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ワンランク「斜め」上を目指す英語力 ~プロレス翻訳の世界から~


1.ワンランク斜め上を目指すための2つのポイント

英語にも「方言」があることを存じだろうか?
学校では英語を勉強し、社会人になってもTOEIC試験に向けて英語の学習機会が多い皆さんの中には、周知の事実という方もいるかもしれない。

そう、日本語に関西弁や津軽弁があるように、英語にもイギリス弁やオーストラリア弁がある。
クィーンズ・イングリッシュを誇るイギリス人に向けて「イギリス弁」などと言ったら張り倒されそうだが、一般的に英語の標準語と言われるクィーンズ・イングリッシュとは別に、イギリスも出身地などによって訛りがあるのだ。

日本語と英語という全く異なる言語において「方言がある」ということは、数少ない「共通点」のひとつである。

では日本語と英語の「非共通点」と言ったら何だろうか。
使う文字が違うから根本的な違いはいくつもあるのだが、今回私が指摘したいのは「カースワードの絶対数」である。
カースワードとはFワードやNGワードとも呼ばれる言葉の数々で、テレビ放送でピー音が入るアレのことだ。汚い・罵り・卑猥な言葉のことを指し、一般的にはファックなどが有名どころであろう。

・英語には、日本語で言うところの関西弁のように「方言」がある。
・英語には、カースワードがやたら多い。

本エッセイではこの2点を掘り下げていく。

まずはなぜこの2点を取り上げるかというと、ワンランク斜め上の英語を理解する上でこの2点が重要なキーポイントになりうるからだ。

学校では習わない、英会話教室でも教えない、そういった類のことだけれども、世界の英語話者は11億人と言われるこのご時世、他者との差別化を図り飲み会の席でもちょっと得意げに披露できる英語の知識、それが英語の方言とカースワードなのである。

2.プロレス翻訳とは

私は「プロレス翻訳」を生業にしている。
なんじゃそりゃ?
名刺の裏に書いておくと、渡した相手の顔にそういう疑問詞が現れるキャッチ―ナ職業である。

「プロレス翻訳」とは、英語を話すプロレスラーのコメントを翻訳する仕事だ。
外国人レスラーというと、ハルク・ホーガンやアブドーラ・ブッチャーなどが懐かしい。その時から脈々と日本には外国人レスラーが訪れ、日々の大会や興行を行っている。

日本最大手のプロレス団体「新日本プロレス」において、選手の約半数は外国人レスラーである。団体専属の外国人レスラーもいるし、タイトルマッチや大会によってポイントで訪れる他団体所属の外国人レスラーもいる。
そういった外国人選手がファンに向けて行うコメントを翻訳するのが私の仕事だ。

海外からの選手はアメリカからだけではない。
イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、世界中から一流の選手が日本を目指してやってくる。
そんな彼ら彼女らの言葉を日本の皆さんへお届けする手助けをする仕事というのがあるのである。

自動翻訳機を使わないの?
そう疑問に思う方も多いだろう。人間を使って翻訳をするなんて、コストパフォーマンスが悪い。これだけAIが発展した世の中で、人力に頼るとは時代の流れに沿っていないのでは? そういう声が聞こえてきそうだ。

だが残念というか、仕事をもらっている側としては幸いなことに、ChatGPTやGoogle翻訳など各種英語関連のAIはまだ役不足なのが現状だ。
なぜ役不足となってしまうのか。その答えが前述の「方言」と「カースワード」なのである。

ここで翻訳作業の流れをざっと説明しよう。
①     話している英語を聞き取る
②     聞き取った英語を和訳する

①     に対して使うツールは「文字起こしツール」だ。
②     に対して使うツールは「英⇒日翻訳ツール」である。
この2点を100%人力で行う翻訳者ももちろんいるだろうが、私の場合、これら2つのポイントでテクノロジーの力を借りている。

日進月歩でAIなどの技術力が高まる中、来年はまだしも、3年後には翻訳お助けツールの質は格段に良くなっているであろう。しかし現時点では翻訳とくにプロレス翻訳における人の力はなくてはならないものである。

