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【読書】濱田麻矢『少女中国: 書かれた女学生と書く女学生の百年』

  旗袍を着た愛くるしい女性二人が微笑み、話している写真があしらわれた表紙。そしてタイトル。本書は二十世紀、清が倒れたあと、少女がどう書き、書かれてきたのか、たどる一冊です。

知っているようで知らない世界

 中国文学ね。中国史ね。なんとなくわかっているような。
 二十世紀の少女ね。それもなんとなくイメージができる。
 ぼんやりしたイメージは湧いてきます。しかし、それとはちがう。中国文学の少女というと、剣を持って戦う武侠ものの岳霊珊が浮かんできたし。二十世紀の少女というと、袴とリボンの明治大正女学生が浮かんできたし。
 あれ? ん? 実は少女中国に描かれている存在って、わかっているようで全然わかってない! 『花様年華』や『ラスト、コーション』でみた旗袍を着たヒロイン像も脳裏に浮かんだけれども、それもなにかちがう。

 知っているようで、実は知らない。読めば読むほど、未知の存在である少女の言葉に動かされてゆきました。
 そして知らない存在を知ったからこそ、自分の目が偏っていたことや、読む範囲や興味関心のこともわかってきたのです。

私も、“少女”を無視して生きてきた

 この見知らぬものを知ってしまった感覚は、自分の読書範囲も関係があると気付かされました。私が好んできた中国文学の本というと、ともかく読み漁った井波律子先生が真っ先にきます。彼女の扱う女性像はもっと古い時代かつ、強い女性が多かった。たとえば謝道韞について彼女が書くとき、気の強いその性格に感情移入しつつ、天晴れと褒め称える。井波先生はかなり強気で、キッパリした性格だったのではないかと、読み返すと思えます。
 それと岡崎由美先生。岡崎先生は武侠ものを研究なさっているので、それこそ扱う女性像は剣を振り回して相手を薙ぎ倒すもの。岡崎先生の文章はノリノリで、勢いがある。研究する武侠ものの感覚に合致すると思えます。
 中野美代子先生は、豪快で。どこか摩訶不思議というか、読んでいると妖術にかかるみたいで。不思議な酩酊感がある。

 中国文学を扱う女性研究者を並べていくことで、本書の特性もつかめた気がする。
 この本はものすごく繊細で、もろくて、荒々しく扱うと砕けてしまうようで、そう弱くはない。実は強い。そんなしなやかさもある。
 女性ってこういうものでしょ。ましてや少女なんてこうでしょ。そういう外部からの目線を受けながら、少女は自分自身を規定するものであると思う。けれどもそこから、ほんとうの自分はどうなるか考えて、拒むときは拒むし、飛び立つときは飛び立つ。

 そんな研究テーマと筆者の共通点や重なり方がとても綺麗に実現していると思えました。私はこのテーマのことは語れるほど詳しくない。ゆえに筆者のことを勝手に妄想して書いてしまって申し訳ないのですが、扱うテーマのみならず、それをふかく読み解く濱田先生の洞察力あってのこうも素晴らしい仕上がりなのだろうと思えたのです。

 もっと彼女の本を読みたい、まだまだ探求は始まったばかりだと思えます。素敵な一冊です。
 

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