【書評】村上紀夫『江戸時代の明智光秀』
本能寺の変で主君を討ち果たし、三日天下のあと、散った明智光秀。彼の人生は一通りの終わり方しかしていないにも関わらず、後世様々な伝えられ方をしてゆきます。
歴史という水に、人という石が投げ入れられ、波紋が広がってゆく――そんな過程を研究する、実りある一冊です。
歴史という水、人という石
こういうテーマの歴史を扱った本が読みたかった!
そんなものばかりが近年当たり、時代が変わったと思えます。自分の思考回路の変動かもしれませんが、これはめでたいことだと言いたい。
個人的な語りで申し訳ありませんが、私も昔は歴史研究者になりたかったのです。が、今にして思えば専攻を絞る時点で壁に当たっておりました。
歴史があって、そのことが思想なり文学作品に反映されてゆく。その過程を知りたい。史学と文学、どちらかいまいち絞りきれず、専攻や指導教官の間でフラフラして、これではかえって袋小路に迷い込んでしまってろくなことにならないと諦めたのです。それが正解だったとは思います。
典型例が、『三国志』の正史と演義の論争。フィクションのあやまりを指摘する歴史ファンがウザい!……そんな嘆きもありますが、これは仕方ない話ではあるのです。
そういうフィクションが、時代や思想によってどう形成されていくか? そこがポイントなのです。よい典型例が最上義光で、彼なんてとある昭和の大物実業家の好悪で悪名が定着し、ネットの論壇で人気回復しましたからね。
なぜ戦国武将の評価はコロコロ変わる? 特に「鮭様」が乱高下しすぎ問題 https://bushoojapan.com/bushoo/mogami/2020/06/04/104791 #武将ジャパン @bushoojapanより
そんな前置きから、本書を紹介させていただきます。
京雀の目線、死体はいずこ
京都というのは、えらいところですな。新選組巡りをしていたら、そのへんのおっちゃんが、先祖が新選組隊士に恨みがあると語り始めたりする。あの道のあたりを、駕籠にゆられて吉原遊廓へ向かったとかなんとか。先祖はえらい目にあったけど、今は儲かるからとグッズ販売をしていたりするわけです。
そういう政治の動きを見ていた京雀が語り残した、好悪の入り混じった明智光秀論からスタート。
本書はよい意味でテンションが低いのです。別に光秀評をどうこうしようというつもりはないから、その京雀評価に妥当性を冷静に述べてゆきます。光秀が地子銭免除をしたことに感謝される一方、自分を周の武王にたとえた話は軽蔑とともに語られる。生々しいオーラルヒストリーがそこにはあります。人間の評価とはこういうものだと納得がある。よい評価もあれば、悪い評価もある。それが当然のことでしょう。
光秀は畳の上では死ねなかった。信長のように、火災に巻き込まれてもいない。となれば、死や死体に関する話もミステリーのように伝わっていったことがわかります。貶めるために悪く伝えるものもあれば、オカルトじみたものもある。ゴシップを伝えて眉をひそめ、驚く人々の顔も伝わってくるような生々しさがある。
本書の表紙は、月岡芳年の「月百姿」が使われています。この絵を例示しつつ、竹槍というのは江戸時代の固定観念によって定着していったとされるところもおもしろい。
時代を通して価値観が変わると、既に世を去った人物像も変わってゆく。前述した通り、『三国志』はその過程が詳細に追える。その戦国版です。大河ドラマにはこういう効果があるからこそ意義がある。そう感謝しかない流れを見ました。
光秀をめぐる歯車
名を残した人物となれば、世界を構築する歯車として、本人の死後も動く。そういう動きを追う本書では、光秀像は彼をめぐる人物評価によるものだと明かします。
信長、秀吉、家康。三英傑全員と関与すればこそ、変動してゆく。重臣の斎藤利三が春日局の父であるということも、光秀周辺を面白くする要素です。二女であり、キリシタンとして悲劇のヒロインになったガラシャの存在も大きい。
逆臣とも言い切れず、かといって善人でもない。光秀像は揺らぐ。江戸時代が終わり、明治時代になってもこの揺らぎは続きます。
これは日本の歴史をめぐるうえでの要素ですが、明治維新は武家政権を否定したようで、そうでもないのです。徳川家や家康という人物像は否定をしつつも、徳川政権下にあった殿様や家臣の権威はそのままスライドしてゆく。政権の中枢にいた薩長はむろんのこと、負けた側もそこを維持していくわけです。
そして、実は本書が扱うのは江戸時代まででもありません。幕末から燃え上がった勤皇思想もからんでくる。
信長を勤皇思想の持ち主とするかどうか? 是とすれば、それを討った光秀は極悪人となる。信長の評価で、光秀もまた変わってゆきます。
そしてさらに、大正となると奇怪な現象が起こる! オカルトブームが巻き起こり、天海僧正は光秀だったというあの話が暴れ出すのです。
これは本書に書かれておらず、あくまで私の見解しておきますが。天海は会津蘆名家とつながりのある出自です。この光秀と天海同一人物説については、こんな意見を見かけました。
「会津のような田舎に、徳川幕府からああも信頼される高僧がいたはずがない」
なるほど……これも、明治以降の価値観が影響を及ぼしているのかもしれません。一方で、会津の地元ではこういうことを言われていると聞いたことがあります。
「日本で寺社仏閣が多い地方は? 京都奈良は別格として、実はその次が会津です!」
ただのお国自慢とも流せないものがある。というのも、慧日寺跡は伊達政宗に焼き払われるまで、それは大きな寺でした。徳一と最澄の「三一権実諍論」もあったものです。
そういう会津が、何もないど田舎とされていくのは、明治以降が露骨なのです。江戸時代までは奥羽の玄関口として栄えていたのに、交通網整備や近代化で嫌がらせのような扱いを受け、どんどん存在感が薄れていくと。
そういうことを踏まえれば、会津がよくわからない未開の地扱いされて、その地ゆかりの天海がオカルトに利用されるのもそういうものだろうと腑に落ちるものはあるのです。まったくもって、それをよしとはしませんが、納得はできる流れです。
さらに、自由民権運動との関わり。坂本龍馬の先祖だという逸話。明治以降は出版も活発化し、歴史をめぐる流れも沸騰してゆく。
水が流れるように、歴史人物の評価もうねる
さらには戦後、技術の発展とともにテレビドラマとなり、大河で扱われ、ゲームキャラクターにもなる。自治体が地域おこしに使い、インターネットでも広まってゆく。そういう利用を前提とした歴史像の広がりに目くばりしつつ、本書は終わります。この続きは、私たちが目にする現実にあるのです。
なお、戦国時代どころか、幕末となると歴史の政治利用はもっと露骨になります。マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』、一坂太郎『吉田松陰190歳』がお勧めです。
大河と政治は無関係であるとか。歴史エンタメと思想は関係ないとか。そういう雑な主張もありますが、そんなことはありえないと私は思います。
世界はひとつひとつの歯車が重なり合ってできている。歴史、政治、思想、宗教、ジェンダー……何もかもが噛み合って動くからには、関係がないと言い切れるものがどれほどあるというのでしょうか。
歴史なんてただの豆知識だなんて意見もありますが、そうやって歯車を外した状態で機械を回し続けて、壊したいのであればご自由に。壊れるシステムは私のものではなく、その方のものですから、私の感知するところではないのです。
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