【読書感想】『アイヌ通史』近代国家日本成立の“影”とされた“本質”

 本書が書かれた時代は2000年代の手前にあたる。それから20年以上を経て、BLM運動が起こり、ウポポイができ、『ゴールデンカムイ』が読まれる時代の邦訳がでた。これはまさしく画期的であり、必読の書といえる。そんな一冊です。

タイトルではつかみにくいかもしれない本書のテーマ

 そう勧めておいて、いきなりタイトルにダメ出しをするようで申し訳ありません。ただ、原題の”Race, Resistance and the Ainu of Japan”の方が中身には適していると思います。ただ、そのタイトルだと読者層が限られるかもしれないし、通史というタイトルが本質にかなっているとも思えます。これはこれで適切な判断です。
 ただ、案の定いちゃもんをつけるようなSNS投稿は見かけました。イデオロギーがあってかしからんというものです。そもそも歴史をイデオロギー抜きにして語れるかどうか? そんな疑問はさておき、ある層を刺激することは理解できました。読んでみて、それは確信に変わりました。

 本書はアイヌを通して、日本という近代国家がどう成立したのか、その影の部分探ります。明治という国家建設が“坂の上の雲”を目指すようなものだったと思いたい。そんな層が反発するのは無理もないことでしょう。その雲のかげでどれほどの苦しみがあったのか、本書は迫るのですから。

明治国家成立とは、人種差別形成とともにあった

 本書はまず、明治政府のアイヌに対する対応から始まります。自分なりにここは興味があった。屯田兵は自分たちに食事を振る舞い、歓迎したアイヌの人々に対して親しみを覚えていた。明治政府の使節団はアメリカで先住民の扱いを見て不快感を覚えていた。
 それなのに、明治政府のアイヌ政策には思いやりも何もない。
 そこには不気味な何かが入り混じった感覚がありました。江戸時代以前にもあった蝦夷への蔑み。めざすべき西洋にあった社会的ダーウィニズム。素朴で伝統的な差別が、あやまった科学で理論武装されて、より強固になった差別がアイヌへの対応にはあると思えたのです。
 
 そんな疑問を本書は解き明かしてゆきます。本書は江戸期以降の華夷変態(本書ではこの単語は出てきませんが、明清交替によって漢族が満洲族に支配されたこと)、水戸学といった東洋由来の思想。それに西洋由来の社会的ダーウィニズムが混合してゆく、日本型のレイシズムが明かされてゆくのです。

 こう書いていくと、反発まで想定できるようになりました。著書と翻訳者がなまじ日本人でないだけに、そうはいうけどお前の国はどうなんだというWhataboutismを持ち出す人がいるだろうなと。
 しかし本書は、イザベラ・バードのようなイギリス人や聖職者ですら、アイヌを差別的な目線で見ていたと記しています。日本人以外がアイヌをどれほど差別的に見ていたか、骨を研究目的で持ち去ったか、本書はしっかりと記しています。
 当時は世界全体にレイシズムがあふれていたと、本書にはある。日本人だけが異常だったと、そんなことを言いたいわけではないのです。
 本書では黒田清隆がいかに樺太アイヌに打撃を与えたのかも書かれていて、ほんとうに私は快哉をさけびたいような、頭の中の霧が晴れる思いを味わいました。黒田が良いことをしたとはまったく思いません。さんざんアイヌを滅びゆく民族と定義づけ、それを差別の根拠にすらしていたけれども、外交や政策のせいでアイヌに大打撃を与えたのは、いったい誰のしたことでしょう? 本書はそこを外しません。黒田清隆の政策の背景には、イギリス外交の介入もある。アイヌを滅ぼしたのは何か? それは帝国主義であり、それに則った当時の政治であったのだと。そのことを本書を読んで再確認できたからこそ、私は思考がまとまってとてもスッキリしたのです。

ここから学び始めることもでき、思考をまとめるためにも役立つ

 本書は立ち位置がなかなか高度で、入門書としても読めるし、まとめるためにも読めると思えます。
 アイヌの歴史に関する本はいろいろあります。『ゴールデンカムイ』経由で学べるものもある。カラー写真や図版が豊富なムックもある。そうした愛想の良い本と比べると、モノクロで、写真や図版が少なく、固く、翻訳書特有の文体である本書は、とっつきにくく無愛想に思えるかもしれない。
 けれども、引っかかったところに片っ端から付箋を貼って、それに関する本を図書館なり何なりで読んでいけば、アイヌの歴史のみならず人類史が何か、そこまで到達できるのではないかと思います。

 できれば本書を足掛かりにして、他の国での先住民差別や、帝国主義がもたらした戦争、ジェンダー、環境問題、水戸学、尊王攘夷思想、社会的ダーウィニズムの弊害。そうしたものまで把握できれば大いに学びがあると思います。

