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森博嗣、スカイ・クロラシリーズ考察(10)何故難解なのか

スカイ・クロラシリーズは、何故難解なのだろう。
Amazonなどのレビューにも、よくわからない、淡々としているだけ、だからなに?といった類の書評が上がっている。せっかくこのシリーズを手にした読書に、この本の何がそう思わせてしまうのだろう。

それは「一人の人間の中で人格の共存と入れ替わり」が起きていることと、「実際に起きたかどうか不確かなこと」が同時に描かれているからだと僕は考える。

普通本を読むときは、そこに書いてあることは事実である前提で読む。しかしこのシリーズでは、キルドレの”僕”が語ることにより、事実をあえてぼやかしている。主観と現実、そして事実の線引きを曖昧にしているのだ。

だから話がややこしくなる。そして記述的には整合性が取れないことが度々出てくる。それは仕方がない。そういう意図で書かれている作品なのだから。

そういう点に対する好き嫌いというのは当然でてくるし、意味が分からないと怒りさえ覚える人もいるだろう。そこは個々の感性の違いだから、どう思おうとも自由である。しかしそこに面白さを見出した人にとっては、このシリーズは大変な傑作ということになる。

ただこのシリーズの愛好家であるにしろなきにしろ、作品全体に対する疑問というのは湧いてくる。僕もそのモヤモヤを晴らすために、さまざまな解釈をネットで拝読した。緻密に調べ綺麗にまとめている人も何人もいた。かなり遅まきながら、僕もそういった先人たちに続くべく、このようにnoteへ持論を記載した次第である。少しでも誰かの役に立てれば嬉しい。

キリ良く僕の考察はNo.10で終わらせようと思ったが、最後に細部の解釈をおまけとして記載する。(次で終わりです)