3.英語にも方言がある

英語の教科書をBBCのホストが美しい英語で話す分には、既存の文字起こしツールでも正確に聞き取り、翻訳ツールも難なく訳こなしてくれるかもしれない。

しかし世界各国から集まるレスラーは、それぞれ出身地の方言があり、BBCのホストがスラスラと話すのとはわけが違う。

オーストラリア英語は、Todayをトゥデイではなくトゥダイと発音する、などとよく言われるが、そういった発音やアクセント満載でプロレスラーはコメントをするのである。

アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、どの国もそれぞれ異なる発音やアクセントを持っている。
アメリカ国内でも、ニューヨーク州のブロンクス出身のエディ・キングストンの話す英語と、オハイオ州シンシナティ出身のジョン・モクスリ―が話す英語は違う。
イギリス国内でも、ケント州シェピー島という島出身のザック・セイバーJr.の英語と、エセックス州ヘイヴァリング出身のウィル・オスプレイの英語は異なる。

こういった英語の違いを文章で説明するのは難しく、またそれを理解するのもややこしいので日本語に置き換えてみよう。

例えば日本の北、青森県で話す津軽弁だが、青森県民以外の人が聞き取るのはとても難しい。それは発音やアクセント、時には単語すら異なるからだ。

例1)
標準語:俺のこの胸筋を見てくれ。
津軽弁:わのこの胸筋見でけ。

主語からして異なるし、文章全体がやや短縮されている。

では日本の南、博多弁ではどうだろう?

例2)
標準語:俺の闘魂が燃えている。
博多弁:俺ん闘魂が燃えとー。

文章全体の雰囲気すら変わってくるような言い回しだ。

このように、日本国内だけでも方言が入ることによって文章が変わってくる。
これと同じことが英語でも起きているのだ。
この言い回しの変化に、まだ文字起こしツールは追いついていない。
そしていざ人間が自力で英語を聞き取り文字起こししようとしても、世界各国の英語方言に対応するのは非常に厳しい。標準語を話す日本人が、広島弁も、栃木弁も、秋田弁も全て問題なく理解するのが難しいことと同様の難しさだ。

困難なことほど、それを制した時には己の付加価値が上がる。
英語には日本語の方言のように各国・各地域の方言があり、それらを理解できるようになれば、ワンランク斜め上の英語力をマスターしたと言えるのだ。

全ての方言を理解してやる! と意気込み過ぎず、最初はなんとなくアクセントが違うかも? というところから始めれば良いだろう。
英語のリスニング教材でも、話者はいろいろな国や地方の人々が出てくることが多い。そういう人たちの出身地と話し方を関連付けて聞き取るようにしてみたら、楽しいかもしれない。

4.カースワードの豊かな世界

では次に、「カースワード」について見てみよう。

プロレスラーは仕事柄、カースワードを頻繁に使う。
ヒール(悪役)というのは、荒くれ者だったり横暴だったり、手に負えない悪者だったりするのだ。髭を生やしたり、黒っぽいコスチュームを着るだけではワルには見えるものではない。タトゥーを全身に入れるだけでもまだ足りない。カースワードたっぷりに悪態をつくことでヒールとしての凄みが増すのだ。

カースワードとはどういう風に使うものだろう。例えば、

I have a pen.
という基本のキの文章にカースワードを入れてみる。

I have a fucking pen, fuck!
このように、単語の間に「fuck/ファック」を入れるだけで、言葉遣いが格段に悪くなる。
ザ・初級英文も、プロレスラーにかかればたちまちガラの悪いセンテンスに早変わりだ。

ところが、カースワードを訳す際に難しい点が2つある。それは
・対となる日本語がない/少ない
・その言葉自体を知らない
だからだ。

「fuck」という言葉がある。これは辞書を引くと、「くそっ、畜生、くそったれ」といった訳が示される。

「shit」も気軽に良く出てくる。こちらは本来大便の意だが、やはり「くそっ」と訳すことが多く、あとは「しまった」とか「マジか」などと訳すこともある。

「bitch」は雌犬の意だが、「くそばばあ、あま」などと女性に対して使われることが多い。しかしプロレス界だと対戦相手の男性にも良く使う。

この3つの例からもわかるように、日本語に訳すとどれも「くそ」となりがちだ。
日本語は汚い言い回しが少ない。バカ、アホ、マヌケ、このあたりがポピュラーだが、どうも言葉としては軽い。幼児が使っても、テレビで連呼されても大きな問題にはならない程度のもので、レスラーの悪さを表現するには少し物足りない。

