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【読書】カトリーンマルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』

 女性のこと、ジェンダーを考えずに経済論議をできるか! そう言い切る痛快な一冊です。

日本に即して考えよう

 こういう本は痛快ですが、ツッコミを入れなくてはいけかいことはある。あ、著者が悪いのではなく。

「北欧でもコレなら日本はどうなるんだよ!」

 北欧ミステリが今大人気です。そんな北欧ミステリでは古典的な部類に入るマルティン・ベックシリーズが、ジェンダー論ではだいたい現在の日本と近いのではないかと私は思っております。ちなみにシリーズ第一作は1965年発表だ。
 これを読んでスッキリしていたらまだまだ甘い。ここは敢えて問題提起してみましょう。

渋沢栄一の影で泣いていたのは誰か? これからの経済と女性の話も、日本では真っ暗という話

 でもさあ、アダム・スミスはマシじゃない? 独身で母親に食事作らせたっていうならさぁ。渋沢栄一なんか……と、私は言わざるを得ない。
 また「大河を見て渋沢栄一は偉大だと思いました」系の文言を見てツッコミますけどね。渋沢栄一が京都で尊王攘夷テロ活動をしている間、家を守ったり、彼の性欲を鎮めてやったのは誰かって話ですよ。
 それを言うなら、渋沢が転がり込んだサイテー君主の徳川慶喜。慶喜のヘタレっぷりとちがって、凛然として役目を果たしていたのは誰かって話でもある。和宮ですよ。

 渋沢の女がらみに突っ込むと、こういう擁護があるから先回りしておく。
「当時はそんなもの……」
 いや、当時でも色々。DV殺人をもみ消す薩摩。千人斬り自慢をして明治天皇すら苦言を呈した長州。そんな長州と仲良く女遊びをしていた渋沢栄一は、明治基準でもサイテーの部類に入る。誤魔化せたのはそれだけ政府とマスコミとつながりがあって、金と力で誤魔化していただけです。

 話がずれそうですが。
 2021年大河関連で渋沢の伝記はざっと読みましたが、ジェンダーから見つめ直さねばならないはずが、そうしていないせいでぶち壊れているというモヤモヤ感はありました。うわっつらだけ小汚く誤魔化していた大河そのものも大概でしたが。

 ジェンダーのみならず、人種その他もろもろの差別を踏まえねば、歴史も経済も本来語れないはず。それをいつになったらするのか? その日は遠いんじゃないか。そう確信できるのが渋沢栄一顕彰でして。未来には恥ずかしいとされるであろうことを褒めるのはどうにも気乗りしない。のみならず、若い世代へ申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 本気で本書のような目線で、日本の歴史と経済を語り直すべきなんじゃないか? そう確信できた一冊。中身そのもののよさだけでなく、新視点を養う意味がある一冊でした。
 本書の感想でなくてすみません。ともあれ、読む価値はある!

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