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『虎に翼』第42回 敗戦後の日々

 昭和20年(1945年)、弁護士資格を持つ寅子と、帝大入学を目指していた直明と、熟練工の重田の三人が、マッチの箱詰めとラベル貼りをしています。 
こうした内職は本来職も技もない層のものとされていましたが、軍需工場が閉鎖された今、直言が紹介される仕事はこんなことだけになっています。

 その直言は体調不良で、優未の子守担当になっています。かつて家庭内の子守担当者はこうした祖父母あたりの役目でした。それがよかったというわけでもなく、気づいていなか問題視されなかっただけで、アナフィラキシーや事故による死もあったことでしょうね。そういう多産時代の意識を変えないと危険ですね。
はると花江は繕い物の仕事。
 とても苦しい生活ではあるものの、住む家があり、食事がとれるだけでもまだマシ。それがこの時代でした。
 
 昭和21年(1946年)、年始を迎えます。
 そこにいない人はいるけれど、とりあえず穏やかな年始です。ここで花江がもっと優三の話をしていい、私に気遣わないでいいといいます。一緒に優三を待とうと言い合うのでした。

 ラジオが11年ぶりに復活したメーデーの賑わいを告げます。この時代の日本人は米俵を抱え、飢えを訴える強さがあったことが確認できます。あの戦争を経験した日本人は飢餓に敏感になったものです。玉音放送はやらずにメーデーは伝えるところに、このドラマの強さをみてとれます。主張が強いというのは褒め言葉ですよ。

学ぶ喜びを、目の前の人に

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