうか。
遼寧省ということは、中国共産党軍の捕虜になって治療を受けた可能性は高い。中共軍は高潔で、負けた日本兵を戦争が終わったのだからもう敵味方もないと、厚遇したという手記や経験談は多いものです。米兵捕虜はいい扱いで喜んだ体験談がありますが、中国でもそうなんですね。オーストラリアは日本兵よりも豪兵の数が不足していたので監視しきれず、施設内にむしろ捉えた側がとどまる。日本兵は「放し飼い」のようなサバイバル状態になったこともあったとか。ソ連はシベリア抑留があります。
そうはいっても、中国大陸の残留兵にも罠があります。不幸にして国共内戦に巻き込まれてしまった残留兵もいたのです。優三はそうならずに戦病死になったということでしょう。
もっと中国に残った兵士の体験談や遺品が目に触れる機会があればよいのですが、そうすると加害直視もしなければならないという政治的意図で、できていないのかと考えてしまいます。
直言の遺言
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