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閃光花火【7】カミサマの采配

 焼けるような日差しが眩しい。先程から、こめかみから輪郭をなぞるように汗が流れ落ちていく。時折目に入って、涙のようにじんと痛む。
「この回絶対抑えろよぉー!」
 大声を張り上げているつもりだが、俺の喉から出る声はすでに潰れかかっていて、枯れたような叫びにしかならない。それもそのはずだ。試合が始まってから、かれこれ三時間は経過しているのだ。けれど、たとえ声を潰してしまったとしても、俺はきっと声援を止めるような真似は決してしないだろう。俺が止まれば、この試合も止まってしまう―――自信過剰かもしれないが、熱中症対策で少し応援席を外しているそのタイミングで、先制点をゆるしてしまったのだから、あながち間違いでもないか、とも思う。
 五回の表に先制され、そのすぐ裏の攻撃、主将・阿久津のタイムリーをきっかけに同点に追いついた。七回の裏には一点を追加し逆転。しかし、相手は流石の強豪校。一点を追加し再び同点に追いつかれ、現在九回表、ワンアウト一塁。さらに追加点のチャンスを広げ、じりじりとこちらを追い詰めてきている。後攻であることは幸いだが、それでも、攻撃は九回裏の一回を残すのみ。仮に次の攻撃で点を入れることができなくても、延長戦にもつれ込めばまだチャンスはある。そのためには、この回、一点すらも失うことはできない。
 暑さも相まってか、仲間の顔には疲労が色濃く浮かび上がっている。どうにか持ちこたえてくれ、と、こちらも必死に声援を送る。自分にできることといえば、こうやって枯れ果てそうな声を出すことだけしかないのだ。
深く息を吐いて落ち着きを取り戻したら、高宮の背中が視界に映った。彼が守っているポジションこそ、怪我をしなければ自分が立っていた場所だ。だらだらと流れ落ちる汗と一緒に、これまでのことが鮮明によみがえってくる。

 本当なら、あの場所に立っているはずだった。けれど、俺はあのポジションを――ライトを、守り切ることができなかった。
 足に違和感を覚えて途中交代をした後、「疲労骨折だ」と言い渡された。目の前が真っ暗になる、とはあの時のようなことを言うのだろう。それは今でも鮮明に思い出すことができるし、その都度、目頭が焼けるように熱くなる。
 カミサマというのは、なんて残酷なのだろう。何度もそう思ったし、憎悪すら感じ始めていた。高宮が抜擢されたことは、文句なしに嬉しくて。ただやるせないのは、自分の未練ばかりで。
 どうにかして吹っ切れようとした。当たり前だけれど、そう簡単に気持ちの整理はできるわけがなかった。

「俺は、どうにかお前をグラウンドに立たせてやりたい。最後まで、な」
 監督兼顧問からそう打診されたのは、試合の際に新たなボールを球審や選手にわたる、ボールボーイの役割だった。過度な運動でなければ差支えない、と言われていたこともあり、温厚としてはじゅうぶんすぎるくらいでもあった。
 けれど、身体から自然と口に出てきた答えは、「ノー」であった。
「…せっかくなんですが、すみません。できません」
「……理由は?」
 監督兼顧問が首をひねる。俺の頭の中には、自らが言い放った言葉が鳴り響いていた。

「ちゃんと自分のために戦えよ」
 ライトのポジションを、自分のグローブとともに高宮へ託した時、そう言った。俺の代わりに、とか俺の分まで、とか、全部取り払え、何の後ろめたい気持ちもない、と。彼を奮い立たせるつもりで言った。だけど本当は、奮い立たせたかったのは紛れもなく自分のことだったのだと、その時になって分かった。

「一塁側の応援席の方が、ライトに近い。だから、ボールボーイは、やりません」
 そう言い切った瞬間、重くまとわりついていた未練のようなものが一気に軽くなった。ようやく吹っ切れたのだ、と思った。


 あんなに憎たらしく思っていたカミサマとやらが本当にいるのだとしたら、今この瞬間、一番ライトに近い場所にいること。それ自体が采配なのだろう。ボールボーイを断った時の、自分の言葉を反芻しながら、青く高い空を仰ぐ。頭上はからりと晴れ渡っていたが、河原の辺りの空はぶ厚い雲に覆われていて、そこだけが暗くなっていた。通り雨が降っているのかもしれない。しかし、こちらまで流れてくるような気配もない。きっと、流れは悪くない。
 もう一度、高宮の背中を見つめる。彼こそ複雑だったに違いない。今でも、守備のポジションに着くたび、人一倍厳しい表情を浮かべる。
周囲から控えめに歓声が、というよりは、安堵に似たため息がこぼれる。ツーボールツーストライク、ランナー一塁二塁。依然としてピンチは続いている。額から流れた汗が目に入り込んできて、思わず瞼をギュッと閉じる。その瞬間、バットがボールを打ち返す良い音が鳴り響いた。
 すぐさま目を見開く。湧き上がる歓声も、息をのんだ周囲の空気も、止まってしまったかのように静まり返った。打たれた白球はゆるやかな弧を描きながら、ライト方向へと伸びてくる。高宮が駆ける。白球を、追いかける。
もし、あの場で走っているのが俺なら。怪我をする前の自分の姿が重なる。
―――捕れるのか?

 次の瞬間、
「捕れぇえ――――ッ!!!」
 俺たちの後方で応援していた一人の女子生徒が、立ち上がって叫んだ。静寂を断ち切るかのようなその声に、切実さが滲んでいる。
 捕れるはずだ、俺なら。そして、高宮なら。
 隣でメガホンを握りしめていた後輩が振り返る気配を感じながら、ほぼ潰れてしまっている声を張り上げる。

「捕れ!絶対捕れ――っ!!!」

 白球に向かって派手にスライディングするその姿が、やたらとスローモーションに見えた。

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声が潰れたって応援する彼ら:関谷響(せきや・ひびき)