おとなと児童書

エイプリルの最終日。

桜の季節もとうに過ぎ去り、世の中的には、昨日からゴールデンウィーク。よく「最大10連休です!(うまいこと有休を使えば)」なんても耳にするけれど、実際そんなふうに休みをとる人って日本にどのくらいいるのだろうか。
大型連休とはいえ、ご時世的な面や体調面、そしておそらくどこも混んでいるだろう(これがいちばん大きい)という考えから、とくにどこへ行くとか何をするといった予定も立てていない。強いて言うなら、連休のあいだにまたひとつ歳を重ねるくらいだ。

毎年誕生日を迎えると、「この歳ってもっと大人だと思ってたなぁ」と口にしてしまう。
振り返ってみると、20代、とくに25を過ぎたいわゆるアラサーと呼ばれる頃は、過剰に年齢を気にしていた。結婚やら出産やらのターニングポイントを迎える人が多かったし、子どもの頃に漠然と思い描いていた「そのくらいの歳の頃には結婚して子どももいるだろう」みたいな先入観のせいだろう。
それが30代になった途端、それまでのしがらみのようなものがすぅっと消えて、悠々と構えるようになった。姉が30歳になったときに言っていた「40歳まであと10年あるわ」、この言葉をしみじみと理解できるくらいには、悠々と。笑 ある種、これも「大人になった」ということなのかもしれない。
「いい歳」とか「年齢に見合った」という、プラスにもマイナスにもとらえることのできる言葉のせいで焦りを感じてしまう時もあるけれど、実際にはいくつになっても何でもどうにでもなるのだ、と思う。たぶんこのまま10年先も20年先も、おばあちゃんになってからも、誕生日を迎えては「もっと大人だと思ってたなぁ」と言うことになりそう。そんな自分が容易に想像できる。

いくつになっても何でもどうにでもなる、というのは読書においても同じ。最近は児童書と呼ばれる類の本を立て続けに読んでいた。
荻原規子さんの勾玉三部作と呼ばれるシリーズ、勾玉三部作は十二国記以来?のファンタジーで、ハラハラドキドキワクワクが止まらなかった。

それから、櫻井とりおさんの「虹いろ図書館」シリーズ。タイトルからファンタジーものだと思っていたら見事に裏切られた、良い意味で。

普段ふわふわした着地の物語を好んで読んでいるからか、久しぶりに呼んだ児童書特有のストレートな表現には、はっと不意を突かれることもしばしばあった。
そして良書はいくつになってから読んでも良書なのだからすごい。

久しぶりに「バッテリー」シリーズを読み返したくなった。たぶん小学生中学生の頃のわたしと今のわたしでは思うことがだいぶ違う。
勾玉三部作も虹いろ図書館シリーズも、残り1作を残しているのでこの連休中に読了できたらいいな。