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絵本でイランの今に触れる~4「ボクサー」ブラチスラバ世界絵本原画展グランプリ受賞作品

その絵本のタイトルは「ボクサー」。
絵本の、しかもイラン人が描いた物のタイトルが、「ボクサー」?

正直どういうストーリーなのか想像がつかない。
まずもって「イラン」とはどういう国だ?
イスラムの国。
頭にはスカーフを巻く女性。
そしてペルシャ絨毯。
おそらく一般的にはこんなイメージがあるだろう。

じゃあさ、イラン出身の有名なボクサーっていたっけ?
そもそもイランって、ボクシングやっていいの?
そんな疑問も湧くかもしれない。

意外かもしれないが、イランの国技は「レスリング」だ。
僕は二十数年前にイランを訪れた際、イランの伝統的なレスリング「ズールハーネ」をこの目で見た。町の練習場を訪れたのだが、それはそれは屈強な男たちがこん棒のようなものを振るい、懸命に己の肉体を鍛え上げていた。あの長年(何十年、ひょっとしたら何百年?!)かけて道場にしみついたスエた汗の匂いは今でも忘れられない。

ズールハーネは、日本で言うところの空手のように民衆の間に浸透している。街角には歴史ある道場があり、男たちが汗を流しに通う。2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録された。

こういった肉体鍛錬の下地がある文化背景から、イラン人にとってボクシングとは特別な競技ではなく親しみあるスポーツなのだと想像する。

そして絵本の「ボクサー」。
父が形見に残したグローブで、男は草原を、雲を、そして岩を打ち続ける。
そのグローブに母が刺繍したハートのマークが。
あらゆるものを打ちまくった男は、ある日打つものが何も残っていないことに気がつく。

ボクシングを教えてくれた父は、なんのために拳を動かしていたのか?
その疑問の答えは「みんなの笑顔のため」。

男は自分の拳を、漁師のために、山に道を通すために、草木を育てる人のために打つようになる。
そんなある日、少年が男にボクシングを教えてと言った。

「いいよ、さいしょのレッスンはね、こぶしを上げる前に そのこぶしが なにを打つのかか、考えることだ……」

ハサン・ムーサヴィー作 愛甲恵子訳(2021年)「ボクサー」 トップスタジオHR

渋い。
そして右ストレートが見事にまったような可憐なオチ。
「ボクサー」はブラチスラバ世界絵本原画展でグランプリを受賞している。

帯はサヘル・ローズさん

ラピュタのロボット兵を思わせる、顔が小さく肩幅の広い男が主人公だ。絵の色遣いは鮮やかだが、南米のような底抜けの明るさはない。細かいけれど力強いタッチで、いちページいちページ進んでいく。

岩をも砕く、男の一撃

素直にこれは名作だ、と思った。
最後の台詞が、心にドーンと来る。

2021年に刊行されたこの絵本。淡々とした力強さと人の心の優しさを感じさせてくれる素晴らしい絵本だ。

心優しきマッチョです


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