これからよりよい歴史を作ろう

 アイヌバッシングが盛んになっています。その背景には、明治礼賛があると私は思うのです。明治礼賛はたとえば織田信長顕彰のような話とはまるでちがう。江戸時代ならば、藩祖顕彰は利害関係がありました。しかし幕藩体制が崩壊した明治以降はちがう。せいぜいご当地観光になる程度のものでしょう。
 しかし明治礼賛は、現役政治家の先祖顕彰にも直結する。アイヌ差別を明らかにされて、明治という近代国家建設に異議申し立てをされることは、政治的な話になるのです。明治礼賛は常に政治的なものであり、アイヌへの迫害をあらわにされると「政治的にムカつく!」層が存在することは把握しておきましょう。のみならず、本書のようなアプローチをすると、アイヌを足掛かりにして他の民族への差別へも目線が広がる。それをされたら困る層は存在します。憂鬱なことに、原書が書かれた1990年台後半よりも事態は悪化しているかもしれない。だからこそ読む意義があるといえばその通りです。
 アイヌ差別を隠蔽することは、歴史修正にほかなりません。歴史修正をすることは嘘に嘘を重ねる、そんな虚しい楼閣を作るようなもので、いずれ破綻します。私の先祖もアイヌを差別した側。それを認めて、先祖よりうまくできると考えた方が確実によいと言える。先祖のような非科学的な根拠で差別をすることは、ただの無駄です。本書の時系列は2000年を迎える前に終わっている。これから先は、もっとよいことをアイヌと我々の歴史に刻んでいけるとすれば、それは喜ばしいことではありませんか。2000年前後の『サムライスピリッツ』のナコルルを思い出してみましょう。ドット絵という技術的な問題があったとはいえ、ナコルルの衣装はただの紅白のものでした。でも今見ると、あのアイヌの美しい刺繍がないなんてあっさりしているなぁと思えてしまう。それだけアイヌの知識が自分にも世間にも蓄えられて、パッと思いつくようになったのだと私は思います。些細なことだけれど、良い方向へ向かっていることはある。この本の続きはよい方向になる、できる! そういう決意を新たにできるということが、読書なり学習の意義だと思うのです。

蛇足:多くの国で出版されたらよい本

 もうあれば余計なお世話だとは思いますが、本書に韓国版や中華圏版はないのでしょうか? 近代国家日本のレイシズムを分析しているからには、需要は十分にあると思います。海外の『ゴールデンカムイ』のファンは、そうした興味から読んでいるのではないかと感じることもしばしばあります。繰り返しますがこれは日本を糾弾するというよりも、人類史におけるあやまちとしてのレイシズム分析の書物ですので、これからますます需要が高まる一冊です。そういう意味においても、一人でも多くの人が読むべきだと思える。意義深い一冊ですので、いろいろな国の版があればよいと思い、蛇足ながら書かせていただきました。

追記:影ではなく本質

 この文章は当初「『アイヌ通史』近代国家日本成立の影にあるもの」としていたのですが、翻訳者であるマーク・ウィンチェスター氏から「影ではなく本質」と指摘を受け、はたと考えて修正しました。

 なぜ、私は「影」と言ったのだろう?
 それはやはり私が屯田兵視点でアイヌを見ているのではないかと気付かされました。

 アイヌ差別を認めたくない。アイヌを影とし、屯田兵開拓(この言葉にもいろいろ議論の余地があると本書にあります)を光とする。無意識のうちにそうしていたのかもしれない。
 屯田兵として北海道へ来た側からすれば、米も取れぬ土地に稲穂を実らせ、荒野を切り開いていった歴史は誇らしいものではある。そういう表面を見て、裏面を見ないのだとすれば、それには問題がある。無意識のうちにそういう考えていればこそ「影」という言葉を使ったのではないかとは思えました。

 本質とは、近代以降の日本人の意識に、こうした意識が植え付けられたことかもしれない。それは私もまた例外ではない。

 そうつらつら思うに、色々なことがまた違って見えてくる。常々私は北海道ご当地大河がない状況はおかしい、差別的だと主張してはいます。アイヌの話だの、屯田兵だの。そうしたものが数字が取れないだの、難しいだのいうのであれば、そこには差別があるのだと。
 そして今日思い出したのは、「日本の礎は、皇室と日本語」と語った政治家のニュースです。
 この「日本語」には、アイヌ語は含まれていない。大和言葉のことでしょう。アイヌから言葉を奪い、皇国の民こととすることがいかに差別的であったか、本書には書かれています。
 
 意識して「差別なんかしない、そのつもりはない」と思っていたところで、無意識下では出てしまう。そのことを痛感させられる貴重な体験でした。このことをふまえ、もっと真剣に様々なことを考えていこうと思いました。

 ご指摘いただきありがとうございます!

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『ゴールデンカムイ』アニメ、本誌、単行本感想をまとめました。無料分が長いので投げ銭感覚でどうぞ。武将ジャパンに掲載していました。歴史ネタでより楽しめることをめざします。

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