『ゴールデンカムイ』#267 断絶
夫が幼い我が子を抱き、妻がそっと寄り添う。そんな微笑ましい光景を、誰もが優しく見守れるわけでもない。表紙で長谷川幸一、フィーナ、そしてオリガの三人と同じポーズをとっているのは、ウイルク、リラッテ、そしてアシリパなのでした。
我が子は父を変える
キロランケはソフィアにどんな手紙を書いたのか? その内容はアシリパの誕生と、それを喜ぶウイルクのことが書かれていました。我が子を抱くウイルクの優しい顔に、キロランケは疑念を覚えていたのです。
それが具体的な実感を伴うに至ったのは、明治35年(1902年)のころ。キムシプという金塊のゆくえを知る老人が生きていたと目撃されたのです。死んだはずが生きていた! そこから話が進みます。
ウイルクは有古の父を含めたアイヌと話し合います。誰かに先を越される前にその老人を探そうと告げると、キロランケが怒ります。なぜ俺を呼ばないのか? そう迫るのです。
ウイルクは持ち前の現実主義、理詰めで返してくる。
極東少数民族をロシアから守ることは非現実的だ。北海道だけ独立させ、希望するのであれば移民を迎えればよい。これは明白な裏切りです。
キロランケは想像していなかった。自分が切り捨てられる側になることを。
本音と建前はどちらも嘘ではない
鶴見がここで言います。
民族の生き残りを賭けた戦いか。愛する者への想いか。建前と本音の違いだけでどちらも嘘ではない。
この言葉を冷静に聞く月島。鯉登の反応はわからない。
キロランケは激怒します。なぜか? ソフィアがロシアで待っているから。アシリパは冷静に、キロランケにだって愛する人であるソフィアがいたと指摘します。
このとき、ウイルクはキロランケを倒し木に縛りつけただけで、殺さなかった。このことが、心がわりをしたとキロランケを絶望させたのでした。
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