悪い言葉、汚い言葉を羅列してみよう。
クソ野郎、くたばれ、ウスノロ、死ね、ふざけるな、ケツ。
皆さんはこの他にも浮かぶ言葉はあるだろうか?
死ね、などは意味からしてとてもキツイものだが、直球過ぎて趣がない。

上記の基本的な3つのカースワード以外にも、下記のようにいろいろなバリエーションがある。

asshole
bloody
bollocks
bullshit
crap
damn
dumb ass
dick head
screw you
son of bitch

fuckの変化球では、
fuck me
fuck you
mother-fucker
fuck off
fucking xxxx (←このxxxxにはお好きな単語をどうぞ)

このように英語でのカースワードは実に多彩だ。
これらを臨場感を持たせながら日本語へうまいこと訳したいのだが、日本語のカースワードは絶対的に少ないから難しい。「mother-fucker」や「son of bitch」を直訳しても、生々しく意味をなさない。
よって数少ない日本語のカースワードから拾ってくることになるのだが、たいてい「くそ」になりがちになる。

そこで最近は、「ファック」と言えば日本語でも文字通りのカースワードとして認識されているため、「〇ァック」のようにぼかしながらもそのまま使うこともある。

fuckだけでなく、上記に羅列した言葉の数々は比較的認知度が高い。
だが、しれっと紛れ込ませたのだが「bollocks」をご存じの方はいただろうか?
これは主にイギリス英語で使用されるのだが、「くだらない、ばかばかしい」と言った意味の言葉である。
私は主にアメリカで英語を学んだためか、このプロレス翻訳を始めるまでbollocksという言葉を認識していなかった。

そして最近知った言葉で「peg」というものがある。
本来の意味は「くぎを打つ」だが、性的な意味でヤルをもう少し卑猥にした裏の意味があるということである。

こういった卑猥でディープな言葉もプロレスラーは使ってくる。
しかし翻訳ツールは訳さない。もしくは、本来の意味で訳してくるのだ。
カースワードであるがため制限がかかって訳されないか、裏の意味など知らないかのように正当な意味で訳してくるから文章としてはトンチンカンになる。

こうした場面ではやはり人間の英語力が試されるのだ。
カースワードの豊かさを知り、臨場感や状況に合った訳ができれば、これもまた、ワンランク斜め上の英語力を手に入れたと言えるだろう。

5.まとめ

プロレスが好きな方もそうでない方も、今の英語力を他者とは一味違った方向にワンランク上げたい場合、「方言」と「カースワード」を理解することはとても有益なことである。

世界は広い。
英語という万国共通な言語でも、その国・地方の「方言」がわからないと威力は減ってしまう。
日本人が頑張って海外で英語を話してもなかなか理解されないのは、日本語由来のアクセントがあるからだ。つまり私達は「日本語方言の英語」を話している。

そんな「日本語方言の英語」をアメリカ人やニュージーランド人が理解してくれたら、とても嬉しいし、日本人の英語コンプレックスも軽減するだろう。

同じように、日本人がバラエティに富んだ世界の英語方言を理解した時、各国・地域の人々との壁はぐんと低くなるに違いない。

そしてカースワードを知っていたら、自分では使わずとも相手に言われたらわかるし、その後のアクションも、侮辱に抗議したり、気軽な冗談を冗談で返したりと、筋が通ったものが取れるだろう。

ワンランク「斜め上」の英語力だが、理解すれば相手も自分もWin-Winになる裏ワザである。
今度英語のドラマや映画を見る時には気をつけて耳を傾けてほしい。
そしてプロレスは、英語方言とカースワードを楽しく学ぶにうってつけのエンターテインメントなのである。

                                 了