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メガネふきと僕

僕は目が悪い。だからコンタクトを使わない日はメガネをかけている。今はPCメガネなどもあるのでメガネをかけている人がみんな目が悪いからそうしているわけではないのだろうが、少なくとも僕はとても目が悪い。コンタクトやメガネなしには生きていけない。

コンタクトならそういうことはないのだが、メガネはたまに曇る。急に暖かいところに出たり、温かい食べ物の湯気を浴びたりすれば、たちまち面白いビジュアルになってしまう。傍目から見て面白いだけならいい。でも当人は何も見えなくなってしまうのでその面白さとは裏腹にとても困る。

ゴミや指紋がついても視界は悪くなり不快だ。人間の外界からの情報の8割以上は視覚によるものだというのだから、8割分がぼんやりしているなんて不快なはずである。服やタオルで拭いてもクリアにならないことも多いので、メガネふきは地味ながらもとても重要な役割を果たしていると言える。


僕は弟にもらったおしゃれな模様のメガネふきを4年近く使っている。僕はメガネふきといえばいつもメガネを買った時に一緒についてくるタダのものを使っていたので、そもそもメガネふきを買うという発想がなく、なんだかそこに驚いたのだった。メガネふきって買うものなのか、と。

弟は目が良くてメガネをかけないので、メガネを使わない人が故の選択だったようにも思える。その一方でメガネを使わない人がプレゼントとしてメガネふきを選ぶというのも、ある意味なかなか視野の広い選択だなぁと感心しずっと大切に使っている。


昔から弟は優しかった。弟が小学二年生の時のクラスの文集に、先生がクラス全員のいいところをイニシャルで褒めているページがあった。みんな、元気がいいだとか、サッカーを頑張っているだとか書かれているその中で、弟と思われるものは「図書館に行くと、いつも最後にみんなの上履きを並べてくれるRくん」と褒められていた。これには家族も笑っていたが、僕は笑いながらも内心は素直に「すごいな」と思っていた。僕にはできない、というかこれまた、まずその発想がないからだ。

同じような環境で育ってきたにも関わらず、僕と弟は全く性質が違う。趣味は似ている部分もあるし、血液型も同じだし、誕生日も近いが、性格面は全然似ていないように思う。

そんな僕らは恐らくお互いを羨ましいとも妬ましいとも思ってきた。少なくとも僕はそうだ。本質的な要領が良く地頭も良い、そして優しい弟のことを羨ましいと僕が思う一方で、もしかしたら弟も、行動派で要領は良くないわりに人の懐に入るのが得意な僕を羨ましいと思っていたのかもしれない(のちに弟は行動力も対人スキルも僕を凌いでしまうのだが)。


ドタバタして、なんとなくモヤモヤしてくると、僕はメガネを拭く。気持ちに焦りがあるときは身の回りの些細なことがおろそかになっている。爪が伸びていたり、鏡が汚れていたり。そんな小さなことがストレスになっていることも多いのだ。視界がクリアになると視野が広がり、世界が新鮮に映る。そして何より、弟の優しさを借りられるような気がする。勝手にそう思っている。


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